『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。
つむじ風通信実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。
秋の夕焼けは美しいですね〜。
遠くの山が燃えてるんじゃないかと思うくらい。
こういう風景が毎日目の前にあるというのは、本当に心を豊にしてくれます。
田舎暮らしの良いところですね。ただ、田舎暮らし、当然、良いことばかりじゃありません。
面倒くさいこともあります。
それは何かって?
子供たちの送り迎え。
高校生になった娘は、自転車で駅まで通っているのですが、雨や強風の日は
自転車を旅木カー(ハイエース)に積んで、送迎。
最近、小2の息子は、週末、学校の友達と遊ぶようになりました。
友達の多くは当別の街に住んでいます。
遅ればせながら、今年やっと自転車に乗れるようになった息子を、車がびゅんびゅん飛ばす
国道や、農道をフラフラしながら行かせる訳にいかず、旅木カーに自転車を積んで、
街まで送迎。
妻はロングのハイエースを運転出来ないので、自転車を積む場合は、いつも僕が送迎
しなければならず、これが結構面倒くさい。
まあ、素晴らしい環境で暮らしているのだから、仕方ないな。と思いながらも。週末遊びに行く息子には、
「遊び終わって迎えに来て欲しい時は、駅前の公衆電話から電話するんだよ。」と、
30円と、僕の携帯の番号をメモった紙を持たせています。この前、一応5時30分に約束していたので、その時間に駅に迎えにいきました。
すると、案の定、公衆電話のボックスの中に、電話をかけている息子の姿が。
わざと少し離れたところで僕は待機しています。
ところが、ちっとも携帯が鳴らない。
僕に似て、1学年下と比べても、まだ小さいくらいの身長の息子は、
受話器を耳と肩に挟みながら、片方の手で10円を入れて、もう片方の手でメモの紙を持って、
そして10円を入れた方の手で番号を押すのに、相当苦戦している様子。何回も受話器を落としてしまっては、それを拾って、もう一度戻して、
十円を取って、また受話器を取って、ダイヤルを押して…、を繰り返しています。
そして多分上手くいったんでしょう。ダイヤルを押し終わった後、しばらく受話器を耳に当てて
待っている様子。
でも僕の携帯は鳴らない。
しばらくしてまた受話器を戻してやり直している。
きっと押したつもりのダイヤルが、押さされてなかった(北海道弁)んでしょうね。
毎日、家にいる息子としか接したことのない僕は、そんな息子の姿を見ていたら、
急に愛おしく感じてきて、なんだかジーンと来るのです。
自分の携帯を見つめながら、「どうか繋がってくれ〜。」と携帯を握る手に、自然と
力が入ってしまう。とうとう繋がった携帯電話に出ると、
何ともなかったような声で、「パパ〜、迎えに来て〜。」
「もう後ろにいるよ〜。」と言うと、
いつの間にか、随分乗り馴れた自転車に乗って、ニコニコ顔でこっちにやってきます。「誰と遊んだの?」
「何して遊んだの?」
「どこ行ったの?」
なんて、稲刈りが終わったばかりの田んぼの中の農道を走らせながらする
たわいもない会話が、以外と幸せな時間だったりして。急に息子が
「うわ〜、すごいよ〜。夕焼け。」バックミラー越しに後ろを見ると、燃えるようなオレンジに輝く夕焼けが
地平線に広がっていました。
**************************************音威子府村役場に勤めた友人が、広報を整理していた時見つけた、
17年前の広報の表紙の写真を送ってくれました。
僕が高等技術専門学院1年生の夏休み、1ヶ月間、音威子府キャンプ場でキャンプしながら、
コンペに出展する作品を製作していた時、取材された写真。
木工に対する情熱を、蓋をして押さえても吹き飛ばして溢れて、自分でもどうしようもなく、
回りの迷惑とか、気持ちとか顧みず、突っ走っていた気がしますね。
ちなみに作っているものは、備長炭が木琴替わりになって、音を奏でる、大きなオルゴール。
関西のコンペに出展。北海道らしさを出そうと、奏でた曲は『北の国から』(笑)
結果は選外。
悔しくて、納得出来なくて、「どうして?どこが?」と主催者を問いつめたものです。
大好きな星野道夫の言葉、
「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」
木工の世界に入ったばかりの最初の夏、この音威子府での1ヶ月が、その後の僕の木工人生に与えた
影響は、計り知れない。
思いがけず友人が送ってくれた若かりし頃の写真の僕が、今の僕に強烈なメッセージを送って
くれているような気がしました。
それにしても髪が多い(笑)。。
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上の写真は、僕の道具箱です。
カンナとかノミとか、仕事で使う、主に手工具が目一杯入っています。
この道具箱、旭川での修業時代に作ったもの。
その会社ではルールがあって、2年目になったら自分の道具箱を持つことが許され、
自分でデザインし、勤務時間外で各々製作することになっています。
なので、かれこれ十数年前に作ったものですね。
もちろん、いまだバリバリの現役で大活躍中。この道具箱、いろんな思いが詰まっています。
せっかく自分の道具箱を作る機会をもらったのだから、普段の仕事では使わない技術を
使おう!難しい技に挑戦してみよう!
