『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。

4/3 ”まだ歩き続けたい”

新年度が始まりましたね。
工房のある当別もようやく、春らしく、昼間は雪解けが進んでいます。
朝晩はまだ、氷点下ですが。

新年度早々、4月1日の朝、ラジオに出演させて頂きました。
HBCラジオの「山ちゃんと美香の朝ドキ!」という番組の「ジョージア朝ドキ!リクエスト」
というコーナー。
出演者にはジョージアの缶コーヒー30個プレゼントされるんですって。

機械がセットされて、イヤホンをあてて、オンエアーの時間が近づいて来て、
「全然大丈夫です。私に任せといて下さい!」という言葉を期待して、
「やっぱり生放送は緊張しますね。」と僕が言うと、
リポーターの女の人は
「こんなこと言ったら不安になると思いますが、今日からスタートするコーナーで、しかも
私、これが初めてのリポートなんです。私も緊張してます。」っと。
僕 「・・・大丈夫ですよ。」

ところが、放送が始まって、リポーターが話しをしているのに、
スタジオのキャスターが、「初コーナーや、初リポートの時って、いろんなハプニングが
起こるものなんですよね。」
なんて言って、リポーターの話しに取り合わない。
なんだか機械の故障で電波が出なくて、聞こえていないらしい。
急遽電話での対応に。
リポータの持っている携帯電話を、交互に渡し合いっこしながら、何とか会話をして、
無事に終了。

僕がリクエストした、Mr.children の『終わりなき旅』がかかった時には、ホッとして、
「良かったですね〜。無事に終わって。」とお互い、ハイテンションになっていました。

そう。このコーナーでは、出演者がリクエストした曲を最後に流すんです。

ミスチルの『終わりなき旅』は、独立したばかりの頃、仕事が全然なくて、不安で
押しつぶされそうだった頃、よく聞いて、勇気をもらっていました。

”高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな まだ限界だなんて認めちゃいないさ”

そうだ!まだまだ頑張れるさ。
なんて。

今でもミスチルは本当によく聞いています。特に最近聞くのは『Gift』です。

”地平線の先に辿り着いても 新しい地平線が広がるだけ”

7年目を迎え、僕の中で、少し心境が変わって来たのかな?
だから歩くのをやめよう。ではなく、続きの歌詞にあるように、

”まだ歩き続けたい”

背伸びして高い壁を乗り越えようとするのではなく、目の前の一つひとつを丁寧に、
一歩一歩確実に歩んでいきたい。そんな思いに。

新年度の初日、記念すべき一番最初の番組に、旅する木を選んで頂き、
思いがけず初心を思い出し、スタッフが増え、ワクワクしながら、新生2013年度旅する木
のスタートを迎えられることに、感謝の気持ちと、お客様にも、ファミリー(スタッフ)にも
喜ばれる『旅する木』にしていこう!と思いました。

エイプリルフール?
1週間くらい前、HBCの人からラジオ出演のお電話を頂き、
「缶コーヒー30個をプレゼントします。」
と言われた時、「え〜。ありがとうございま〜す。」
と言ったものの…。。

実は僕、缶コーヒー、飲めません…。。



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3/25 ”もしあの時…”

3月13日〜18日まで、札幌大丸の催事に出展していました。
毎日ビックリするくらいの人が来てくれました。
まあ、その大半が美味しい食材が目当てだったのですが…。。

それでも多くの人が 旅する木 の家具に興味を持って下さって、
展示してある家具を褒めてくれて、嬉しくなりました。

旅する木以外のすべての出展者が、小物、クラフトを販売していて、それなりの売り上げを
上げていたのですが、旅する木は小物、クラフトを一切置かず、大物の家具だけだったので、
売り上げはもちろん、数多い出展者の中で、堂々の一番!!

一番・・・。
一番・・・最下位・・・のゼロ!!

まあまあ、仕方がないですよ。も、もちろん、想定内ですよ!

それでも、DMは 500部が無くなったので、500人の方が旅する木のことを知って
興味を持って下さったのだから、今後、500件の家具のご注文が入ると信じています(笑)。

この催事中に、旅する木のお客さんや知り合い、友達が来てくれました。ありがとうございました。
そして、以前のつむ通に登場したことのある、悩める若者2人も来てくれました。

色鉛筆の魔術師(?)の川崎映君と、高校2年生で木工を志すO君
二人とも自分の進むべき道のことで悩んでいました。

そして先日、別の二人の若者が工房に話しを聞きに来てくれました。
一人は新潟から。そしてもう一人は旭川から。

10代、20代前半の若者が将来について真剣に悩みながら、一生懸命前へ進もうとしている姿を
みると、背中を押してあげたくなる。
着々と計画を実行に移すほど、頭の中が整理されているはずもなく、
世の中のことを理解出来るほど経験もなく、ただ「自分がやりたいことはこれなんだ!」
という思いだけで突き進むほど、勇気がない。
その頃の僕を見ているようで…。

だから言ってあげたくなる。

一歩、踏み出してごらん。
誰だって悪戦苦闘してるんだ。一人じゃないんだ。
ほとんどの人が、今のその気持ちを押さえ込んで、そのうち忘れて去って、
中年になった時、思い出して、「もしあの時…」って夢想するんだ。

誰にだって奇跡は起こる。一歩踏み出せば。
もし奇跡が起こらなかったら、次の一歩を踏み出せばいい。
それでも奇跡が起こらなかったら、また次の一歩を…。

大丈夫!・・・ そのうち後戻り出来なくなるから(笑)。


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3/18 ”せんせい、オシッコ”

