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『逃』と『逃』が似ている理由
早朝、工房の近くの畑には、亜麻の花が満開です。
旅する木の家具の塗装には、地元で栽培されている亜麻の種を絞った、亜麻仁油を塗っています。
16年前、札幌から当別に工房を移転した時、このことを知っていていたわけじゃなかったのですが、ここ、当別町の旧東裏小学校に移転して来て良かったことの一つです。
亜麻の花は、淡い紫色で、その小さな花びらは、あまりにか弱く可憐で、微風にさえも、ゆらゆら揺らされて散ってしまいそうで、風の強い朝は「風よ、もうちょっと優しく吹いて」とお願いしてしまいます。
日の出と共に咲いて、昼くらいには散ってしまいます。
あんなに満開だった全ての花びらが、午後には散っていて、一ひらの花びらも残っていない。
そして次の日の朝、別の蕾が咲き始めて、また広い畑を一面、淡い紫色に染めるのです。
一見、ひ弱に見えるけど、すごい生命力ですよね。
本当の強さとは、こういうことなのかな?なんて思いながら、風に揺られている亜麻畑の横を、毎朝犬と散歩をしています。
ところで、漢字って面白いですよね。
芸人のゴルゴ松本が、少年院で子供達に行った『漢字』の授業の動画、勉強になるし、感動します。
愚痴、弱音を『吐く』
でも、マイナス(ー)なことを吐かなくなった時、
夢は『叶う』
なるほど〜!
『幸』と『辛』は一本線があるかないかだけの違い。
苦難、困難、災難
それら無い人生は無難
でも誰の人生にも、苦難、困難、災難は起こる
難が有ること、それが
『有難し』
すごい!
泣きそうになります(笑)
今回、漢字について触れたかったのは、この動画の中にも出てきます、『逃』と『挑』という漢字が、なんで似ているんだろう?と、ふと思った出来事があったからなんですよね。
『逃』と『挑』という漢字が、なんで似ていると思いますか?
ちょっと前になりますが、こんな出来事がありました。
ここ数年の旅する木の主な仕事は、キッチンなんです。一年に10個くらいのキッチンを製作します。
なので、毎月のように現場仕事があります。
現場では、現場ごとにいろんな状況があって、その状況ごとに臨機応変に最善な方法、よりベターな方法を選択して、納めることになります。
これが現場仕事の一番大変なところであり、面白いところなんです。
工場長のくどけんは、もう何十回も僕と一緒に現場をこなしていて、大変な現場も納めてきています。でも、僕がいない状態で取り付けをしたことはないんです。
先日、僕がちょっと手術をすることがありまして。
予定的に、僕の手術の日か、その次の日にキッチンの取り付けをしなければならない現場があったんです。
その現場は、新築だったし、壁の絡みもそんなになくて、キッチンの取り付けとしては、一番難易度の低い現場だと判っていたんですね。
僕が思うに、初めて僕がいない状態で、くどけんと3年目のゆうやの二人だけで、取り付けするには、最適な現場なんです。
それで二人に、
「どうする?俺の手術の日に、二人で取り付けすれば、日程的に何かあった場合、次の日も猶予がある。それか、手術の次の日に取り付けだったら、作業はできないかも知れないけど、俺も現場に行って、指示はできる。でも、何かトラブルが発生した場合、次の日はない。判断は任せる」と。
僕としては、
「二人でやってみます!」
という答えを期待していたのですが、二人が出した答えは
「二人だけでの取り付けは不安なので、次の日、須田さんがいる時にしたいです」と。
ここで逃げるか〜。いずれは自分たちで、現場を納められるようにならなきゃいけないのに。その最初としては、これ以上ないってくらいちょうどいい現場なのになぁ。ここで挑戦しなかったら、いつ挑戦するんだ?と思いながらも、まあ、「判断は任せる」と言ってしまった手前、言わずに彼らの判断に従うことにしました。
ところが、手術の後、麻酔から覚めた時、先生に「明日の朝、傷口の洗浄するので、経過を見せに来てください」と言われてしまいました。
っということで、結局次の日、二人でキッチンの取り付けをすることになってしまったんですね。
しかも、手術の当日だったら、次の日にやり残してもいいという猶予が1日あったのに、次の日にしてしまったので、その猶予がない。
そのとばっちりは、僕にも…
パーツに分けたキッチンをハイエースに積み込んで運ぶんですけど、彼らはハイエースを運転出来ない!
