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本物とそうでないものの違いは?
先日、お客様から「古い家具を修理ってできますか?」という依頼をされました。
「可能な限りはやりますけど、実際に見てみないと、なんとも言えません。」
ということで、見に行って来たんですね。
その家具は、老夫婦に案内された新築の家の二階の奥の部屋にありました。
びっくりしましたね。
古さの中に、深さと、奥ゆかしさと、凛とした品格と、何もかも許容する
優しさのようなものがにじみ出ているその家具に吸い寄せられるように、
僕はその家具の前に膝をついて、そっと触れながら思わず言ってしまいました。
「素晴らしい家具ですね。僕にはちょっと手が出せそうにありません。」と。
話しを聞いてみると、90歳のそのご老人が子供の頃にはすでにあって、
使っていたそうです。
なので、おそらく作られてから100年は経ってるんじゃないか?とのこと。
そのあまりに長い年月の間に宿った魂というのか、雰囲気に圧倒されてしまいました。
「この家具に僕が手を加えることはちょっと…。それほどの価値のある家具なので。」
とやんわり断ったのですが、その後電話で、「なんとかお願いします。」と頼まれて、
受けることにしました。
実はこの家具の修理している様子をfacebookにアップしたら、2人の方から、
メッセージをもらいました。
2人とも、家具職人の父を持ち、現在、ご自身も真剣に木工を営んでいる方です。
幼い頃、家具職人の父親がこのような家具を作っていたというOさんは、
特攻志願兵であり、終戦後、大工、家具職人、建築設計など、
激動の時代を生きてきた父親に思いを馳せていました。
そして、古い家具の再生を得手としている家具職人の父親を持つTさんは、
父親が写真のような木釘を作っていた日の晩は決って、削りカスをお風呂に
入れて入ったものです。
というエピソードを教えてくれました。
木釘をヒノキやヒバで作っていたそうなので、きっとよい香りとともに思い出したんでしょうね。
本物とそうでないものの違いはどこにあるか?と問われたら、
“時の試練”に耐えられるかどうか。だと思います。
そして、“時の試練”を耐えるには?と問われたら、
“時の試練”に耐えうる物語りがあるか?だと思います。
時というのは、すべてのものを風化させる。
ものだけでなく記憶も。
そして記憶には形がない。
僕ら3次元で生きている人間は、形ある“もの”を通して、
風化した記憶を呼び戻すことができる。
そこに“もの”がなかったら、記憶は風化してしまったままになってしまう。
この家具は100年という“時の試練”を乗り越えることができた本物です。
そして、100年の間に宿った、たくさんの物語りを持っている。
隠しても隠しきれず滲み出す物語りが、OさんやTさんの、もしかしたら風化
しつつある記憶を、鮮明に呼び覚ましたんじゃないかと思うのです。
もの作りは大きく分けて、二つの種類がある。
“時の試練”に挑むか、挑まないか。
それは、感動を作るか、作らないか。という問いに置き換えてもいい。
子供の頃の記憶だとか、両親の記憶だとか、昔の思い出だとか、そんなものが、
心を温かくしたり、奮い立たせたり、ほっとしたり、心を豊にすることがある。
旅する木の家具が、そんな記憶を呼び戻す理由であったら嬉しい。
だから僕はこれからも、“時の試練”に挑みたい。