いつも音楽があった | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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いつも音楽があった

死んじまいたいほどの 苦しみ悲しみ
そんなものの ひとつやふたつ
誰もがここあそこに 背負い込んでいるもの
腰をおろし ふさぎ込んでも答えはNothing!

高校時代、僕は長渕剛にハマっていまして。
上の歌詞は好きだった『STAY DREAM』(長渕剛)の出だしの歌詞。

先日、一人でドライブをしながら、帯広まで映画を見に行きました。気持ちよくドライブをしていると、YouTube Musicから、突然、長渕剛が流れてきて、驚くと共に、思わず「懐かしい〜!」と独り叫んでしまいました。

石勝峠を越えると広大な十勝平野がドーンと目の前に広がるこの道は、学生時代、北海道中を旅していた頃は、「北海道はでっかいど〜!」って叫びたくなるような開放感に包まれて感動したことを、長渕剛の曲が思い出させてくれました。

『昔のそれを感じた時の気持ち』の部屋が、心の中にいくつもいくつもあるとしたら、視覚より、聴覚や嗅覚の方が すーっとその部屋の扉を開けてくれるんだと思います。いや、開けてくれるというより、いつの間にかその部屋の中に導かれている。という感じ。

人生には、節目ごとに思い出の曲がありますよね。その時期の心にハマる曲というか。
ドライブしながら、ふと、僕の人生を曲と共に振り返ってみよう!なんて思って、あの頃はこの曲、その頃はその曲…なんて選んで聞きながら、ドライブを楽しみました。

冒頭で書いたように、高校時代は長渕剛が好きでしたね。
時代はレコードからCDになり、初めて買ったCDが長渕剛の『HOLD  YOUR LAST CHANCE』
ワクワクしながらコンポのCDボタンを押したものです。

♪♪♪
傷つき打ちのめされても 這い上がる力が欲しい
人は皆 弱虫を 背負って生きている

君が愛にしがみつくより 先ずは君が強くなれ
♪♪♪ 『HOLD  YOUR LAST CHANCE』(長渕剛)より

♪♪♪
一番怖いものは 勇気だと知った時
自分の弱さに思わず鼻をつまんだ
もうこれ以上先へは進めない
たとえば 挫折が目の前に立ちはだかる

その痩せこけた 頬のままで
果てしない迷路の中を
人はみんな手探りしてでも Stay Dream
♪♪♪『STAY DREAM』(長渕剛)より

こんな曲を高校時代、そして大学時代、一人暮らしのアパートの出窓に腰かけて、タバコを吸いながら聴いてましたね。
自分に酔うのもいい加減にしろ!ってもんで(笑)。

とにかく、これといった夢も無く、いや、夢はあったんだろうけど、それに立ち向かう勇気のないちっぽけな自分に焦ったり、苛立ったりしながら、一生懸命エールを送っていたんですね。何やってんだ!俺!がんばれ!がんばれ!って。
そんな学生時代でした。

富良野塾に入って、脚本家になりたい!なんて夢をあっさり諦め、カメラの開発者として過ごしたオリンパス時代。
この時代はある意味、精神的には苦悩な時代でしたね。
中年の先輩に「なんか、こう〜、胸の奥からグワ〜って燃えるような熱いものが無いんですけど。なんのために生きてるのか?って質問に答えられない。」なんて相談していたものです。
その頃は、

♪♪♪
君と出会った奇跡が この胸に溢れてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい
♪♪♪ 『空も飛べるはず』(スピッツ)より

ちょっと軽い感じですね。
自分の心を向き合うのを避けていたような気がします。

そしてオリンパスを辞めて木工の道を進むのですが、
その頃聞いていたのは

♪♪♪
閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
きっと きっとって 僕を動かしてる
いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしたい
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅

難しく考え出すと 結局全てが嫌になって
そっと そっと 逃げ出したくなるけど
高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな
まだ限界だなんて認めちゃいないさ
♪♪♪ 『終わりなき旅』(Mr.Children)より

人生の大きな方向転換をした30手前の僕は、自分に言い聞かせていたんですね。
そのドアの向こうに、新しい自分が待っている。って。
そして、乗り越えるべき壁は、高ければ高い方が、登った時気持ちがいいもんさ。って。

そうして修行を積んで、さあ、独立を心に決める35歳の僕が聞いていたのは

♪♪♪
誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んで来た道だ
あの時想い描いた 夢の途中に今も
何度も何度もあきらめかけた夢の途中
いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと
♪♪♪ 『栄光の架橋』(ゆず)より

アテネオリンピックが開催されたこの年、低迷していた体操日本が、復活をかけて、団体での念願の金メダルを狙う最終種目の鉄棒。アナウンサーの実況にも熱が入ります。富田選手の最後の鉄棒の着地に向かう演技で、 アナウンサーの「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」という実況とともに、ピタッと着地が決まった瞬間の大歓声と、ガッツポーズに、自分の将来を重ね合わせながら、何度もこの曲を聞いていました。

そうして独立し、旅する木を立ち上げて3年が経ち、札幌から今の当別町東裏小学校に工房を移転した頃聞いていたのは

♪♪♪
地平線の先に辿り着いても 新しい地平線が広がるだけ
「もうやめにしようか?」自分の胸に聞くと
「まだ歩き続けたい」と返事が聞こえたよ
♪♪♪ 『GIFT (Mr.Children)より

独立する時の
”高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな”
という自分探しは、この頃にはもう終わっていたんですね。
”地平線の先に辿り着いても 新しい地平線が広がるだけ”
自分はこの先もずっと、この道で生きて行くんだ。という覚悟が決まったんだと思います。

そして今は?
ここ1,2年、聞いている曲は、

♪♪♪
When I find myself in times of trouble
ずっと悩んで苦しみ抜いた時、
Mother Mary comes to me
僕のもとに女神が現れたんだ
Speaking words of wisdom
そしてこんな言葉を呟いた
Let it be
身をまかせなさい

And in my hour of darkness
全てが暗闇に包まれた時
She is standing right in front of me
彼女は僕のすぐそばに立っていた
Speaking words of wisdom
そしてこう呟いたんだ
Let it be
身をゆだねなさい

Let it be, let it be, let it be, let it be
自分らしく、素直に生きればいい
Whisper words of wisdom
そんな素敵な言葉が聞こえてきたんだ
Let it be
身をゆだねなさい
♪♪♪ 『Let It Be』(ザ・ビートルズ)

 

理想の自分に追いつけない自分に苛立っていた10代〜20代、
自分探しをしていた30代
やっと見つけたものを光り輝かせるために、もがき続けた30代〜40代

そして今は、偉大な存在がいるのだとしたら、その存在に身を任せよう。
「あなたのしたいことに、僕を使ってください。」
という感じですね〜。

自分では全然意識してなかったのですが、こんなふうに振り返ってみると、その時の自分の心を映し出すかのように、その曲が僕の心を支えてくれていたんですね。

帯広には映画を見に行ったんです。
その帰り道、地平線の向こうの夕日が大きくて。
道路に車を止めて、駆け足で丘を登って、スマホで『Let It Be』を流しながら、沈む夕日を眺めていました。
ハアハア、と息切れをしながら振り向くと、僕よりもずっと大きな影が、僕の足元からずっと向こうまで伸びていました。