『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。


2019/1/1 ”勝手に旅する木”

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末の挨拶を書こうと、大晦日にPCを前にしつつ、
今年の紅白の面白さについ夢中になって、気が付いたら除夜の鐘を聞いてました…。
昨年も皆様に支えられて、無事年を越すことが出来ました。
本当にありがとうございました。

紅白の話し。
最後のサザンの盛り上がりはすごかったですね〜。
桑田圭祐、すご過ぎです!
頭も気持ちもクニャクニャに柔らかいんでしょうね〜。
歳を重ねると、頭も気持ちも固く、頑固になる人が多く、僕も例外ではないので、
この様な人を見ると、いいなぁ。こんな風な人になりたいな。と思います。

ちなみに桑田圭祐のマヤ歴を調べてみたところ、
Kin9 赤い月/赤い龍 でした〜。←知ってる人いる〜(笑)!
赤い月の人のキーワードは、”新しい流れ””浄化”
常に音楽会をリードして、新しい流れを作り続けているので、40年前の曲
『勝手にシンドバッド』が、こんなにも新しく、盛り上がるんですね〜。
僕が 青い猿/青い嵐 なので、Kin9の赤い月/赤い龍とは、クロスの反対キンなんですね。
自分の持っていないものを持っているの人なので、なにか魂が魅かれるんですね。

今年は旅する木に新人が3人も入ります。
20歳が二人、23歳一人。ともに男性。
せっかく若者に囲まれるわけなので、頭を柔らかく、気持ちを若々しく
アメーバのようにどんな形にもなれて、シャボン玉のように、風に任せてフワフワと
飛んでいるような中年オヤジを目指します!
これが新年早々の僕の所信表明?…です。

つむ通を昔から読んでくれている人は、須田さん、変わってきてるな〜。って思う方も
いるんじゃないかな〜?
昔は、こうなりたい!ここを目指したい!旅する木をこうしていきたい!こんな男になりたい!
など、筋の通った一本気のような感じが好きで、そうありたいと思っていました。
でも、最近は、”目標”とか”かくありたい”という自分を縛り付ける固いものは
できるだけそぎ落として、あるがまま、なすがまま、流されるままに生きていきたい。
と思うようになっています。

ある意味、”開き直った人生”ですかね〜。
それは向上心がないということではなく、人生を神様に委ねてしまうというか。
「僕という人間を使って、神様が表現したいことを自由に表現して下さい。」
という感覚です。

自分の意志と反して起こる出来事に
それに抵抗せずに受け入れて乗っていくと、結局後から振り返ると、
その出来事が起こってくれたおかげで、人生が望んだ方向に開かれていくんだろうな〜。
行き先、目的地の解らない航海を、怯えて不安に思うのではなく、楽しんで
それに伴う喜怒哀楽をそのまま感じることが人生の目的なんだろうな〜。
っと思うようになってきたのです。

だから、どんな出来事が起こっても、喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで
クニャクニャにいろんな形に変形しながら、その時の風に乗って自由に飛んでいこう!

サザンの『勝手にシンドバッド』の盛り上がりをみながら、こんなことを考えていました。

そんな今年の新しい『勝手に旅する木』をどうぞよろしくお願いいたします。




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12/22 ”日本の歴史から思うこと”

いよいよ年の瀬ですね。
旅する木もラストスパートで家具を作ってますよ〜。
と言いたいところですが、僕は風邪をこじらせてしまい、3日間も38°超えで
ボーとしながら、それでも仕事をしています。

ところで、11月頭くらいにあるお客様から、
「ヒノキ風呂を作れませんか?」と依頼されました。
ヒノキ風呂?ここは家具屋ですよ!
と僕は言いません。
ヒノキ風呂?面白そう!作ってみたい!
と思っちゃう質なので。
もちろん、作ったことなどありません。

そのお客様、実際に今もヒノキ風呂を使っているそうで、見せてもらいました。
え〜?この作りで水漏らないんだ。という印象で、
”作れなくはない”→”作れそう”→”作りたい”→”入りたい”
という思考で、作る方向で先ずは材料の調達先を探し始めました。

ところが、日本中どこを探しても、お風呂に使えそうな柾目の筋の良いヒノキがないんです。
あっても丸1個多いんじゃない?というくらい高いんです。
原因を聞いたら、なんと…!

「名古屋城を改修工事が始まるから、そっちに全部持ってかれてる。」
ということだそうです。
ビックリじゃないですか?
名古屋城を建てるために、日本からヒノキが無くなっちゃうんですって。
そしたら戦国時代はどうしてたんだろう?
それほど当時の日本の山にはヒノキが育ってたんですね〜。

と、そんな話しをスタッフの花輪君としていたら、なぜか会話が戦国時代の話しになり、
「俺、戦国時代に生まれたかった。」と言い出しました。
実は僕も戦国時代に生まれたかったと思ったことがあります。
「俺も!」と同意すると、花輪君が
「密かに敵陣に忍び込んで、情報を盗んだり、暗殺したりしたかった。」っと。
おいおい、ちょっとアブナいやつじゃん!
あ〜、でも確かに花輪君は忍者が似合いそう(笑)。
音立てずに走りそうだし、”技”にこだわって、すげー、飛びそうな手裏剣作ったり、
敵からドロン!する時の地面にたたきつけて爆発するやつとか、こだわったの作りそう〜(笑)。

僕はやっぱり、戦国武将になりたいですね。
しかもちょっと小さい領土の武将がいいです。
領土は小さいけど、戦ったら強い!みたいなのがいい。
例えて言うなら、真田幸村とか理想ですね〜。戦国時代より古いけど、楠木正成もいい!