先日、息子の保育園の卒園式でした。
この4月からピカピカの一年生です。

息子は予定日より2ヶ月早く、未熟児で産まれたので、産まれて数ヶ月はNICUに入っていました。
妻が毎日、母乳を持って病院に通っていました。
僕もたまに、無菌室の保育器に入っている息子に会いに行って、ダッコはできないけど、
「早く大きくなって、家においで。」と頭を撫でたものです。

そんな息子が、いまだに一つ下の子と比べても小さいけれど、ママの味方ばっかりして、僕に
説教するほど生意気に育ってくれて、無事卒園式を迎えられ、親としてはずいぶん感慨深く
涙、涙…

はずだったのですが・・・。。

入場から、他の子供たちが、ちゃんと出来ることが出来ず、卒園証書をもらう時も、
みんな、「ありがとございます!」と大きな声で言えているのに、うちの子は、聞こえるか
聞こえないかくらいの声で、おまけに先生に小声で教えられながら受け取ったり。

まあ、僕もそんなもんだったから。
誰も友達を作らず、ただ一人、積み木で遊んでいたので、幼稚園の先生も、ほとんど僕の声を
聞いたことがなく、劇ではセリフのない役をもらい、お父さんやお母さんの絵を描く時も、
他の子が描き終わる頃、描き始めるような子供だったらしいので、息子はまだマシの方。
微笑ましく眺めていました。

ところが…。

園長先生の話しくらいのころから様子が変。モゾモゾし始めるんです。チンチンを押さえながら。
ヤバい!!
ヤバいですよね。これは。

妻が慌ててそっと、先生のところに行って、オシッコに連れて行ってもらうように頼み、
先生が様子を見に行ったのですが、な、なんと息子は首を振って拒否。
その後、お偉方の挨拶が続き、いよいよ卒園式のクライマックス。
卒園生から親へのかけ声のメッセージが始まったとき。
息子のモゾモゾが更に激しくなり、
これはもう危機的状況。時間の問題。
さすがにまずいですよね。卒園式、たくさんの人の前でお漏らしは…。。
妻がもう一度先生に頼み、聞きに行ってもらい、息子はトイレへ。

その間も、子供たちのかけ声は続いているので、回りからすすり泣く声がする中、
僕ら夫婦はそれどころじゃない。泣いているどころの話しじゃないわけですよ。
きが気じゃないもんですから。

息子がトイレから帰って来た頃には、メインのかけ声も、歌も終わっていました。
僕は間に合った安堵感から、可笑しくて可笑しくて、隣で泣いているお母さん達には
申し訳ないのですが、笑いを堪えるのに必死でした。

帰って来てから状況を聞こうとすると、息子なりにちょっと落ち込んでいるようで、
息子の後ろで妻が「シ〜!」とやっていたので、それ以上その話しをするのを止めときました。

そして、僕の小学校1年生の頃の出来事を思い出しました。
授業中、オシッコしたくなったんだけど、恥ずかしくて、ずっと我慢していて、だけど、とうとう
我慢出来なくて、先生のところに行って、「せんせい、オシッコ」と言ったんです。
若い女の先生でしたね〜。
先生は相手にしてくれませんでした。
もう一度「せんせい、オシッコ」と言った時、
「オシッコがどうしたの?「先生、オシッコ」じゃ解らないでしょ!」と怒られました。
いろいろ考えて、「せんせい、オシッコ、いきたいです。」と言い終わった時・・・。。

切なかったですね〜。


息子よ、漏らさなかっただけ、お父さんよりマシだよ。
他の子と同じように出来なくたって大丈夫。お父さんも、そうだったから。
遅いか速いかなんて、たいした問題じゃぁ、ないんだ。
続けられるかどうか、ってことの方が大事なんだ。

卒園、おめでとう。
ここまで大きくなってくれて、ありがとう。

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3/15 ”ところで話しは変わりますが…”

ところで、話しは変わりますが、

いきなりこの出だし。おかしいんじゃない?
そうですよね〜。
文章を書くのが好きなのですが、なんせ、時間がかかる。
モーツアルトの楽譜には書き直しの痕が全く無いらしいのですが、僕は書き直しまくり…。

何度も読み返したり、戻ったりして、「もっと楽しい表現はないか?思いが伝わる言葉はないか?」
なんて考え込んじゃう。ボキャブラリーが乏しいので、なかなか言葉が浮かばない。
それで3、4日かけて書くこともしばしば。

それなので、タイミングを逃してはならない内容の時は困っちゃうんですよね。
下に書いた文章は、実は3/13日のつむ通の大丸の話しの後、
”ところで、話しは変わりますが…”
という切り替えで書いていたものなのですが、これがまた時間がかかりそうで、
文章が完成するまでに大丸での催事が終わっちゃいそうなので、とりあえず、大丸の記事だけ
先にUPしたんです。

なので、今回の出だしは…。。



ところで、話しは変わりますが、

先日のニュース、ご覧になった方はいるのではないですか?
ニトリの椅子が壊れて、転んで大怪我をした結果、うつ病になったという訴訟で1,580万円を
ニトリが支払うことになった。というニュース。

ニトリの家具がどうのこうの言うつもりはないのですが、改めて、しっかりとしたモノ作りを
しなきゃな。と思い知らされました。

たまたま先日、椅子の修理を頼まれました。上の写真の椅子。
裏を見てみると、飛騨高山の有名な家具メーカーのもの。
「ん〜。それにしては…」
ちょっとビックリしました。

