一子相伝!これが旅する木の奥義なのだ | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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一子相伝!これが旅する木の奥義なのだ

先週は東京にキッチンの取り付けに行きました。
扇型のキッチンです。

僕の自宅のキッチンも扇形のキッチンです。

料理する時、全部が自分に向かってくれるので、作業しやすいんですよ。
作業スペースも広くなりますしね。
扇形のキッチン、おススメです!

 

4日間東京に行っていて帰ってきたら、北海道はすっかり秋が深まっていました。
峠では雪が降ったとか。
工房の小学校の周りの木々たちも、

IMG_5527.jpg
東京に行く前は ↑ こんな感じだったのに、

帰ってきたら ↓ すっかり葉が落ちていました。

足元も落ち葉でふかふかになってる。
落ち葉の上を歩くときのカサカサっていう音が心地よくて好きです。

可愛いし。

 

一瞬で終わってしまう北国の秋を見に行こうと思って、近くのダム湖に行って来ました。

ちょっと遅かったかな?
紅葉のピークは過ぎてしまっていました。

でも、お陰でこんな風景が見られました。
大部分の葉を落とした老木の下で、まだ緑の葉を残している小さな若木。
若木にとっては、久しぶりに日の光を存分に浴びて、成長するチャンスなのです。
早々に葉を落としている場合じゃないんです。

こんな会話が聞こえて来そう。

老木 「ワシが葉を落としている今のうちに、いっぱい栄養を作って、成長するんだよ。でも、雪が降る前には、葉を落とさなきゃダメだからね」
若木 「わかった。でもいつももうちょっと日の光を浴びられるといいんだけどな」
老木 「あのな、若い時に急いで大きくなってはダメ。体が弱くなってしまうからな。ワシの影でじっくりじっくり根っこを大きくしないとな。」
若木 「そうなんだ。早く大きくなりたいな」
老木 「心配しなくてもワシの体が衰えて、たくさん葉を付けられなくなって、やがて倒れた後、存分に日の光を浴びて成長しなさい。その頃には根っこもしっかりしていて、大きく成長しても大丈夫な体になってるからな」

なんて会話を想像している自分は歳をとったなぁ。なんて、秋の風景とも重なり、ちょっと哀愁を感じる。
何年か前なら
若木 「あの〜、もうちょっと日の光が入るようにして欲しいんですけど。じゃないとあまり成長できないんで」
老木 「生意気なこと言ってんじゃないよ!まだまだお前たちには負けないよ。文句あるんだったら、俺を抜いてから言いな!」

なんて会話を想像したんじゃないかな?
ま、今でもこの気持ちがないわけではないのですが(笑)。

 

 

ところで、なぜ秋になると木々たちは紅葉して、その後 落葉するか、ご存じですか?

家具作りを職業にしていて、毎日木に接している旅する木の若いスタッフたちに質問したのですが、誰も知らなかった。
実は家具職人って、立木のことってあまり知らないんですよね。
立っている木を見ても、それがなんの木なのか解らない。
でも、製材した木の表面の色や木目を見ると、それがなんの木か解る。

 

秋になると紅葉して、最後、落葉する理由はですね。
・雪が降る前に葉を落とさないと、葉に雪が積もって、重くなって、枝が折れてしまう。
・木の中の水分を無くさないと、凍って破裂したり、細胞を痛めてしまう。
・葉があると、葉を維持するための水分が必要で、乾燥する冬はその水分補給ができない。
・どうせ日照時間が短い冬は、活動したってたいした活動できないから、いっそのこと森の動物たちと同じように、厳しい冬くらい、活動をやめて冬眠したいと思ってる。

おおむねこんな理由なんです。
それで、自ら水分補給を止めて、体から最低限生きていく上で必要な分以外の水分を抜いていくんですね。
そうすると、光合成をするための緑葉体が減少して、葉っぱから緑色が消えていって、その木の葉っぱ本来の色が出てくるんです。
楓なら赤、ミズナラなら黄色など。
それが紅葉なんですね。
紅葉のピークを越えると、やがて枯れて落葉するんです。

ここまでは教科書に出てくるようなことなので、知識として知っておくことはいいのですが、面白い話じゃない。
僕が面白いなぁっと思うのは、この紅葉から落葉に至る過程で、木によって性格があるということ。
そしてその性格が、僕が家具作りで製材した木を扱う時に感じている、それぞれの木の性格とやっぱり似ているっということ。