2000の真田軍が徳川家康の息子、秀忠の約4万の大群を足止めさせ、関ヶ原の戦いに
間に合わなくさせたとか、大坂冬・夏の陣で家康を苦しめた話しなどは、爽快な気持ちに
なります。
かといって、明智光秀のような謀反などは好きじゃない。
”正々堂々”の真っ向勝負で挑みたい。

僕は歴史が結構好きです。やっぱり戦国時代が好きですね。
歴史の流れを読み解いていくと面白いことがわかります。
この時代の流れの読み方は僕のオリジナルなので、それが正しいとか、正解とか
そういうことではないので、あしからず。
あくまで僕の持論です。
簡単に言ってしまうと歴史はすべて決まっているんじゃないか?といことです。

室町時代の応仁の乱から150年以上続く混沌とした泥沼の戦いの歴史をまとめるには、
超〜強力な破壊者を歴史は求めます。
それが織田信長です。

織田信長が桶狭間の戦いで天下取りに動き出した今川義元軍を破ったのは、偶然ではなく、
すでに歴史が決めていたことなんだと思うのです。
今川義元という飛ぶ鳥を落とす勢いの今川軍を、”ウツケ”と悪評の
織田信長が破ったことで、その勢いはそのまま信長のもとに移ります。

その勢いのまま、織田信長はもうちょっとで天下統一、というところまで一気に駆け上がります。
でも、信長のすべき役割はここまでなんですね。
家臣の明智光秀に本能寺で殺されます。

よく、もし明智光秀が謀反を起こさなかったら、日本史はどうなってたんだろう?
という話しが出ます。
僕の意見は、他の誰かが信長を暗殺するか、病気で死ぬか、だと思います。
明智光秀は、信長を暗殺するために歴史が作った
人物なんだろうと。

天下統一を果たす役割を担う人物は、まさかの貧しい農民だったんですね。
こういうところが歴史の面白いところだと思うんです。
豊臣秀吉です。
戦々恐々とした戦国武将たちを、最後の最後、まとめあげるのは、”力”ではないんですね。
なんというんでしょうか?愛嬌?とでもいうのかな?
”相手と同じ土俵に立っていない”もののなせることだと思うのです。
なんか解らないけど、うまくやられちゃってるけど、まあ、いいか。と思わせちゃうような。
そして秀吉にはそれがあった。
そしてそれはどこで培われたかというと、農民出身のものが信長に目をつけられ、出世していく
中で自然と身に付いたものなのか、その要素があったから、目を付けられたのか、
もしくはその両方だと思います。

でも、秀吉の役割もまとめあげるまで。
もし秀吉と正妻のねねの間に子供がいたら、歴史は変わっていたのかも知れませんね。
きっと変わっていたでしょう。
でも、秀吉に子供は生まれないんです。
僕の勝手な持論ですが、晩年の秀吉と淀殿との子、秀頼は秀吉の子どもではないと思います。
そして秀吉もそんなことは解ってると。
でも自分の子とするしかないですよね。
喉から手が出るほど欲しい跡取りがいないんですから。
さらにいうと、秀頼がなぜ秀吉の子として存在したのか?
存在しなければならない大事な役割があります。
”家康に負ける”という役割。
徳川家が長年にわたり時代を納めていくには、豊臣家は滅亡したという決定的な事実が
必要なんですね。豊臣家再興を望む武将もいたものですから。
そのための秀頼は家康に殺される必要があったんですね。
秀頼が家康に負けることで、日本中の誰もが、好むと好まざるに関わらず、
もう徳川家の時代を認めざるを得ない。

先を急ぎ過ぎました。
ちょっと戻って。

最後に天下をさらって行くのは、ずる賢い狸オヤジと評される徳川家康ですね。
6歳の時に今川家に人質になるはずが、織田家に奪われ、織田家で人質として
2年過ごしている時に信長と出会い、その後今川義元の元で人質生活を10年。
この幼少期の人質生活と、信長や秀吉についている中で、長期にわたって人を納めるには?
という術を習得したんだと思います。
憎しみや反感を生む”力”ではなく、人に左右される”人柄”でもなく、自分が死んだ後も
ずっと大丈夫な強固なシステムを。
そして歴史は長く平和(戦のない)な世を望むわけです。
そこで、家康という人物が必要なわけです。
結局家康が作ったシステムは、250年もの間、戦争のない時代を作ったわけで、
飛鳥時代から現在までで、これ程長い間戦争のない時代は、江戸時代以外ないのです。
そのため、人々は安心して生活し、最も文化が発展したんです。

このように流れを読み解いていくと、やっぱり決まっていたと思いませんか?
どんなに事柄を変えようと試みたところで、この流れは変えようがないもののように感じます。

これは時代を動かした偉人たちなので、このように感じるのかもしれませんが、
最近僕が思っていることは、僕たちの人生もこんな風に決まっているんじゃないかな?
っということ。
自力で人生を切り開く!とか、目標を定めて努力する!とかやっているよりも、
人生はすでに決まっているのだから、それを決めた存在とか、流れに人生を完全に
委ねてしまって、安心して他力本願で楽に生きることで、かえって人生は導かれるような
気がしています。

話しを歴史に戻して。
僕の一番好きな武将は?
と聞かれたら、武田信玄ですね。
僕の地元、長野県を納めていたのは甲斐の武田信玄なので、馴染み深いです。
子供の頃から信玄餅が好物でしたし…関係ない(笑)?