この椅子の作り方では、いずれこうなるってことは、職人だったら判っていたはず。
なんでもう一手間、二手間、かけないんだろう?っと。
この椅子を使っている方は、治せるかどうか見てもらうために、一脚だけ持ってきたそうで、
まだ家にある同じ椅子も壊れているんだとか。
これと同じ作り方だったら、同じように壊れるはず。

形あるものはいずれ壊れるものなのですが、その理由が”偶然”なのか、”必然”なのか。
ここでいう”必然”とは、”起こるべくして起こる”ことです。
偶然には様々な理由があります。
ものすごい予想外の力や衝撃がかかるとか、過酷な環境下に置かれているとか、
いたしかたないことはあると思います。

偶然と、必然の分岐点はこれまた、人それぞれ。
どこまでを想定して、それ以外を偶然とするか。
そして、偶然の中にも細分化されていて、偶然こうなった場合、こうなっているから
ここまでの偶然だったらまだ何とか大丈夫。などなど、偶然が起こった時の保険といいますか。

そして、その分岐点を決める時、金額も絡んでくるものです。
ここまでしてあげたいけど、そこまでの金額じゃない。そこまでやっていたら赤字になっちゃう。
とか。

とにかくモノを作っている時、いろんな事を想定しているんです。
そして、時として、いや、得てして、デザインと、強度というのは結構相反する関係だったりする。

椅子なんて特に、出来るだけ軽くしたい。美しい曲線を残したい。シンプルに
部材を出来るだけ減らしたい。としていくと、当然強度は落ちてくる。

デザインと強度との境界線を見つけるのが難しい。
絶対壊れない椅子を追求していったら、丸太をカットしただけのものになっちゃう。

この境界線はデザイナーと作り手(職人)との綱引き。
できるだけ両者、自分に近い方に境界線を持ってきたいもの。
修行時代、よく、威張りんぼうの天才家具デザイナーに怒られたものです。
「このままでは目切れ(繊維が切れて強度が著しく落ちること)で多分保たないです。
こうしてもいいですか?」なんて言おうものなら…。
「こっちは1ミリ、2ミリに命張ってるんだ!!」と
木っ端で叩かれました。

ところが、僕の場合、デザイナーと作り手が一緒だから困っちゃう。
できるだけ家具デザイナー須田修司の時は、作ることを考えず、家具職人須田修司の時は
そのデザインをどうやったら強度を保ちながら、実現出来るかを考えるようにしています。
家具職人須田修司は、結構めんどくさがり屋なので、たまに家具デザイナー須田修司に、
「こちは1ミリ、2ミリに命張ってるんだ!!」と怒鳴られています(笑)。

ちょっと話しが反れてきましたね。戻しましょう。

”偶然”と”必然”の分岐点で迷った時、自分の中で決めていることがあります。
『迷った時には、お客さん有利に』
そう決めると、自ずと答えは出て来るものです。
この考え方でずっとやってきたお陰か、大きなクレームは一度もなく、やってきました。

正直に言うと、今まで、「完璧!」という仕事は一度もしたことがありません。
それと同じ様に、「大丈夫かな?」という仕事も一度もしたことがありません。

これからも、”もう一手間、二手間”を惜しまない家具作りをしていこうと思います。

家具デザイナー須田修司が「まだ出来ないの?いつまでかかってんの?」なんて言って来たら、
言ってやります。
「こっちは一手間二手間に命張ってんだ!」って。



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3/13 ”サバンナにおかえり?”

 

今日から大丸札幌で『Hokkaido いいモノ・いいコト マルシェ』という催事が行われ、
珍しく旅する木も出展しています。
楽しい展示をしようと、パネルを作ったり、飾りをしたり、それぞれの椅子に、
ライオンキングの仲間たちを座らせて、みなさんのお越しを歓迎しようと思っていました。

今日、ちょこっと見に行ったのですが、大丸の集客力はスゴイ。ビックリしました。
平日だというのに、人、人、人…。午前中だけで100部以上置いてあった旅する木のDMが
すっかり無くなっていました。

そして、誠に残念のことに、僕の家具より人気なのが、”ライオンキングの仲間たち”。
あくまで家具を、より身近に感じてもらうアイテムのつもりだったのですが…。。
「これ、売ってるんですか?」という問い合わせが殺到したらしく、大丸からのクレームが入り、
あえなくサバンナに帰ってもらうことに。
明日から来られるお客様、シンバやプンバ達はいなくなってしまいました。

その代わり、いや、代役にはもの足りないのですが、僕が土日はブースにいる予定なので、
遊びに来て下さ〜い♪



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3/6 ”初春の嵐”

全国ニュースになったので、みなさんご存知だと思いますが、先日の北海道は
大荒れでした。当別もものすごい吹雪で、そんな中、札幌での打ち合わせから、
帰って来たのですが、ホワイトアウト状態の中、時速20キロくらいでかろうじて
帰って来れた。という感じで、恐ろしかったです。

北海道は寒いので、雪が軽いんですね。ほぼ結晶状態で積もっています。
それが風で渦巻きながら舞ってくるので、目の前の車が全く見えなくなるんです。
僕の後ろの車も絶対に僕の車が見えないはずなので、前が見えないからといって、
ブレーキをかけたら追突されるので、視界ゼロの中、予想で進むしかないんです。
前の車も止まっていないことを期待して。本当に恐いです。

従業員の山口君は去年の冬の朝、吹雪の中、後数百メートルで工房に着くという所で、
吹きだまりに突っ込んで動けなくなり、そのまま待機。見る見る雪が車を覆っていき、
数十分ですっかり雪に埋まってしまったそうで、なんと除雪車に助けられたのは
午後2時。6時間も閉じ込められたんです。
エンジンもかけられない状態で。
僕も数百メートル先にいることは解っていても、助けに行けないんです。

