一生に無駄はないのかも知れない | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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一生に無駄はないのかも知れない

一生に無駄はないのかも知れない。
仮にあったとしても、そう信じるしかないではないか。

 

旅する木の社員旅行はなかなか良いところに行くんです。
昨年末、伊勢神宮〜熊野古道〜高野山 をめぐる旅をしてきました。

僕は、歴史が好きなので、特に高野山が楽しみだったんですね。
錚々たる戦国武将は皆、高野山奥の院にお墓があります。

面白いのが、歴史的宿敵同士が比較的近い距離で眠っているんです。
織田信長と明智光秀
石田三成と、関ヶ原の戦いで三成を裏切って、徳川家康についた各武将たち
武田信玄と上杉謙信
など。

現世ではいろんな環境やしがらみ、欲や利害関係などで、相容れない関係だった者たちが、魂になって、それらを捨て去った時、笑い合って、現世での出来事を懐かしく話しているんじゃないかと思うと、なんか救われるんですよね。
そして、
「あ〜、その会話、聞いてみたい!」
なんて思います。

 

信玄 「お前(謙信)なあ、あの時はマジにヤバかったぜ。家来たちの手前、どっしり構えているように振る舞ったけど、正直、ビビったぜ」

謙信 「川中島の4回目だろ?あれな〜、あれは殺ったと思ったんだけどなあ。惜しかったな」

信玄 「それにしてもお前なあ、総大将だろ?普通、総大将が先頭立って敵本陣に切り込んで来るか?万が一、お前が討死したらどうするんだよ。大将たるもの、一番後ろで、でんと構えてるもんだ」

謙信 「『動かざること山の如し』 か?」

信玄 「そう、風林火山こそ、いつの時代にも通用する金言さ」

謙信 「うむ、『風林火山』かあ。懐かしい」

信玄 「なんでお前が『風林火山』を懐かしむ?」

謙信 「ふふ、ちょっとな。お前が死んだ後の話さ。」

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有名な話なので、ご存じの方も多いと思いますが、一応、前知識として…

武田信玄と上杉謙信は、共にものすごい強い戦国武将で、長野県の川中島で5回戦って、いずれも引き分けだったんですね。
その川中島の合戦の第4戦目が壮絶だったんです。

武田軍の軍師、山本勘助は、夜霧を利用し、兵を二手に分けて、一つの部隊を上杉軍の背後から攻撃させて、たまらず上杉軍が前に出てきたところを武田本陣が待ち伏せ、挟み撃ちにして上杉軍を全滅させるという作戦を立てて、実行します。

啄木鳥(きつつき)戦法と名付けられたその作戦を、謙信は見抜くんですね。
そして謙信は一切の音を立てずに兵を信玄のいる本陣の前に移動させます。

やがて日が登り、みるみると霧が晴れた時、いるはずのない上杉軍が眼前に布陣している。
上杉軍は車懸りという波状攻撃で武田軍に襲い掛かり、信玄の本陣は総崩れ寸前になります。
山本勘助など信玄を支える武将の多くが、この時、討死します。

そんな中、白頭巾を被って馬に乗った上杉謙信が、床几(しょうぎ:椅子)に座る武田信玄に斬り掛かるんです。謙信は信玄に三太刀にわたり斬り掛かるのですが、その三太刀とも、信玄は床几に座ったまま、軍配で受けるんです。
さらに斬り掛かろうとする謙信の馬に、信玄の家来が槍を刺して、驚いた馬は逃走したんです。

数多くの戦国時代の戦いの中でも、大将同士が直接合間みれたのは、他に例がないのではないでしょうか。

 

ちなみにこの川中島の戦いの4戦目、午前中は上杉軍が有利だったのですが、上杉軍の背後を突こうとした武田軍の部隊が戻ってきた午後は武田軍有利で、結局決着が付かずに、両軍とも大きな死者を出し、引き上げたんですね。

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こんな死闘を繰り広げつつ、今川家が武田家への塩の禁輸をし、海のない甲斐国の信玄が困っていると、謙信は塩を送ったりするんですね。

武田信玄は、『義の武将』上杉謙信と違い、天下を治めるという野望を持っていました。

僕は思うんです。
信玄は謙信と同盟を結んで、もっと早く上洛していれば、もしかしたら歴史は今とは全く違った形になっていたんじゃないかと。

でも、自分の野望のために、親を追放したり、長年の同盟を破ったりする信玄は、義を尊ぶ謙信に対し、どうしても相容れられない感情があったのではないかと思うのです。
しかも謙信はめちゃくちゃ強い。
この強い謙信を、信玄はどうしても打ち破りたかったんじゃないだろか。それが己の人生の正しさの証明だと、そういう気持ちが心のどこかにあったんじゃないかと思うのです。

そのために、五度も川中島で戦い、このように後世に語り継がれる名勝負を吊り広げたのですが、結局それが足かせとなり、天下を治めるという信玄の野望は、時間というもう一つの敵に打ちやぶれてしまうのです。

 

ここからは、僕の大好きな歴史小説家、今村翔吾の戦国武将伝の内容を要約します。
今村翔吾の作品は、史実はそのままに、人間ドラマにしているので、とても面白い。

 

病で自分に残された時間が長くないと知った信玄は、準備が整ったらと思っていた上洛を、前倒しする決意をします。
着実に勢力を伸ばしつつある織田家を京から追い出し、打ち滅ぼすため。