武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いは、12年にわたり、5回も戦い、いずれも決着が
つかなかったという熱戦は、子供の頃の僕の心を捕らえて、ドキドキしながら本を
読んだものです。
この二人の武将も、天下を狙うに相応しい実力と知力、人間的な魅力、優秀な家臣があって、
クローズアップして合戦の様子や、エピソードを知れば知るほど、その魅力に魅了
されるのですが、一歩引いて、歴史の流れというマクロ的に見ると、結局お互いがお互いの
天下を狙う機会とタイミングを奪ってしまっていたんだと気が付きます。

こんな風に歴史を見ていくと、本当に面白く、すべてがなるべくしてなっていて、
その延長上に今の時代があって、僕たちが生きているんだな。と思えて来ます。
そして、”何が良くて何が悪い”ということも一切ないんだとも。
結局何もかも良いことで、感謝すべきことなんだな。なんて思えて来ます。

あ〜、こんな風に歴史をとらえながら、もう一度日本史、世界史を中学生くらいから
学びなおしたいと思う今日この頃です。

お風呂の依頼が、随分と大袈裟なことになってしまいましたね〜。
長くなってしまいましたので、この辺で失礼します!





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12/12 ”シリウスに向かって飛べ”

とっても穏やかな12月の始まりだったけど、ちゃ〜んといつもの冬がやってきます。
朝起きたら、工房の周りは一面真っ白に。
ガトーショコラに粉砂糖をかけ過ぎちゃったみたい。

日の出が遅くなってくれる冬は、綺麗な朝焼けを見る機会多くて嬉しい。
一瞬、その美しさに見とれてしまうけど、すぐにブルブルっと身震い。
キーンとした冷気はすでに氷点下。
空が明るくなって、さらに明るい一点が見え始めると、なんか、手を合わせてしまう。
「今日も素晴らしい一日をありがとうございます。」
なんて心の中で思って目を開けると、たった十数秒のはずなのに、わずかに一点だった光が
半分くらいの円になってる。
昨日の続きでも、明日の序章でもない、今日という新しい一日が始まる。