”喉元過ぎれば熱さ忘れる”
この場合、”寒さ忘れる”の方が適切(?)
と言いますが…。

先日はニュースでも散々注意を呼びかけていたし、実際にものすごい吹雪で、
僕も大変な思いをして札幌から帰って来たので、夕方、「今日は工房に泊まれば。」
と言ったのですが、「スキを見てゆっくりと帰ります。」っと。
「とにかく気をつけて」と言って自宅に戻った所、
20分くらい後、電話が来て、「…はまりました。」
場所を聞くとそれこそ工房から200メートルくらい先。
はまったことよりも、20分かかって、200メートルしか進めなかったことに驚きました。
案の定、助けに行けない状態。
「何とか頑張ってくれ!」としか言いようがないんです。

なんと、夜中の2時くらいにメールが来て、
「今、除雪車が来て、脱出しました。これから帰ります。」っと。

今回の猛吹雪、北海道で9人もの方が犠牲になったので、とても山口君のことを
笑い話にはできません。
新聞などの記事を読むと、「自分が被害に会っていてもおかしくなかった。本当に
紙一重だった。」というコメントが多く寄せられたそうです。

”運命”というものがあるとしたら、助かった者は、被害にあったひとから
学ぶことが大事だと思います。
冬はガソリンをコマメに入れて、車にはスコップと、毛布を積んでおかなきゃな。
と思いました。

3月に入って「あ〜、冬ももう終わりだな。」と誰もが思った矢先のこの猛吹雪に、
改めて自然の恐ろしさを思い知らされました。



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2/24 ”託されたメッセージ”

一昨日は記録的な大雪でした。
前の晩から大荒れで、カミナリもすごかったので、覚悟はしていたものの、
ここまでとは…。
一晩で風景は雪の海。
これまでももちろん、一面雪だったのですが、そこから70センチくらい
底上げされて、部屋のカーテンを開けると、すでに視線の高さを越えていました。
記録的な大雪が3年連続ですからね〜。
地球の環境がすっかり変わってしまったんですね。

今、学童机の製作を進めています。
この時期の定番ですね。小学校に入学するお子様のもの。
小学校の頃から木の机で勉強したり、工作を作ったり、当たり前のように木に触れて
成長するということは、きっと優しくて、豊かな心を育むでくれるんじゃないかと思います。

そして、ご注文頂いたお客様のと一緒に、今年小学校に入学する息子の学童机も作っています。
よくお客様に
「ご自宅の家具は全部作られたんでしょうね。羨ましいです。」
と言われます。
「・・・」

実はあまり作っていないんです。
家具作りを仕事にしていると、なかなか作らないものです。自分のものは。
いつもお客さん優先で、時間的余裕がないということもありますが、
ごく稀に、自分のものを作ろうと出してきた材料が良い材料だったりすると、
「もったいない。お客さんのに取っておこう。」と保管して、次の材料を持ってくると、
「ああ、これはもうすぐ製作する、あれにちょうど良さそう。」
な〜んて具合で、ちっともの進まない。
結局「めんどくさい。やめとこう。」となっちゃう。

でも、だからといってまさか、他の家具屋さんで買うわけにいかないので、カラーボックスや、
クリアーケースなどを使っているんです。
とてもお客さんに見せられない…。。

それでも、我が子の学童机は特別ですね。
これはやっぱり作りたいし、使ってもらいたい。

ということで、息子のも製作中。
でも、やっぱり綺麗な材料は使えないし、僕自身は、本当は節とか、白太(材料の外皮に近い
部分の白っぽいところ)とか、一般的には欠点として、お客様の家具には使わない部分の
木の表情は好きなので、息子の学童デスクは、そんな木を使って作っています。
味わいがあるものが出来そうな感じです。

学童机をご注文下さるお客様によく聞かれます。
「どれくらいまで使えますか?」っと。
「ずっと、大人になってもずっと使えます。」

本当は僕はそこに大きな意味を感じているのです。
最初に書いたような、子供のころから木の机に触れて生活することの意味と同じくらい、
いや、それ以上に、子供の頃からず〜っと、使って、触れて、体に染み付いている感触。
解らない問題を親に教えてもらったこととか、印刷の匂いのする真新しい教科書を引き出しに
しまった時のこととか、こっそりと秘密のもの隠したこととか、怒られてつっぷして泣いたこと
とか、ラブレターを書いたこととか…。
そういう幼き頃のいろんな思い出が刻み込まれた机を、大人になっても使っている。
成長していく過程で、いろんなものを選んで、そして捨てていくのだけれど、
何か壁にぶち当たった時、悲しいことがあった時、そっと背中を押してくれるもの、
いつものように優しく包み込んでくれるもの、それは新しく手に入れたものよりも、
捨てられなかったものなんじゃないかと思うのです。
そのことの意味を。

だから、この時期、学童机の製作は、両親から子供に、そういうメッセージを託されたんだ。
という思いで、製作しています。
そして、今年は息子に、そういう思いを込めて、製作しています。

息子よ、よ〜く見ておけ!
この欠点だらけの木が、父の手にかかった時、どんな机に生まれかわるのかを。
そして、感じて欲しい。
この欠点がどんなに愛すべき個性となるのかを。
そしてこの机が、どれだけの困難を共に乗り越えてくれるのかを。

そんな僕の気持ちも知らず、今、工房で遊んでいる息子はさっきから、
「パパ〜、おやつまだ〜?。」っと。



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2/13 ”これが中学生!”