と、最高級の仕口(蟻組の表し)を使って組むようにデザインしたんですね。
当時、僕が尊敬する家具作家さんの作品には、よく使われていたんです。
「かっこいいな〜。スゲ〜な〜。」なんて思って見ていました。
ちなみに、感覚というか、好みは、本当に人それぞれなんですね。
その尊敬する家具作家さんの作品展を、当時、妻と一緒に見に行くと、
僕はしきりに感激しまくってるんです。
感激して妻に、「いいだろ〜、これ。スゴいだろ〜、これ。」なんて思いを伝えようとしてるのに、
妻は「難しいんだろうな〜。というのは解るけど、別にいらない!」
とバッサリ。
この辺の感覚は後の僕の作品作りに結構影響を与えてたりして…。
家具作家はついついやり過ぎちゃうんですね。
見せ場を作り過ぎちゃうんです。
「俺はこんなことも出来るんだ。こんな難しいことが出来るんだ。どうだ!」
と言わんばかりに。
僕が家具をデザインする時、”やり過ぎない”ということを結構考えています。
”やり過ぎず、やらな過ぎず”というところのバランスを。まあ、当時は貪欲に技術を身につけようと必死だったので、とにかく全てを蟻組で組むことに
挑戦すべく、みんなが帰った後、一人黙々と蟻加工をしていたんです。
でも、木工業界に入って一年足らずの僕には、難し過ぎましたね。
全然上手くいかない。
手直し、手直しを繰り返しているうちに、どんどん隙間が大きくなっていって、
とても組める状態じゃなくなってしまう。。
結局、加工で刻んだ部分を全部埋め直して、簡単な加工に切り替えて製作しました。その思いというか、やり残した感、敗北感がずっと残っていて、いつか蟻組の表しの仕口をやりたい!
と思って、提案するのですが、当然難しい仕口なので、金額も張ってしまう。
なかなかチャンスがないのですが、それでも今まで何回か蟻組の表しの仕口を使った仕事を
させてもらいました。
その中でも思い出深い仕事がこれ。
お賽銭箱です。
詳細は → こちら木工関係者が見たら、鼻血が出てしまうような、超〜高度な技術と、その技術を持ってして
可能になった遊び心が表現されていて、
「自分を最も表現した作品はなんですか?」
と問われたら、この作品を答えるんじゃないかな?と思う作品です。話しが反れちゃいましたね。
だから、この道具箱の至る所に、失敗した加工を埋め直した痕跡が残っています。
その痕跡を見る度に、ちょっと残念な気持ちと、未熟なりに果敢に挑戦し、敗れ去った
潔さというか、若さのようなものを感じます。”若さ”というのは未熟なくせに、エネルギーに溢れていて、前に進む推進力になるんだと
思います。
敗れ去ったものの、時間外、みんなとっくに帰ってしまった暗い工房で、当時の自分の技量の
及ばない加工をしてみようと思った、そのエネルギーがあったから、後に、僕の中でもっとも
自分らしい作品と思える作品に出会えたわけですから。毎日手に触れる道具箱には、こんな思い出が、失敗した刃物の痕と共に刻まれているのです。
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まだ本州の天気予報を見ると、27、28℃とか言ってますが、北海道はすっかり秋らしく、
朝晩は上着がなければ寒くていられません。
天候も不安定で、豪雨と青空を分刻みで繰り返している感じです。
お陰で車で走っているとしょっちゅう美しい虹のアーチを見ることが出来ます。
そして昨夜、北海道に帰ってきて久しぶりに星空が見れました。
ぼんやり空を見上げると、アラスカの夜を思い出します。
北極星がほぼ真上にあるアラスカの空。
9月のアラスカは、北海道でいえば11月末くらいで、夜の気温は氷点下です。
それでもオーロラを見逃すまいと、毎晩テントの外、地面にマットを敷いて、
シュラフにくるまって、顔だけ出してアラスカの夜空を一晩中見上げていました。
顔の真上に北極星があるんですね。
「こんな真上に北極星がある!ここは北極圏だ。アラスカなんだ!」と実感します。8月末から約2週間、アラスカのフィールドを旅してきました。
オーロラと大自然、野生動物を巡る旅。
その時の様子を納めた写真は → こちら
アラスカの大地に寝転んで一晩中オーロラを待っていたり、昼間、フィールドに
入ってブルーベリを摘んだり、大きな岩に座って果てしなく続く、真っ赤に紅葉した
ツンドラを眺めていると、いろんな事を考えたり、見えてくるものです。
普段日記など書かない僕ですが、ついついその心の移り変わりや、心境を書き留めたく
なるものです。アラスカの旅で感じたことなどを上手く書こうと思って今、写真や日記を見返してみたのだけど、