前日に取り付けすることを決めていたら、1日だけの年齢制限なしの保険に入ったのですが、もう手遅れ。
ということで、結局その日の夜、僕が運転して現場に搬入だけをしに札幌まで行ったんですね。
手術直後だし、先生には、麻酔をしたので、その日は運転はしないでくださいっと言われているにも関わらず、運転せざるを得ない状況に、僕は不満が爆発。
運転しながら、とくとくと説教。
「あのさぁ、二人は現場もこなせる職人になりたんだよね?
今まで何十回もキッチンの取り付けをして来てさぁ、もうある程度自分たちだけで出来るよね?
今回の現場、取り付けとしては、これ以上ないってくらい、難易度は低いのわかってるよね。
正直、自分たちだけでも取り付け出来そうだと思うしょ?
すごい良い機会だったんじゃないの?
なんで挑戦しようとしなかったの?
… 」
さっき見たゴルゴ松本の『愚痴を吐く』の動画を、この前に見ていたら、こんなに愚痴を吐かなかったんですけどね(笑)
なんせ傷口が疼いだものですから、つい…
僕が彼らに言いたかったのは、これなんです。
「この世界には流れってものがあるんだよ。
二人は、一人前に現場もこなせる職人になりたいと思っている。
たまたま取り付けが、俺の手術の日と重なった。
たまたま今回の現場は難易度が低い。
たまたま現場は札幌で、何かあっても、工房に戻って、手直しとかすることが出来る。
この、『たまたま〇〇』っていうのは、神様の『やりなさい』っていう言葉なんだよ。流れってそういうもの。
それをねぇ、やれ不安だから、やれ失敗したら、やれ自信がない、やれ…って言い訳して逃げてたって、結局やらされるの。
神様の『やりなさい』は絶対だから。もうやることになってんの。未来は決まってるの。
逃げたって追いかけてくるの。
逃げれば逃げるほど、大きくなって追いかけてくるんだよ。
アナと雪の女王の、なんだっけ?鼻が人参のやつが、雪山で雪玉に追いかけられるやつみたいに。逃げれば逃げるほど、追いかけてくる雪玉は大きくなるんだよ。
どっかで覚悟決めて、振り返って、ドンって受け止めなきゃ
どうせやることになってるんだから、『やりなさい』っていうタイミングが来た時に、素直に、『精一杯頑張ります』って覚悟を決めて挑戦した方が、流れに乗って出来ちゃうもんなんだよ。無理な時は、ちゃんと助けが入るようになってるの。」
と、僕が経験して感じている、この世界の仕組みとも、ただの愚痴とも言えぬことを言いながら、夜の現場で、キッチンのパーツを搬入しました。
次の日、僕は朝、病院で30分くらい見てもらっただけなので、午前の早い時間には診察が終わっていました。
現場の二人が気になったのですが、その日はゆっくり本を読んで過ごしました。
僕の見立てでは、搬入は昨日終えていて、朝から作業できるから、遅くとも6時には帰って来るだろうっと。
そしたら二人を連れて、地元の美味しい中華屋さんに食べに行こう!と決めていました。
ところが、6時になっても帰って来ない。
7時になっても帰って来ない。
とうとう8時になって電話したら、
「今終わって、片付けしているところです。工房に戻るのは9時過ぎになります」っと。
こっちは待ちくたびれて、お腹も空いているし、ちょっとイラッとして
「え?時間かかりすぎじゃない?何をそんなに手こずってるの?」っと文句を言ってしまいました。
やっぱり簡単だと思っていた現場でも、一つや二つ、大なり小なり問題が起こるもので、二人で考えて対処していて、自分たちが思っていたよりも時間がかかってしまったんだそう。
「でも、綺麗に納まったと思います」とのことで、一安心。
お腹ペコペコの僕はすっかり口が中華になっていたので、遅い時間だけど、みんなで行こうと思っていた中華料理屋さんに一人で行きました。
お客さんがいなかったんでしょうね。閉店時間ちょっと前だったのに、店を閉めていました。
それじゃあと、近くの焼き鳥屋さんに行くと、なんと、臨時休業!