明日はバレンタインデーですね。
今、娘が横で手作りチョコのデコレーションとラッピングをしています。
随分たくさん。
果たして僕のはあるんでしょうか?

なんでも”友チョコ”と言って、友達みんなにあげるんだとか。男の子にも、女の子にも。
「なんでも”友チョコ”と言って」ってあんた、何時代の人?
ああ、昭和の人間さ!古き良き時代の人間ですよ。
といっても、どっぷり骨の髄まで”昭和の人間”でもないのですが、
良いのか、悪いのか、娘と話しをしていると、軽いんですよね〜。今どきは。

僕が中学生の頃、バレンタインデーで女の子からチョコレートをもらったなんて言ったら、
それこそ、一大事ですよ。事件です。事件。
もうそれだけで数ヶ月はポ〜っと妄想の世界で暮らしていられます。
それくらいの出来事だったですよ。
面と向かってあげたり、もらったりするのか恥ずかしいから、下駄箱に入れるのが普通で、
バレンタインデーの登下校の時は、恐る恐る期待しながら下駄箱を開けたもんです。
結局何も入っていなくて、
「だよね〜。」
って普通を装ったもんです。
隣のやつが入っていたら、「もしかしたら間違ったんじゃないか?」なんて、
限りなくゼロに近い可能性を信じたりして。

そんな話しを娘にすると、
「ふる〜(古い)。きも〜〜〜(気持ち悪い)!」

普段の会話の中にも、
「今、◯◯に告白されたから、断った。」
なんてことが結構あったりして。

告白?断った?
僕が中学生の頃なんて、好きな子に告白なんてとんでもない話しですよ。
ひっそりと片思いしてるのが中学生らしくていいんじゃないですかねぇ。
直接言うんじゃなくて、態度とか、仕草とか、ちょっとした会話とか、そんな中で、
好きな気持ちを抑えて、抑えて、それでも抑えられずに溢れ出すものから、感じたり、
感じてもらったり。
そんな心というか、感情のやり取りが、中学生にはいいんじゃないの?

古いですか?僕は。

回りくどい?

回りくどいって、だからこそ、本当の心と言うか、本気さが伝わるんじゃないの!

今でも思い出します。中学の修学旅行の時。
バスの中でふざけてて、ちょっとした怪我をしたんです。
自分でばんそこうを持っていたので、指に巻いていたのですが、旅館について、
友達とまたはしゃいでいたら、僕が好きだった女の子の友達に呼ばれたんですね。
廊下に出たら、好きだった女の子も一緒にいたんです。手にばんそこうを持って。
僕はそっと見つからないように背中に手を回して、巻いてあったばんそこうを取って、
「ありがとう。助かったぁ。」って。

”This is the junior high school student!”これが中学生じゃないですか?(なんで英語なんの?)

この後、告白とか、付き合うとかならないから、いまだに僕の心の中に、清き、美しき光景
として残っていて、思い出すと、心地良い切なさを感じられるんじゃないですか。ねぇ。

いかん、いかん。こんな清き、美しき光景を、娘の心にも残さねば…。
「パパが預かっとくから。」

・・・

「まあ、早い話し、やきもちでしょ!」

「・・・」



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2/8 ”やっちまったなぁ”

旅する木には、しょっちゅう「木工の道に進みたい。」「家具作りに興味があります。」
という人が相談に来ます。
僕自身の経歴がちょっと変わっているからなのか?
それとも僕が相談しやすいタイプなのか?
確かに昔から観光地とかに行くと、「すみません。写真撮って下さい。」
とカメラを渡される確立が結構高い…(笑)。。

その度僕は、木工業界の厳しい現実を5分くらい話した後、
「でも、家具作りという仕事は本当に楽しくて、素晴らしい仕事ですよ。」
ということを、1時間くらい話します。
みなさん、その気になって、笑顔とやる気を持って帰って行きます。

でも、家具作りの道に進む前に、僕の中での絶対条件が二つあって、それを必ず伝えます。
それは、
「奥さん(彼女)の理解と賛成が得られなかったら、絶対にやめた方がいいです。
別れる羽目になって、何の為にやっているのかわからなくなる人が多いです。」
そしてもう一つ。僕の手を見せて、
「大なり小なり、怪我をしますよ。それが、指が短くなったり、無くなる怪我なのか、
そこまではいかない怪我なのか。指を無くすかも知れない。という覚悟がなかったら、
やめた方がいいです。損するだけです。」
っと、この2点。

家具作りに向いているか、センスがあるか、なんてことは、”死にものぐるい”でやっていれば、
何とかなるものです。僕がそうであるように。

”家族の賛成”と”怪我の覚悟”が絶対必要条件で、”死にものぐるい”が最低必要条件ですね。
厳しいんです。

実は先日、従業員の山口君がやってしまいました。婚約中の彼女と別れました…。。
ついこの前「結婚指輪を選びに行きます!」なんて言ってたのに。

っと、そっちの方じゃなくて、(そっちの方は順調のようです。)
怪我をしてしまいました。指を無くす程ではないのですが、しばらく入院しています。

従業員が怪我をするということは初めてだったのですが、凹みますね。
いつも、「トップスピードで、かつ最高の仕事を!」と言っているし、機械の使い方も、
教科書や、職訓で教えられる様な、”安全第一”とは違う使い方をしているし、
経験も立場も違うのに、自分と同じものを求められ、プレッシャーも感じていただろうし。
ちょっと反省しました。