誰か 「なにカッコつけてんの!」
僕  「止めんなよ。誰だよ。気持ちよく詩人になっているのを邪魔すんのは…?」
誰か 「アタシ?神様よ。」
僕  「神様?神様がなんで邪魔すんのよ!」
神様 「イチイチ出来事に意味を付けたり、例えたりしなくていいのよ。
    だた、その出来事が起こっているだけなの。」
僕  「どういうこと?」
神様 「朝起きたら雪が積もっていた。ただそれだけ。太陽が東から昇って、
    西に沈む。ただそれだけ。」
僕  「情緒の欠片もありゃしない。」
神様 「かっこつけんじゃないわよ。な〜にが
    ”まるでガトーショコラに粉砂糖をかけ過ぎちゃったみたい。”
    ”まるで、イチゴに練乳をかけ過ぎちゃったみたい!」
僕  「言ってねーし!」
神様 「”昨日の続きでも、明日の序章でもない、今日という新しい一日が始まる!”
    ”ミカンでもない、オレンジでもない、デコポンという新しい果物を知ってる?”」
僕  「だから、言ってねーし!!なんだよデコポンって。知らねーよ。そんな果物。
    でも、こういう表現が好きな人がいるんだよ。」
神様 「誰よ。」
僕  「神様ってオカマなの?しゃべり方、オカマっぽくない?」
神様 「アタシくらいなると、男女を超越してるのよ。男でも女でもないし、
    どっちでもあるの!」
僕  「ふーん。まあいいや。月に何回か工房に手伝いにきてくれているS子さん。
    熱狂的な旅する木ファンで…」
神様 「S子さん?随分変わった名前ね。外人か日本人か解らないわね。ハーフ?」
僕  「S子のわけねーだろ!イニシャルだよ。あまりネットでは名前は公表しないもの。」
神様 「人間社会は面倒ねえ。そのS子さんがこういう表現が好きなの?」
僕  「そう。毎日つむ通読んで、倒れてるんだって。」
神様 「倒れる?病気なの?」
僕  「病気じゃないよ。旅する木の家具とか、つむ通の文章が素敵過ぎて、
   『ハァ〜〜、素敵ため息〜』っていって倒れるんだって。」
神様 「病気ね。」
僕  「病気じゃ、…まあ、ある意味病気…?」
神様 「わかった!S子さんって、架空の人ね。」
僕  「架空じゃねーよ。なんだよ、そのバレンタインで自作偽装本命チョコ作るような…」
神様 「あんた、作ったじゃない。」
僕  「え?なんで知ってんの!?」
神様 「当たり前じゃない。アタシ神様よ。すべてお見通しよ。」
僕  「あれは、友達をビックリさせようと思って。サプライズ。見栄とかじゃないから。」
神様 「どっちだっていいわよ!バカバカしいのは同じよ。」
僕  「…まあ、ね。そのS子さんが、工房に手伝いに来てくれている時に、言いたいセリフが
    あるんだよ。」
神様 「どんなセリフよ。」
僕  「俺、ジブリ映画のなかでは、『風の谷のナウシカ』が一番好きじゃん。
    風の谷に向かって暴走しているオームの群れをくい止めるべく、ガンシップで空を飛ぶ
    ナウシカがミトに向かって、あ、ミトってのは風の谷の5人の城オジのリーダで…
神様 「…グー、グー」
僕  「風の谷がトルメキア軍に制圧された時、人質としてナウシカと同行するんだけど、
    ガンシップの操縦に長けれる人で…」
神様 「…グー、グー」
僕  「オームがなんで風の谷に向かって暴走してるかっていうと…って、寝てるんかい!!」
神様 「長い!説明が長い。どうでもいいわ!そんな話し。で、何を言いたいの?」
僕  「それで、ナウシカがガンシップを操縦しているミトに叫ぶの。
   『ミト、シリウスに向かって飛べ!』って。そのシーンがカッコ良すぎるの。
   『シリウスに向かって飛べ!』だよ。これをS子さんが工房にいる時に僕が、
   『ヒロキ!』あ、ヒロキってのは、新しく旅する木に弟子入りした新人で…」
神様 「長い!いちいち話しの本筋から外れないの!忙しいのよアタシ。アンタのくだらない
    話しに付き合ってる時間ないの。」
僕  「ああ、すみません。で、S子さんが工房に来てる時に、僕が『ヒロキ、シリウスに向かって
    飛べ!』なんて叫んだら、S子さんは、失神するんじゃないかと思うんですけど、
    木工をやってる中で、『シリウスに向かって飛べ!』と言う機会はないんですよ。」
神様 「…」
僕  「ヒロキが『須田さん、この材料、どこで切ればいいですか?』って言って来たとして、
   『シリウスに向かって切れ』なんて言ったら、ヒロキ、『???』じゃないですか?」
神様 「…」
僕  「ということで、神様なんだから、なんでも叶えられるわけですよね。そんな
    シチュエーションを作って欲しいなぁ。と思って。」
神様 「…」
僕  「ねえ、聞いてる?」
神様 「くだらないわね、アンタ。まあ、でもそなこと簡単よ。」
僕  「ホント!?」

プルルルル、プルルルル。
僕  「あ、すみません。電話来ちゃった。ちょっと待ってて下さい。
    もしもし、あ、ヒロキ、現場の取り付け、うまく行ってる?」
ヒロキ「須田さん、だいたいうまく行ってるんですけど、最後に須田さんが作ってた家具、
    どこに取り付けたらいいのか解らなくて。」
僕  「ああ、あれ?えっと玄関入って廊下をまっすぐのつき当たりの右側の部屋の、
    床の間の反対側の左の壁。」
ヒロキ「え〜っと、廊下のつき当たりの…、そこは窓ですけど。隣のお蕎屋さんが
    見えます。」
僕  「そんなとこにお蕎屋さんあったっけ?」
ヒロキ「あるんですよ。七福っていう蕎屋です。」
僕  「そうなんだ。その七福の方を向いて正面の…」
ヒロキ「手打ち蕎麦で10割そばなんですって。」
僕  「そうなんだ。10割そばってめずらしいよね。で、その七福の方に向かって…」
ヒロキ「俺、10割そば、初めて食べたんですけど、そばの香りがすごくて。」

S子さん工房に入ってきて
S子さん「おはようございます。」
僕  「あ、S子さん、おはようございます。今日もよろしくお願いいたします。
   ちょっと待ってて下さい。今、ヒロキと電話してます。」
S子さん「わかりました。」
ヒロキ「普通そばっていたら、2・8そばじゃないですか。2割がそば粉で8割が小麦粉。
    あれ?逆だっけ?2割が小麦粉…」
僕  「…!ヒロキ?」
ヒロキ「七福って岩見沢にも店舗があるらしいので、今度行ってみようと思います。」
僕  「…ヒロキ!!」
ヒロキ「ところでどこの壁に付けるんですか?」
僕  
「七福に向かった壁!!!」
ヒロキ「ここの壁ですね。わかりました。ありがとうございます。ガチャ。」

S子さん「どうしたんですか?」
僕  「いえ、なんでもないです。まったくヒロキは人の話し聞かねーんだから。」

神様 「どう?アタシの力。叶ったでしょ?願い。」
僕  「あ、神様、まだいたんですね。叶ったって何が?」
神様 「アンタのお願い。叶えてあげたでしょ?」
僕  「え?なんのこと?」
神様 「さっき、叫びたいセリフあるって言ってたじゃない。」
僕  「ああ、『シリウスに向かって飛べ』」
神様 「今、なんて叫んだ?」
僕  「七福に向かった壁」
神様 「『しりうすにむかってとべ』『しちふくにむかったかべ』同じようなもんよ。」
僕  
「全然違う!!!」

