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夜這いから平安に思いを馳せる
世界中の人の動き、経済活動が抑えられている今、地球の環境は著しく改善され、宇宙から見た地球は、とても美しいのだそうです。
日も伸びてきて、工房で仕事が終わる頃の夕焼けがとても綺麗で、遥か水平線の向こうに沈む夕日が、門のところに立っている二宮金次郎を黄昏色に染めていて、思わず立ち止まって手を合わせたくなる。
しばらくすると、まだ微かにピンクかかっている夕日が沈んだ方向の空に、キラッと光る星が現れます。空をぐる〜と見回しても、他に光るものはない。一番星。金星です。
この、水平線に残っているピンクが、上にいくにつれて徐々に紫、濃い紫、藍色になったくらいの空に一点輝く金星がすごくいい。
「いつの世でも一番星は俺なんだ!」
ん〜、ちょっと違いますね。
「さあ、明かりの世界のいろんな出来事から心を解放して。しばらくの間、私のショーをご覧なさい。」
んん!こっちのほうがしっくり来る。そんな華やかな女性らしい自信と気品が感じられる。
でもこの一番星の金星は、すぐにその姿を消します。
金星がその美しい姿を見せてくれるのは夕方『宵の明星』と明け方『明けの明星』のみ。
他の星が現れたら、すーっとステージから姿を消すその誇り高き様と、潔さ、それを嫌味なく納得させてしまうほどの美しさを持った金星は、僕のイメージでは…
『紅の豚』のジーナ
なんですね(笑)。
誰もが憧れて、自分のものにしたいと願いながら、決して誰の手にも落ちない。美しくも、どこか淋しくて、孤高な女性。ってところでしょうか。
そう。太鼓の昔から、金星は女性に喩えられて来ました。
知られているのは、ローマの神話では金星は”ヴィーナス”と呼ばれてますよね。調べてみると、メソポタミアでは、美の女神”イシュタル”、ギリシャでは”アフロディーテ”など、世界各地で女性名が当てられているんだとか。
っと、今こんな風に調べていたら、面白い記事を発見!
平安時代、宵の明星を『夕星(ゆうづつ/ゆうつづ)』と呼んでいたそうで、清少納言の『枕草子』の中で「星はすばる。ひこぼし。ゆうづつ、よばひ星…」とあるように、夜を彩る美しい星の一つとして挙げられていたんだそうです。
”すばる”はそう、お馴染み、”昴”です。おうし座のプレアデス星雲。冬に見られます。
”ひこぼし”も、お馴染み、七夕の彦星ですね。わし座のアルタイル。こと座のベガ、はくちょう座のデネブと夏の大三角を形成する星です。夏の星の代名詞。
”ゆうづつ”は金星。宵の明星
”よばひ星”…???
よばひ? → よばい? → 夜這い?
なんか、妙に落ち着かなくなって来るじゃないですか!
”夜這い” という言葉。
心がざわざわっとするのは、僕だけ?
”よばひ星”を調べてみると…
『流れ星』
なんですって。
ああ、流れ星ね。うまいこと言いますよね〜。”流れ星”を”夜這い星”って。確かに!
昔の人の感性に感心してしまいました。
先ほどの清少納言の枕草子には、続きがありまして。
「星はすばる。ひこぼし。ゆうづつ、よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」
現代語訳にすると、
「星といえば、先ずすばる。彦星や宵の明星もいい。流れ星も興味深い。でも、尾がなければもっといいのに。」
という意味なのだそう。
流れ星の趣って、その余韻(尾)ですよね。
それが無い方がいいとは?
「よばふ」とは、「好きな人を呼び続ける」とか、「求婚」という意味なのですが、当時の風習の中に、まさに「夜這い」というように、「夜、男の人が好きな女の人のところに、隠れて会いに行く」という意味があったようで、清少納言は
「尾など残して派手に現れたら、せっかくのお忍びのデートが人目についちゃうじゃないの。」という意味を含ませたんですね。
なんか、胸がキュンとしませんか?
ただ単に、清少納言=枕草子
としか学ぶことのない清少納言という女性が、なんだか奥ゆかしく、可愛らしい女性に思えて来ます。
テレビをつけると不安になることばかりですが、夕方、ちょっと外に出て、西の空を見上げて見ましょう。きっと一番星が輝いています。
そう。その星を1000年前に清少納言が見ていたんだな。なんて思いながら。
夜空を見上げながら、平安の世に思いを馳せるのも、すこしをかし…。