やっぱりアラスカの大自然を目の前にして、その瞬間に感じたことを乱筆で書きなぐった日記を、
そのまま書くのが一番伝わりそうですね。++++++++++++++++++++++++++++++++
9/5 朝8時 雨
昨夜から降り出したシトシトとした雨は、一晩中降り続いた。
結局オーロラは見られなかった。
こんな日もあるさ。
自然にはどうやったって逆らえない。昨日はキャンプ地の道路から、ツンドラ地帯の中に歩いて入っていった。
ツンドラの中はフカフカのスポンジの上を歩いているようで、足首まで沈んでしまって
歩きにくい。
足元には、地衣類やコケ類が敷き詰められ、低灌木が地面を這い、ブルーベリーやラズベリーが
いたるところに生息し、所々にカリブーやムースのフンが落ちている。
朝食はブルーベリーをカップ一杯に摘んで、パンと一緒に食べた。
真っ赤に紅葉した秋のツンドラの鮮やかな彩りがどこまでも続いていて美しい。
このツンドラの広がりの中に、双眼鏡でカリブーの姿を探したが、探せど、探せど見当たらなかった。広大な自然は、誰の為でもなく、それぞれの生のためだけに息づいている。
オーロラさえも。
ポツボツとテントに当たる雨の音の中で目をつぶっていると、この雲の上ではきっと、
オーロラが美しいダンスを踊っているんだろう。と、その姿を想像する。
誰の為でもなく、誰に見せる為でもなく。ああ、自然とはそういうものなのだ。
憧れのアラスカの大地にいるのだと、叫び出したいような高揚とは裏腹に、何か寂しさというか、
悲しさというか、そのようなものをいつも感じている。
これはなんだろう?ずっとそのことを考えている。
通信機器が使えないことによる孤独感なのか?
いやそうではない。
人恋しさなのか?
それも違う。
僕がどれだけ想いを寄せようと、アラスカの自然は無表情にそこに存在するだけ。
そのスケールが、僕の心のスケールを越えているからなのだろうか?
今ここにある風景は、何千年も同じ歩みをただ繰り返している。ということもより一層
その気持ちを募らせる。
言い換えれば、自分の存在の小ささを身をもって感じているのだろう。他の誰の為でない。いつ、誰に対しても同じ。
それは強さであり、優しさでもある気がした。++++++++++++++++++++++++++++++++
何もない、誰とも繋がらない世界というのは、ある大きな力を秘めています。
想像力という。
日常に流されず、誰かや、必要のない情報に惑わされず、真っすぐに自分の心と向き合う時間を
持てたことは、僕にとって、大切な時間でした。
そして今、思い出してみると、美しいオーロラよりも、壮大なアラスカ山脈よりも、
黙々とブルーベリーを食べているグリズリーよりも、とても優しい目をしていたオオカミよりも、
氷点下の寒さの中、アラスカの大地で、シュラフに潜り込んで、顔だけ出してオーロラを待った
その時間こそが、今回のアラスカの旅の中で、最も重要な意味を持つ出来事でした。星野道夫の著書『旅をする木』の中の、こんな一文を思い出しました。
「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」
僕が2週間、アラスカを旅している間、旅する木は、山口君、花輪君、大志、妻篤子が
しっかり守ってくれていました。
出発前、それぞれが「今までご苦労様でした。仕事のことは一切心配せず、アラスカを楽しんで
来て下さい。」
と送り出してくれました。
みんなのお陰で、とても素晴らしい時間、経験をすることが出来ました。
アラスカの大自然の中、霧のようにまとわりつく寂しさと悲しさを感じていた時、
その霧を晴らす答えを見つけました。
簡単なことでした。
”楽しいことをして行こう!”それは、自分勝手に、自分だけ、ということではなく、自分を取り巻く環境の中、
身近にいる人たちと”共に”。
家族や社員たちが楽しく暮らし、楽しく仕事をできるような、そんな環境をみんなで作っていこう。
わざわざ北極圏のアラスカまで行って、たどり着いた答えは、こんな簡単で当たり前のことでした。
でも、僕の目に映る、いつもの見慣れた世界は、確かに今までより色鮮やかに、瑞々しく感じます。新しい旅する木のスタイルが生まれそうな、そんな確かな感覚が僕の中で育っている。
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写真で見る、アラスカの旅 → こちら
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お盆が過ぎてしまいましたね〜。