S子さん「須田さん、どうしたんですか?誰と話してるんですか?」
僕  「いえ、なんでも。S子さん、『七福に向かった壁!』って …どうですか?」
S子さん「…しちふくにむかったかべ?…それが、なにか?」
僕  「…ですよね〜。」

神様 「須田修司、撃沈。ただそれだけ」




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12/4 ”極楽へは地獄経由で行くらしい”

人が死んだ時、今世で良い行いをしていた人は、キラキラキラと光が降りて来て、
ふわ〜っと魂を包んで天空に連れてってくれる。
もし今世で悪い行いをした人は、黒い陰が地面から被い被さり、魂を地獄に引きずり込む。

これ、映画『ゴースト』で出てきますよね〜。
よね〜って、『ゴースト』が古くて、もう通じないかな?
僕が大学生の頃ヒットした映画です。
デミームーアが綺麗でしたね〜。

でも、本当はちょっと違うらしいです。
先日、こんな記事を目にしました。

もしあの世に極楽と地獄があるとしたら、あなたはどっちに行きたいですか?

そりゃあ、極楽に決まってますよね。
好き好んで地獄に行きたいなんてひとはよっぽど変わってる。

ところが…

ある日、1人の男性が閻魔大王の前で言ったそうです。
「私は生前、一度も嘘をついたことがありません。だから自分は極楽に行く
資格がある。」と。

閻魔大王は聞き返した。
「一度も嘘をついたことが無いとは本当か?」
「はい。私は一度も嘘をついたことはありません。」
それを聞いて閻魔大王は大声で笑った。
男は怪訝そうな顔でまた言った。
「私は真面目に生きて来たのです。何がおかしいのですか?」
閻魔大王は笑い転げながら言った。
「おまえ、それじゃあ、つまらない人生だったろう。」

人生は楽しまなきゃ意味がない。その為に人に迷惑をかけ過ぎてはいけないけど、
多少の嘘や、悪事をはたらいたりしながら、上手に世渡りをしていくところに
人生の妙味がある。
そのことで地獄へ行ったとしても大丈夫。
なぜなら、地獄には閻魔大王がいるから。

閻魔大王の本当の役割は地獄に来た人たちの悪いところを治して、極楽に送ること
なのだそう。
閻魔大王の決意はすごい。
「最後の1人まで救う。それまで自分は地獄を離れない。」
その決意があの恐い形相なんですね。

ただ、このことがまかり通ってしまうと、人間は調子に乗って、どんどん
悪さをしてしまう。
だから、いつからか、「悪いことをすると地獄に落ち、そこには恐ろしい
閻魔様の裁きを受ける。」という部分だけが強調されたんだそうです。
その結果、”死”がとても恐ろしいものになってしまった。

本当は、「安心して死になさい。地獄には閻魔様がいるから大丈夫。
すべてを受け止めてくれる。死後のことは心配しなくていい。」
というメッセージ。
要は「一日一日を楽しんで生きて、そしてどんな生き方をしたとしても、
最後は安心して死になさい。」ということ。

その境地を仏教の考え方で言うと、「この世に良いも悪いもない。」
なんですって。

「この世に幸も不幸もない。ただ、そう思う心があるだけ」
工房の日めくりカレンダーに書かれていることば。
これと同じですね。
「この世に良いも悪いもない。ただ、そう思う心があるだけ」

不必要に良い価値感を持つことは、人生がとても制限されてしまいます。
正しいとされている倫理観や道徳観は、ある意味、人の自由を奪ってしまいます。
そして、それらは固定観念となって、自分を苦しめます。

立派であらねばならない。
・真面目に生きなければならない。
・◯◯してはいけない。
・△△しなければならない。

などなど、世間の正しさのがんじがらめになって、身動きとれない。

前に読んで、また読み返している、さとうみつろうさんの本
『悪魔とのおしゃべり』では、これらのことについて、もっと解りやすく、
ストレートな言葉で悪魔が言ってます。

・世界には正しさが多過ぎる。
・抱え込んだ正しさの数だけ、出来ないことが増えていく。
・正しいとは、それ以外のことをすべて信じない!という宣言。
・正しいをすべて乗り越えろ!不可能とは、正しさを乗り越えられない者が作った
 ただの言い訳じゃ。

などなど。
これらの言葉だけをならべると、随分乱暴な感じに聞こえますが、
本の中ではそれらがきちんと説明されているので、納得できるんですね。

確かに、僕らは生まれてこのかた、自分で考えて、体験して得たわけではなく、
いつの間にか擦り込まれた「正しさ」を疑いもせずに正しいものとして信じて
それを守らなければ、よい人生が送れない、幸せが訪れない。なんて思っています。
でも、それって本当かな?
ちょっとその「正しさ」を疑って、時にはみ出したところから世界を見ることで、
新鮮な世界を体験し、人生を楽しく、心を豊かにすることもあると思います。