「須田さん、怪我しました。」と来た時には、慌てましたね。
山口君は怪我しているにもかかわらず、「忙しいのにご迷惑をおかけします。すみません。」っと。
感心しますね。10年くらい前、僕が指を切断した時とは随分違います。

もともと血にめっぽう弱い僕は、血が噴き出す指を水道で洗いながら、気を失いそうになり、
反対の手で自分の頬を猛烈にひっぱたいていました。
異常に気づいて、みんなが集まって来たのですが、そんな僕の姿を見て、みんな大笑い。
「怪我してまで笑いを取るなんて、さすが須田さん。」と。
会社のことを気遣う余裕なんて、ありませんでしたから。

見た目に反し、以外と痛みがないもので、病院に向かう車の中で最初に思ったのは、
「あ〜、これでギター弾けなくなったなぁ。」ということ。
それから、その頃、木工の世界での自分の将来像が見えなくて、悩んでいたのですが、
なぜか、「よ〜し、これでもう後には引けなくなったぞ。木工で飯を食ってってやる!」と
決心したのも、この病院に向かう車の中でした。

工房に戻ってから、修業時代の社長がやっていたように、工房と機械に塩を撒いて清めました。
「山口君にとっても、そして、この工房にとっても、最初で最後の怪我でありますように。」
と言いながら。


現在、夏にかけて、二人で目一杯、いや、むしろ人手が足りないくらいのご注文を頂いています。
さらに、多くの打ち合わせや、デザインの提案、図面の製図など、僕がやるべきことが
山のようにあり、それらを一人でこなさなければならず、ちょっと大変です。

山口君が早く怪我を治して、完全復活してくれることを願います。
そして”トップスピード”で”最高の仕事”を”怪我をせずに”してもらいたい。

全然反省していないどころか、要求が一つ増えてるし…。。





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1/30 ”亭主元気で留守がいい”

この冬も当別は昨年同様、雪が多いですね。
でも、この一週間、雪が降らないので助かっています。
その分、寒いです。毎朝工房の回りの木々は樹氷になっていて、すごく綺麗。
通勤はノンノ(北海道犬)とキラキラ輝くとダイヤモンドダストの中を
散歩しながら歩いています。

全国のお父さん。家族と過ごしていますか?
何をいきなり?
昔、防虫剤でしたっけ?CMで「亭主元気で留守がいい!」ってやってましたよね。
ここ数年、年間を通して、ほとんど休み無く仕事をしているので、妻と子供たちだけで
出かけることが多く、僕が浮いた存在になる恐れが…。。
パパッ子だったはずのの娘も、さすがに中2になると「パパ、パパ〜。」と甘えてはくれず、
夫婦の会話にも入って来て、「パパの考えが間違ってる。」っと、ビシッと言われます。
ミュージカルにはまっていて、「パパはどうせ仕事だから、3人で行こう。」と
たいてい僕はおいてけぼり。
これはまずい!寂しい老後が…。
ということで、今年もカフェが始まったら休み無しの生活になるので、せめて冬の間は
日曜日くらいは休んで、家族で出かけようと思っています。

この前の日曜日は砂川のリ・ウ゛ィスタというファームレストランに行ってきました。
美味しいパスタを食べた後、「悲別ロマン座を見に行こう!」と上砂川へ。
1/17のつむ通で書きましたが、富良野塾の演劇『昨日、悲別へ』を、2週連続で
富良野へ見に行ったので、その舞台になった悲別の町を、温泉に入りながら通って行きました。

今も当時の名残を感じる炭坑の町。
夕張、三笠、砂川、赤平、芦別…、どこもそうですが、炭坑で栄えた後の町には、
どこか寂しさというか、空虚感が町を包んでいる雰囲気があります。
娘は、この町が栄えていたのは、もう遠い昔の出来事だと思っていたようで、
閉山になったのはほんの 20年前なんだよ。と言ったら、驚いていました。

昔、栄えていた頃、週末はたくさんの人で溢れていただろう”悲別ロマン座”の廃墟の前に立つと、
その味わいのある建物に、「老兵は死なず。ただ消え去るのみ。」という雰囲気と言うか、気配を
感じました。

『昨日、悲別で』の話しや、僕の知る範囲の炭坑や、原発も含めたエネルギー問題のこと、
朝鮮人労働者のことなどを話しをしながら砂川の町を通っていると、ものの数分で通り過ぎてしまう、
今は何も無い町なのに、どことなく不思議な親しみと、充実感を感じられます。
きっと、なんの知識も持たずにこの町を通ったら、なにも思わず、何も感じず、記憶にも残らず
通り過ぎるだけなんでしょうね。

いつか、行く先々の、その土地の歴史とか、言い伝えとか、そういうものを勉強しながら
日本をゆっくりと一周してみたいなぁ。と家族で話しながら、ゆっくりと温泉に浸かりました。

独立してからというもの、とにかく何よりも仕事を優先させて来たけど、今年はもうちょっと、
家族で楽しむ時間も大事に、意識して作っていこうかな。と思いました。
娘が一緒について来てくれることなんて、ほんと、あと数年ですもんね〜。

旅する木のHPのブログで、仕事よりも、家族を優先させるなんて書いてしまって、まずいですね。
でも、なんせ、去年も一昨年も、一年に10日くらいしか休んでいないもので、ちょっとだけ、
家族の時間を作らせて下さいませ…。。



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1/17 ”馴れ初め?”