北海道はお盆を過ぎると、一気に秋の気配がしてきます。このお盆休みは息子と二人でキャンプに行きました。
南富良野の山の中に。
キャンプ場でもなんでもないところなので、息子と二人っきり、
真っ暗闇の中で焚き火をして、花火をして、テントで寝ました。
電灯も、町の灯りも何もない、あるのは月の光だけ。という山の中で、
過ごすというのは、なんだか贅沢な気持ちになりますね。
この世界を独り占めしたかのようで。まだ息子は7歳で、焚き火をしながら二人で語り合うという歳ではないのですが、
もっと大きくなって、そんなことが出来たら嬉しいですね。昼間は南富良野の落合という部落を流れているシーソラプチ川〜空知川にかけて、
ラフティングをしました。
昔、バカのようにカヤックをやっていた頃、ここはホームゲレンデにしていたところ。
独立前なのでもう10年くらい昔の話しですね。
全ての川の流れや、瀬、落ち込みが頭に入っていたコースですが、10年の間の
増水などで、川の流れや、倒木の位置などが変わってはいますが、相変わらずの
水の綺麗さ、冷たさ、風景の美しいさ、ダイナミックな瀬や落ち込みの迫力に
懐かしさが込み上げて来ました。独立して9年になります。
ただひたすら、無我夢中で仕事と、仕事に繋がる為の、結果的に無駄?なことをして来ました。
毎週のように通っていた川にも一切行かなくなり、家族サービスもせず、
年間の休みも10日ほど…。という9年間。
その間に社員が増え、それぞれ家族がいて、僕は絶対そうならない!と
思っていたのですが、やっぱり背負うものが多くなり、自分の楽しむゆとりのある時間が
ないと、精神的に追いつめられたりして、心が疲弊してくるものです。
大事なものを大事にすることが出来なくなってきて、「一体何の為に仕事をしているのか?」
「何の為に生きているのか?」という根本的なものを突きつけられいます。それでも毎日家具作りをしています。
木と向き合っていると心が落ち着き、癒されるのを感じます。
究極の精度を求めていると、無心になれます。
ただ、文章を書く気持ちになれないのです。
言葉が出て来ない。
心は痩せ細っていきますから。
なかなかパソコンに向かおうという気持ちになれくて、今年はつむ通も
随分間隔が空いてしまっているのは、そういうことなんです。”遊ぶ為に仕事”をしていた僕が、生き甲斐とか、やり甲斐とかを求め独立したのに、
いつの間にか仕事に呑み込まれて心のバランスを崩し、そんな自分に気付かないくらい
自分を顧みない生活をしていた僕の心に、シーソラプチ川の澄んだ水が染みて来ました。
「やっと帰って来たね。待ってたよ。また一緒に遊ぼうよ。」
と言っている気がしました。心がこんなにも自然を欲していることにハッとしました。
仕事も大事だけど、その中できちんと自分の時間を作って、またカヤックを復活したり、
森に入ったり、山に登ったり、身近な自然を感じようと思います。”身近な自然”とは別に、”圧倒的スケールの大自然”の中で自分を見つめ直したい。
という思いも強くなり、決心しました。
「アラスカに行こう!」『旅する木』という社名をつけたのも、写真家、星野道夫が写真や文章で表現するアラスカに
魅かれて、彼の本『旅をする木』から取らせてもらったもの。
僕が毎日時間に追われて仕事をしている、その同じ時間に、アラスカの大地には、動物達には、
どんな時が流れているのか?感じてみたいと思います。
突然ですが、9月初旬の2週間、僕はアラスカにいることにしました。
札幌在住のオーロラの写真家、中垣さんの撮影に同行する。というもの。
ホテルに泊まるわけではなく、街をぶらつくわけでもなく、ずっとフィールドを転々とし、
撮影ポイントでキャンプ。
アラスカの大地を全身全霊で感じたい僕にとっては、願ったり叶ったりの旅です。
本当は、全てが心の中にあるのだから、自然の中にいなくたって、アラスカに行かなくたって、
きちんと自分の心と向き合えば、そこに答えがあるのだろうけど、でも、テレビもラジオも新聞も、
パソコンも携帯電話も無い、壮大な自然の中で、溢れる情報に惑わされること無く、ただそこにある
自然を感じ、自分を内観出来る時間を持てることは、今の僕にとってはあまりに贅沢で貴重で、
必要なことのような気がします。もう出発まであまり時間がなく、準備も何もしていないので、ちょっと焦っています。
相変わらずだな〜。と笑ってしまいます。アラスカの大地に流れる太古の昔から変わることの無い”悠久の時間”の中で、
僕は何を感じるのだろう。
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