しかし、それを機に、背後から上杉謙信が攻めてきたら、引き返さざるを得ない。
そこで、信玄は謙信に手紙を送ります。
「すでに余命が僅かである。一年、織田家と戦わせて欲しい。」
信玄の病はすでにかなり進行しており、立つこともおぼつかない状態。

しかし、謙信はそのことを知る由もなく、策略だと思うかも知れない。
信じたとしても、これを機に、攻め込んでくるかも知れない。

不安の中出発し、織田信長と同盟を結ぶ徳川家康を打つべく、いくつかの徳川の城を落とし、いよいよ家康の本城の浜松城を攻め落とそうとした軍議の最中、信玄は倒れます。

「もはやこれまで。」

信玄は自らを責め、悔います。
「己もそれなりの年になっているのに、まだ時間は残されていると思い込んでしまった。あの化け物のような強い男を、なんとか打ち破ろうと躍起になって、無駄な時間を費やしてしまった。」

上洛を諦め、引き返す決断をしようとした時、謙信からの返事の書状が届きます。
その書状を読んだ信玄は、病を忘れたがのように慄然と立ち上がり、家来たちに命じます。
「京を目指す!」

手紙に書かれていたのは
「仔細(しさい)承った。我はこの誓いは違えぬ。織田、徳川などに後れを取る無様を見せるな。折角くれてやる一年なのだから、最後まで諦めるな」

手紙を読んだ信玄に、力が蘇ります。
そうして三方ヶ原台地で、織田・徳川の連合軍を圧倒的な強さで打ち破るのです。
喜んでいる家来に信玄は言います。
「あの男に比べれば、遊びのようなものだ」

信玄は独り言のように呟きます。
「無駄ではなかったか」

あの憎らしい男の書状によって、己は今一度、奮起した。そうじゃなかったら、甲斐国に引き返していただろう。
そう考えると、一生に無駄はないのかも知れない。
仮にあったとしても、そう信じるしかないではないか。

 

これはあくまで著者今村翔吾の考察なので、信玄がどう思ったかはわかりません。
もしかして、
謙信がいなかったら…
甲斐がもっと京に近かったら…
もっと若かったら…
病じゃなかったら…
と思ったことはあるんじゃなかと。

でも、もし、もう一度人生を選べるとして、上杉謙信がいない人生を選ぶだろうか?

川中島で、霧が晴れた時、目の前に上杉の大軍を見たときの激昂。
謙信自ら、馬上から振りおろす刀を、座ったまま軍配で受け止めた時の恐怖と激情。

己の魂を最も揺さぶり、そして輝かせてくれる存在は謙信だと、信玄はわかっている。
だからやっぱり、天下がどうのこうの以前に、どうしても堂々と上杉謙信という男を打ち破りたい。と思うのではないかと思うのです。
それが、天下統一という大きな目標において、無駄な時間を費やすとわかっていても。

だから
「一生に無駄はないのかも知れない。
仮にあったとしても、そう信じるしかないではないか。」

という結論に、僕はとても救われる思いがします。

 

起こった出来事に意味を与えるのは自分でありたい。

「これにはどんな意味があるのだろう?」
ではなく、
「どんな意味にしよう」

「なんでこんなことが起きたんだろう?」
ではなく
「この経験をして、自分はどうなろう。」

いつでも、どんな時でも、自分の人生の主導権は自分が持つ。
『主導権』という言葉は、『責任』に置き換えてもいい。
その覚悟を持った時、人生に無駄というものは無くなるんだと思います。
そして、僕自身も、その覚悟を持って、この一生を生きたい。

 

信玄の独り言
「無駄ではなかったか」
が証明される時が来ます。

 

長篠の合戦で、信玄の亡き後、武田家を継いだ武田勝頼を打ち破った織田信長は、その勢いを着々と伸ばし、ほぼ天下を手中に治めつつある、実質的な天下人。

上杉謙信は、織田信長とは、おおむね良好な関係を築いている。
そして今や、織田家の勢力は上杉家の何倍も大きい。
それなのに、謙信は織田家に戦いを挑みます。

手取川を挟んで相対する織田家の総大将は、織田家きっての猛将、柴田勝家。
勢力に勝る織田家の先制攻撃が始まる。

「のぼりを掲げよ」という謙信の命令により、上杉軍ののぼり「毘」や「龍」の中に、信じられない言葉の書かれたのぼりが上がります。
書かれていた文字は

『疾如風徐如林侵掠如火不動如山』

なんと、武田家のそれ、『風林火山』ののぼりが掲げられたのです。

そして1万人の上杉軍は、4万の織田軍を、わずか小一時間で打ち破ってしまうのです。

勝負あったと見るや、謙信は
「越後に帰る」
と追撃せずに、軍を引き返すよう命じます。

 

天下人になった信長は、こう自慢していたんだそう。
「信玄が生きていても、儂の敵ではなかったわ」

信玄が信長に貶められた。それが過ちであるということを証明するために、謙信は信玄に代わって戦いを挑んだんです。
そしていとも簡単に織田軍を打ち破った。

謙信は言います。
「世の人がたったそれだけと笑おうとも、人にはどうしてもやらねばならぬ時があるものよ」

 

やっぱり
「一生に無駄はないのかも知れない。
仮にあったとしても、そう信じるしかないではないか。」