極楽へは地獄経由で行くらしい。

いつか、閻魔大王の前で、
「閻魔大興様、僕はちょっと羽目を外した人生だったけど、でも、楽しかったぁ。」
なんて言えるくらいの人生がちょうどいい。


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11/27 ”旅木劇団第一章、無事に終了”

 
 
 

旅木演劇工房『丘の上の桜の木に』二日間の公演が終わりました。
旅木演劇工房最終公演ということもあり、全公演立ち見も含めて満席の中で、
若者たちが、情熱溢れる演技を見せてくれて、会場が感動の涙で埋め尽くされました。

この公演の直前に、ライヤー演奏者のMakicomさんと出会い、
念願の生演奏で舞台に花を添えてもらいました。ありがとうございました。

今回は劇場祭、新人賞にエントリーしています。
観覧者の5段階評価で、230人中、99%の方が、星5つの評価をしてくれました。
中には星を付け足して10個の星をつけてくれた人も。

旅木劇団の演劇は、今の流行りの演劇とは真反対の劇なんです。
なので、審査員がどのような評価をするかわかりませんが、
見てくれた人のあまりに高い評価と感想で、僕も、劇団員も十分と感じています。
ただ、自分たちの演劇スタイルが、今の演劇界を牽引している人に、どう評価されるのか?
そこを知りたいと思っています。

3年間、仕事以外のほぼ全ての時間を演劇に費やしてきて、
最後の公演が始まる前の劇団員との手をつないでの瞑想で、多くの劇団員が号泣。
僕も涙を止められませんでした。

華やかで感動的な舞台が終わり、僕のハイエースに荷物を積み込み、
劇団員と別れ、工房に帰って来て一人になると、充実感もあるのですが、
正直にいうと、疲労感と淋しさと、なんででしょうね〜。
哀しみのような感情に包まれているのです。

ある人のツイッターに載っていた感想です。

+++++++++++++++

丘の上の桜の木に… を観た。

率直な感想は、この作品を中学生・高校生あたりに観ていれば、
違った人生を歩めたのにな...

そう思う反面、いまの自分自身だからこそ胸に刺さるものがあるのかなぁと言った印象。

“誰かのために生きる”

できればそうしたいよね。

たとえ、”誰か” が全く知らない人でも。

+++++++++++++++

今だから、この脚本を書けたのかも知れないけど、
本当は役者たちと同い年で、同じ仲間として、この輪の中にいたかったなぁ。

この哀しみのような感情は、一方向にしか流れることのない”時”に対しての、
どうすることもできないことへの気持ちなのかも知れません。

最後に彼らから、感謝状を貰いました。
この歳になって、ちょっと青春を味わぜてもらいました。

30年前にあきらめた、脚本家になりたい!なんていう夢を、
30年後に叶えてくれた娘を中心とする、今まで旅木演劇工房に参加してくれた
若者たち劇団員に感謝します。
ありがとう。

劇団のおかげで、20歳の娘と父親が、こんなに近い距離で同じ目的を持って、
共に歩めたことは、とっても幸せなことなんだろうなぁ。と思います。

前回のアルテピアッツァ公演、今回の最終公演での娘、そよりの劇団員との接し方、
みんなの気持ちを一つに持っていくそのやり方、舞台の使い方、演出を見ていると、
親だからという目を差し引いても、すごいなぁ。と感じる場面が何度もありました。
娘の心の成長を見届けて、僕にとってもここらがバトンタッチのちょうど良い
潮時なんだろうと思います。

この心の淋しさは、とっくに子離れしていたと思っていた僕が、劇団立ち上げという
当時高校生の娘にとって、ハードルが高い挑戦
で娘に頼られ、まんざらでもなかった
時代からの第二の親離れ、子離れに対する淋しさも、多分にあるのかも知れません。

旅木演劇工房第一章はこれで幕を閉じます。
今まで、作品を観に来て下さった方には、心から感謝致します。
ありがとうございました。

昨日、大道具、小道具の後片付けをしに、数名の劇団員が工房に来ました。
まあ、平日に来れるとうことは、様々な事情を抱えた若者たちです。
ある意味、旅木劇団が心の支えのような役割も果たしていたようで、若者の言葉で言えば、
”旅木ロス”とでもいうんでしょうか?
「これから週末、何をしたらいいんだろう?」
「旅木以外の劇団に入りたいとは思えない。」
などとそよりに言っていました。
自分で一区切り付けたはずの娘も、「これからどうしようかな〜。」なんて言っている始末(笑)。

そして、僕はと言えば…。。

第一作の『丘の上の桜の木に』の主人公 颯太の友達で、名前すら付いていない、”友達1”の
人生を描いた第二作『窓の向こう、桜色』。
この両方をご覧になった方から、
はるかと隆がどうなっていくのか知りたい!
自分を好きでいてくれる人が目の前で事故で亡くなってしまった女性のその後を描いて欲しい。
という感想と期待を寄せられており、それは僕自身も気になっているところであり…。

ひょっとしたら、旅木演劇工房第二章の幕開け、そう遠くない未来かも…?
なんてね!