仕方ない、コンビニにしようかと、コンビニに車を走らせてる途中に、ラーメン屋を見つけました。
ラーメンって感じでもなかったので迷ったのですが、まあいいか。とラーメン屋さんに車を停めて、ガラガラっとドアを開けて店に入ると、年配の男性が一人、カウンターに座って食べていました。
!!!
迷わず隣に座って、声を掛けました。
その方も、「おお、須田君、こんなところで会うとは」っと。
その方は、その時、僕が一番会いたかった方、会って、話をしなければいけないと思っていて、でも、ちょっと気が引けて、わざわざアポをとって会うというのを先送りにしていた方だったんです。
その方と話をした後、帰りの車の中で、しみじみと思いました。
この世界って不思議だなぁ。
本当にいろんないろんな可能性が絡み合って、影響し合って、その瞬間瞬間に現実が創られて、僕らはそれを体験している。
どこまでが決まっていて、僕らに与えられている自由意志はどれほどなんだろう?
やっぱり若者たちは、僕が「どうする?」って尋ねたときに、「やってみます」と挑戦すればよかったのに。と思います。
結局、二人で取り付けすることは、決まっていたんだと思います。
そうじゃなかったら、そもそも僕の手術と取り付けの日程が被らなくてもよかった。
挑戦したとしても、きっとそれでも同じように時間がかかって、そして最後はうまく取り付けできたんだろう。
そしたら僕に、「よくやった!頑張ったじゃん!こんな遅くまでお疲れ様。ありがとう」って言われたんだと思う。
あの時彼らには、そういう可能性もあった。
まあ、そもそも僕がもっと人間としてできていて、彼らがどんな選択をしても、どんな結果を見せられても、そう言えればいいんですけどね…。。
そこが僕の学びの一つかな。
今回の出来事の中で、僕が、「ああ、やっぱりこれでよかったんだなぁ」と思ったことは…
検査の後、現場に行かなかったこと。
実はかなり迷ったんです。
二人で大丈夫かな?うまくいってるかな?サプライズで現場に行こうかな?っと。
でも、ここは二人を信じて、遠くから眺めていようっと思って、一日、本を読んで過ごしていたんですね。
その後のことは、説明した通り。
僕が彼らを心配して現場に行っていたら、ラーメン屋には行けなかった。
今日は彼らを助けには行かない。二人でできるはず!と決めたことで、僕がその方と会う道筋が整えられたんだと思います。
中華料理屋を早々と閉めさせて、焼き鳥屋を臨時休業させるとは、なかなか神様も強引な手を使う(笑)。
でも、お陰でその方と会えて、僕にとって、そして旅する木にとって、大きな意味のある話が出来たんですね。
『逃』と『挑』という漢字が、なんで似ているんだろう?
僕の思う答えはですね…
流れの中では、所詮、逃げても、いずれ挑むことになる。
そして子供や、友達や、家族や、会社の仲間など、親しい人、守るべき者が何かに挑んでいる時、ついつい手を貸したり、口を出したりしたくなるもの。でもそこをじっと我慢して、黙って眺めている。それがその人を信頼しているということ。
だから、『逃』と『挑』と『眺』は似てるんだと思う。