先週末、久しぶりに妻の実家、富良野の麓郷に行ってきました。
妻の実家は麓郷で『旅の宿 ふらりん』という宿を営んでいます。
僕は子供の頃から『北の国から』が大好きで、夢中になって見ていました。
僕と純は同い年なので、その後の単発のドラマもまさにタイムリーな感覚で、好きでしたね。
特に『初恋』と『帰郷』では何度泣かされたことか…(笑)。

そんなわけで、大学時代、大学へはあまり行かず、アルバイトをしてお金を貯めては北海道へ。
初めて北海道に行ったのは18歳の時。ちょうどクリスマスイブ。
イルミネーションを見ようと乗った大通公園のテレビ塔のエレベーターは、
独りぼっちの僕以外全員がカップルで、ちょっと恥ずかしかったのを覚えています。

そして、初めての、憧れの富良野へ。
青春18切符で、鈍行列車を乗り継いで富良野に近づくにつれ、興奮してきて、
とうとう富良野駅に着くと、思いがけず駅のホームにかかっていた『北の国から』の曲に
号泣してしまいました(笑&恥)。

『北の国から』のロケ地の『麓郷の森』に着いた頃にはもうすっかり夕方で、
誰も観光客がいなく、雪がしんしんと降っていました。
音の無い、時代からおいてけぼりにされたような風景の中に独りでいることが、
無性に嬉しくて、そして寂しかったのを覚えています。

どこからか赤い傘をさした女の娘が一人、やはり『麓郷の森』を見に来たようで、
モノクロの風景に、赤い傘が妙に印象的で、ちょっとドキドキしました。
ちょうど同い年くらいの人で、どっちから声をかけたのか忘れましたが、麓郷の森の喫茶店で
お茶をした時、その娘が「すぐ近くの『ふらりん』という宿に泊まってる。」と
教えてくれました。
まさかその時、その赤い傘の女の子
が将来、妻になる人だなんて知る由もない…。。

な〜んて、人生はドラマのようにできてはいません。
僕は連絡先を聞けぬまま、そのことを後悔しながらまた鈍行列車を乗り継いで札幌に。
それからは、”またあの赤い傘の女の子に会えるかも。”という不純な動機で
ふらりんに通ったものです。
いやいや、自分探しの旅です!
[自分探し]<[赤い傘の女の子探し]
そんな中で妻と出会うわけですから、ちょっと人生って不条理かも…。。
人生が不条理じゃなくて、お前が不条理だろ!って?

おっと、こんなことを書こうと思ったわけじゃないんです。
今回富良野に行ったのは、娘の”はるにれ通信”にも書いてありますが、
富良野演劇工房で行われる『明日、悲別で』を見に行ったんです。娘と二人で。

学生時代からずっと、富良野塾の公演を見てきました。
『昨日、悲別で』、『今日、悲別で』、『ニングル』、『走る』など。
僕は性格的に”浅く広く”より、”一つのことを深く”という質なので、同じものを
何度も見たくなるんです。
倉本聰の一貫した”伝えたいこと”に共感し、何度見ても感動してしまいます。
文明の発展、発達と共に生活は豊かに、そして便利になったけれど、心は豊かになったんですか?
幸せになったんですか?忘れてはならないものを、忘れ去ってはいませんか?という。

『明日、悲別で』は、昔、炭坑夫たちが地下300メートルに埋めたという”希望”を探しに
閉山になった炭坑跡地に二人の元炭坑夫が入っていく話しです。
そこにあった先人達が埋めた”希望”とは…。

ストーリー性に加え、倉本聰独特の印象的な演出と、演技者の迫力や緊張感が伝わる舞台には、
本当に心が動かされます。
いつかのつむじ風通信にも書きましたが、倉本聰が言っていました。
「感動を創るものは走らなければならず、感動を得るだけなら座しても可能だ。
走るか、座るか、覚悟を決めなさい。」

僕は感動を創る側でいたい。自分の作る家具を通して、人の心を動かしたい。
それでも日々淡々と過ごしていると、自分自身、感動することが余り無い日常に埋もれてしまう。
そんな時、富良野塾の演劇を見ると、「こういうことなんだ!」と思えるのです。

我が家では妻も娘も、6歳の息子も、劇団四季にハマっていて、いつもDVDやCDが流れていて、
歌っています。
そんな娘が帰りの車の中で言っていました。
「劇団四季のミュージカルは、パーッと心が軽くなる。富良野塾の演劇は、心にズシンと来て、
心の奥が満たされる。」と。
上手いこと表現するなぁ。と感心しました。

『明日、悲別で』、札幌では1/30、その後全国を回るそうです。
”感動を創る側でいたい”と決心している人、是非ご覧になってみて下さい。
走るパワーが湧いてきます!

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1/12 ”あなたの町を僕の古郷に!”

何となく、正月気分が抜けない今日この頃です。
なぜかって…。。
年末年始、体調を崩して寝てすごし、おせちもお餅も食べずにおかゆ生活。
神社にお参りも行かずに寝て過ごし、お正月らしいことを何もしなかったからですかね〜。

今年の仕事始めは青森県のお客様(Sさん)のキッチンの取り付けでした。
旅木カー(ハイエース)に家具と道具一式と、少々のお菓子を積み込んで、
仕事半分、旅行半分って気持ち…、いやいや、もちろん仕事はキッチリですよ〜。
楽しんで行ってきました。
旅木カーは記念すべき、初の本州上陸でした。記念写真を撮っちゃいました…。。

  

取り付けたキッチンをSさんご夫婦はとっても喜んでくれて、最終日の晩、
食事に招待してくれました。
僕もSさんもこの日が来るのを待ち遠しい思いで待っていたので、いろんな話しをし、
とっても楽しい時間を過ごすことができました。