宮崎駿も、倉本聰もいつも引退、引退って言いながら、結局続けてますもんね!
って、そんな大御所と一緒にするなって?
すみません…。。

時の流れは一方通行で、”あの頃” に戻ることは出来ないけれど、
もっと輝ける素晴らしい未来を夢見て、作り出そうとすることは出来る。
解散し、それぞれの道を歩む彼ら若者たちが、それぞれの輝かしい未来を作ろうと
する中で再び出会い、何かを作り上げていくことを一緒に出来たらいいな。と思います。

そんな風に生きていく中で、もしかしてまた、僕が伝えたい世界観を、そよりが
伝えたい!と思った時、旅木演劇工房の第二章が始まるんだろうと。
その時、僕がどう関わっていくか、今はわからないけど、演技などできない僕は、
言葉を文字で伝えることしか出来ないので、今までと同じように、劇団ノートに、
今伝えたいメッセージを、書き続けようと思います。

おいおい、なんか、本職が脚本家?って感じじゃん!
お前の本職は家具工房だろ!

解ってるって…。
でも、今日くらいまでは、せめて脚本家っぽくいさせてくれよ〜。。



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11/13 ”なに作ろうかな?”

ノンノ(北海道犬)とまる(黒柴)の散歩中、工房の東裏小学校のすぐ横の
東裏神社でお参りするのが毎朝のコース。
僕がお祈りをしている時、犬たちはお座りをさせているのですが、
まあ、そんな大人しく座っているほど、賢い犬たちではないので、
5秒も座ったら、「あっち行こ〜!」とすぐに引っぱります。

この東裏神社には、木が数百本立っていて、ちょっとした森のようになていました。
なっていました…。というのは…。

先日の北海道胆振東部地震の前日の台風で、境内の周りの後ろの木が
4,50本、倒れてしまったんですね。
信じられない光景でした。
神社の境内の後ろの木がすべて倒れて、境内が丸裸になってしまったのです。
あの台風のすざましさを思い出しました。

倒れた木はほとんどトドマツ。
トドマツ、カラマツは柔らかいし、節も多いし、ヤニもすごいので、まず家具では
使わないんですね。
それでも木は木なものですから、倒れている木を見て回って、太い木を見つけると、
何か作れないかな?っと想像していました。

地元の人が、全部チップにするため、輪切りにして木材屋さんに持って行く準備を
していました。
僕も手伝ったのですが、やっぱり忍びない。チップにされてしまうなんて。
それで、太い木数本に印をして、製材してもらうことにしました。

材料屋さんにお願いすると、言われました。
「トドマツなんて製材したってどうもならん。お金かけて製材する価値がないぞ。」と。
「トドだぞ。どうもならんぞ。」と何度も。

まあ、解ってるんですけどね。
僕も使い道があるわけではないし、むしろ、目をつぶって、チップにしてしまって
忘れてしまった方が楽だし、お金かからないし、ここまで(のど)
「そうですよね。じゃあ、やめときます。」と言いかけたんだけど、
ある光景が目に浮かぶんです。

これらの倒れた木、神社の境内を避けるように倒れていたんです。
一本残らず。
本当に見事に、そして不思議なほどに。
おかげで境内は無傷だったんです。
何十年も境内を囲むように成長してきたものだから、きっと、意思があったんでしょうね。

材料屋さんに
「御神木なのに、僕の犬たちが毎日オシッコひっかけてたので、せめて罪滅ぼししなきゃ
バチ当たっちゃう。」
なんてお願いして、製材をしてもらいました。
そして昨日、工房の庭で自然乾燥させるために、桟積みしました。

まだどう生かそうか、アイデアはないけれど、乾燥する一年後くらいまでには、
何か旅する木の新たなブランドの道筋を立てるようなものを、この木で作りたいと
思っています。

「製材する価値がない!」と言われた木で
「こんな価値が生まれたぞ!」という、価値のある物語りを作りたいな。



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11/4 ”全国で180万人もいる鈴木さん”

もう11月に入りましたね。
今年も残すところ、後2ヶ月。
先日自転車に乗って、ノンノとまるの散歩をしている時、雪虫が飛んでいました。

「もうすぐ雪かぁ。」と独り言を言いながら、遠くの山を見たら、
もううっすらと雪化粧していました。
そろそろ雪囲いしなきゃなぁ。

この季節、体はまだ晩夏を覚えているのか、寒さが身にしみます。
そして温泉が恋しくなる。
最近はちょくちょく近くの温泉に行きます。
1人で露天風呂に入ってぼーっとする時間が、心があったまる感じで好きです。

露天風呂にのんびり浸かっていると、昔のお客さんに会いました。
鈴木さん。
”鈴木”という名字は日本では二番目に多く、全国で180万人もいるんですって。
だから、公表しても大丈夫? かな?