例えば楓の木。
製材された楓は白木で、薄過ぎず、濃過ぎない品がある木目で、それはそれは美しい木なんです。
ところが、割れたり反ったり、とにかく動きが激しい。
僕の中では、楓は、『色白で気品があって、とても美しいんだけど、わがままでちっともいうことを聞いてくれない綺麗な女性』というイメージ。

そして楓の落葉はというと。

こんな風に、赤や黄色でまだ枯れていない状態で葉を落とします。
まるで
「枯れた姿を見せるのは絶対にイヤ!美しい姿のまま散るわ」
っといった感じ。

それに対して、ナラは…
白神山地のブナの森を歩いた時の前回のブログに書いていますが、僕の中では、ナラは『お父さんの木』というイメージなんです。
ナラで家具を作る時感じることは、硬くてズッシリとした重さがあって、反りなど少なく安定していて、色合いも落ち着いた色で、地味だけど安心感があるんですね。一家の大黒柱って感じ。

そんなナラの落葉は?

ナラは、少しでも緑葉体が残っていたら、最後の最後、ギリギリまで光合成をして、厳しい冬に備えて、栄養を蓄えようとするんです。
だから落葉したナラの葉っぱは、完全に枯れた状態なんです。どこにも緑や黄色が残っていない。
浪費家の楓に対して、倹約家のナラ。

こんな風に製材された木と立木の性格を重ね合わせながら森を歩くと、とっても面白いんです。

 

先日、スタッフのくどけんとニセコの温泉に行きました。
木々たちに囲まれた露天風呂に入ったのですが、露天風呂の上は開けているので、露天風呂の近くに立っていた一本の大きな木が、露天風呂の方にだけ枝を伸ばしていたんです。

森の木々たちは光の奪い合いなのだから、少しでも光を受け止めようとして、空いている露天風呂の方に枝を伸ばそうとしているのだろうけど、もしかしたら、
「こっちに伸ばした方が周りに迷惑をかけないから、私はこっちに伸ばしますね」
なんて周りの木々たちに気を使っているのかも知れない。

こんな風に思うと、さっきまで自分とは無関係の、ただの木だったのに、急にその木に心が宿り、物語りが生まれる。

「俺たちが扱っている木は、モノじゃないんだよ。命なんだ。だから大切に扱うようにっていつも言ってるじゃん。失敗して無駄にしてしまった時は、木に謝れ!って。
でも、俺たちのところにやってくる木は、製材されて、切り刻まれたものだから、なんとなく、”命”っていう感じでじゃなくて、”モノ”に感じてしまう。
だから、仕事で扱ってる木を、立木と重ね合わせて感じたり、その木が森の中で立っていた時のこと、その時こんなことを感じていたのかな?なんて想像すると、その木は、”モノ”じゃなくなって、”命”になる。そういう風に仕事をしたいよな」

一緒に露天風呂に入っているくどけんに熱く語りながら、あの老木と自分とを重ね合わせていました。

 

僕が若者に技術的なことを教えることはあまりないんです。
技術的なことは、ベテランの花輪くんが教えている。
花輪くんの木工の技術は僕以上なので。
僕が教えていることと言えば、もっぱら、こういう話しばかり。
そして花輪くんは、僕のこういう考えをよく理解してくれている。だから10年も一緒にやっている。

若者たちが成長して、家具職人として技術面で、僕や花輪くんに追いついたと思った時、さらにその先、超えていくかどうかの分かれ道は、こういうことを意識して、感じているかどうか。だと僕は思っている。
だから、ある意味、僕が彼らに話していることは、旅する木の奥義のようなもの。
奥義だけど、一子相伝ならぬ、多子相伝(←こんな言葉ある?)として、ことあるごとにこういう話をしています。
旅する木の若者達には、少なくとも僕は超えていって欲しいと思っているので。

ただ、簡単には抜かせない!
とも思っている。

そう。まだまだ僕もその途上を歩んでいる。

 

+++++++++++++++++
今、ブログを読み返していて、気がつきました!
全くそのつもりはなく、偶然なのですが、

旅する木の”奥義”

東京に取り付けに行ったキッチンの形が ”扇”

”奥義”と”扇”

かかっている!
お後がよろしいようで…(笑)