Sさんとは、2年程前にメールを頂き、やり取りしていたのですが、お会いしたことはなく、
もちろん、旅する木の作品を実際に見たり、触ったことはないので、
「僕が言うのもなんですが、よく実際に会ったり、見ていないのに、依頼してくれましたね。」
っと尋ねると、
「HPから、須田さんの人柄や、作品の良さが溢れていました。」
と、嬉しい返事。
すっかり気分を良くした僕は、Sさんに勧められるまま、青森のお酒、最近プレミアがついて
なかなか手に入らないという田酒(でんしゅ)という幻の日本酒を頂いちゃいました。
実は日本酒なんて学生時代に苦い思いをして以来、飲むのを恐れていた僕は20年振り。
ところが…。。

よくお酒の通の人は「旨い日本酒はスーと喉に入っていって、次の日に残らない。」と言いますが、
それは強い人の話しで、にわかに信じ難い。と思っていたのですが、恐る恐る、田酒を
飲んでみると、水のようにスーッと入っていて、「なんだ?この心地良さ!」
ついつい、二口目、三口目と升を口元に運びたくなります。1升を飲み干してしまいました。
もちろん翌朝も快調。朝風呂に入って、帰途につきました。

昨年、函館に出張した時も、長野、北見に出張した時もそうだったのですが、やっぱり地元を
離れる仕事には不安があるものです。
テーブルや椅子のようにポンッと置く家具だったら問題ないのですが、建築が絡む場合、
確認が出来ず、ある意味ぶつけ本番なので特に。
なので、キッチリ納まり、お客さんが喜んでくれている姿を見ると、心からホッとします。
そしてお客さんと地元の美味しい食事を一緒にすると、イッペンでその町が好きになります。
五所川原(青森)も大好きな、忘れ難き町になりました。

人がその土地を好きになる時、町の雰囲気とか、美しい町並みだとか、美味しい特産物だとか、
そういうのも要因かも知れないけれど、やはり一番はそこに住む人との関わりだと思います。
物語りといっても良いかも。
もしかしたら二度とその町に行くことはないかも知れないけれど、あの人が住んでいる町。
ついつい全国の天気予報を見た時、「大雪なんだ。大丈夫かな?」なんて思ってしまうような。
そんな物語りを持った好きな町を、今年も一つひとつ、増やしていきたい。

何より、日々、黙々と体育館で作業をしているので、たまにある出張は楽しい!
山口君(従業員)と、作業の後、「今日は何食べに行く?」なんて言いながら、見知らぬ町を
ぶらついたり。
まあ、山口君じゃなくて、女の子だったらもっと楽しいのですが…。。
40歳も過ぎて、こういうことを公の場で書くと、「エロおやじ、ちょっと本気なんじゃないの?
っと思われるからやめな。」と妻に言われます。
エロおやじなんだから仕方ない…。。

遠方にお住まいの方、遠方だからって遠慮しないで下さい。
「あなたの町が僕の古郷になりたがっています。」
「古くさいプロポーズか!」

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1/2 ”2013年の挨拶”

新年、明けましておめでとうございます!
2013年、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

年を重ねるに連れて、1年ってどんどん速くなっていきますよね。
2012年なんて、一瞬でした。息止めてられるんじゃないかと思っちゃうくらい(笑)。

やり残したこと、ありますね〜。
悔やまれるのは、みなさんに約束しておきながら守れなかったこと。
年2回くらいのペースで発行していくと約束した旅する木の小冊子『たびくら』。
結局Vol.1しか昨年は手をつけられなかった。
でも、春までに必ずVol.2を発刊しますので、楽しみにしていて下さい。

後、昨年後半に納品したお客様は、今か今かと待っていたんじゃないかと思います。
新作のHPでのご紹介。
本当にスミマセン。
後半、作業と、打ち合わせ、デザイン、納品と忙しくて、パソコン作業がなかなか進まず、
新作UPが滞ってしまっていました。
全然新作をUPしないから、「旅する木、全然仕事してないんじゃない?」って
思われちゃいますね。
旅する木の作品は、ただ作品の画像を載せて、「こんなの作りました〜!」では、
思いの3分の1も伝わらない。
一つひとつの作品に、お客様との物語りがあって、それを形にしているので、作品に込められた
物語りを伝えなきゃ意味がない。
そうなると片手間では無理なんですね。
(だからって、載せなかったらもっと意味ないのですが…。。)
たっぷり溜まっている新作は、今から徐々に載せていきますので、待っていて下さい。

年末、気が緩んだのか、体調を崩しました。
お陰で妻の実家の富良野に行く予定が、結局家で過ごしています。
昨日まで寝て過ごしました。
でも、お陰でこの年末年始に、すごい良い本を読み終えました。
とても良い機会でした。

『アルケミスト 夢を旅した少年』パウロ・コエーリョ著 という本です。
羊飼いの少年が、宝物を探しに旅に出るという内容の本です。
すみません。表現力の乏しい僕が、こんな風に紹介すると、
「子供じみた、冒険物語りか…。」
と思われますが、いやいや、どうして。奥が深〜いんです。
すごく勇気とやる気をもらいました。人生の知恵が詰め込まれています。

2013年、今年はどんな素晴らしい出会いがあって、どんな物語りを持った家具が産まれるのか。
僕自身、とても楽しみです。
今年も旅する木に出会ってくれた方の思いを、誠心誠意をもって形にしていこうと思っています。

2013年もどうぞよろしくお願いいたします。


札幌のすぐ隣の田舎町、田園風景ど真ん中の小学校
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