鈴木さんは旅する木創業直後どころか、2番目か3番目くらいのお客さん。
ちゃぶ台の修理をさせてもらってからのお付き合いで、その後、いくつかの家具を
製作させて頂きました。
まだ、旅する木が札幌のタマネギ倉庫でやってた頃。

いつも最後に
”旅する木のファン 鈴木”
という言葉を入れたメールをくれます。

先日の旅木感謝祭の時にも、懐かしい昔のお客様が来てくれました。
なんか、やっぱり僕の中でタマネギ倉庫時代のお客様は、ちょっと特別な感じがあるんですね。
実績もなければ、どんな家具を作るのかも解らない僕に、僕という人間の中身だけで高価な
家具を任せてくれるわけですから。
まだよちよち歩きの旅する木と僕を支えてくれた、応援団の方々です。

今でもそのタマネギ倉庫の前を通ると、胸の奥がギューとしますね。
”胸がギュー”って、どんな表現だ?
なんか、小学校の頃、仲の良い数人だけの秘密にしていた隠れ家を、大人になった時に見た感じ?
何年振りかに実家に帰った時の、柱とか、階段とか、昔から変わらずあるものを見た時の感じ?
懐かしさとともに、淋しさや切なさも入り交じった、ちょっと重さをともなった感情に
包まれる感覚になります。

おそらく、鈴木さんも含めその頃のお客様は、赤ではないけれど、なに色かの糸に導かれて
僕に出会ってしまったんですね。
本意か不本意か。
大事な家具をどこに頼もうかと思ってたまたま来たけど、本当にこの人で大丈夫なのかな?
なんて思ったと思うんです。
でも、この人、俺が(私が)頼んであげなかったら、この人と家族、生活に困るんじゃない?
なんて感じて頼んくらたのかな〜?
お陰さまでまだ家具屋としてやってます。

お風呂の中で、鈴木さんが言ってくれました。
「たまにHP見て、車椅子やいろんな活動をされていて、同世代として勇気をもらってます。」と。

かつて、僕が応援してもらったお客様に、思いもかけず、”勇気をもらっている”という
言葉に、とても嬉しくなりました。

鈴木さんが出て行った後、あのタマネギ倉庫時代のことを思い出しながら、
のんびりと露天風呂に浸かっていました。
心地良い心の重さを感じながら。



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10/23 ”名前の覚え方”

  

一昨日、昨日と、『旅木祭り&うさとの服展』を工房で開催しました。
うさとの服は、一期一会なので、うさとファンの方は朝一番でどどどっと来ましたね〜。

今回、カフェを担当してくれた清野さんは、旅する木のお客様で、旅する木の木のキッチン
を使ってくれています。納品の時、体に優しいお菓子を食べさせてくれて、
それがとっても美味しくて、今回、カフェをやって!っと声をかけたのですが、
前の日、眠れないくらい緊張して、しかも当日の朝一番、一気にお客さんが来た時は
手が震えたそうです〜。
でも、だんだんと落ち着いて楽しんでくれていました。
とても好評でしたよ〜。

旅する木の懐かしいお客様も何組も来てくれました〜。
ありがとうございます。

僕は本当に、ホントに、ほんとうに人の名前を覚えるのが大の苦手で、
大変失礼で申し訳ないのですが、お客様の名前が思い出せない方も…。。
あ〜、顔は覚えているし、納めた家具も覚えているんだけど、名前が…。
先ずはありきたりの会話をしつつ、頭の中はフル回転で記憶をよみがえらせるのですが、
思い出せる気がしない。結局、
「…ごめんなさい。お名前、なんでしたっけ?」っと。
失礼極まりないですね〜。

どうしたら顔と名前を覚えられるんだろう?

旅する木のお客様で、千歳で行列が出来る三平というラーメン屋さんをやっている奥様。
千歳に用事があって、家具を納めてから4,5年振りくらいにラーメンを食べに行った時。
忙しそうに働いているし、声をかけずに行列に並んでいたら、パッと目が合った瞬間に、
「須田さん〜、お久しぶりです。お元気ですか〜?」っと。
嬉しかったですね〜。顔だけじゃなく、名前まで覚えてくれていて、声をかけてくれて。

あ〜、羨ましい、この記憶力というか、才能。

得意な人にコツを聞くと、同じ名字や名前の芸能人とリンクさせればいいんだよ。と言われます。
でも…
僕には疑問があるんです。

その人の顔と覚える芸能人の顔が似てればいいですよね。
それだったら思い出します。
石田ゆり子に似ているお客さんがいて、たまたまその人が石田さんだったら、
次会った時、

なんだったけ?
あ、石田ゆり子に似てるぞ。
そうだ!石田さんだ!

となります。でも…
石田ゆり子に似てなかったら、その人に会った時、石田ゆり子を思い出さないわけで、
そしたら、この方法は成り立たないわけじゃないですか。

なぜ今、石田ゆり子が出て来たかと言うと、好きだからです。
キリンのCM、どれもいいですよね〜。
「ゆるんでいいよ♪」
とか、
「ありがとう。お疲れさま♪」
なんて言われたい〜!

全国の中年お父さんは、全員言われたいと思います。
そして、全国の中年主婦は、ほぼ全員、ないない。と思ってると思います。

このCM、絶対中年男性が企画してますよね。
願望が入ってます。
僕がCM作家だったらどうするかな〜?

リビングのソファに石田ゆり子が座ってって、自分の膝をポンポンってやって
旦那さんに、
「ここ来て。耳掃除してあげる。」
なんてのはどうでしょう?

あ〜、めっちゃいい!!!
絶対いい!!!

「キモ!!」

「誰だ!キモ!って言ったやつ!」

じゃあ、これは?

リビングのソファで旦那さんがテレビを見ている。
  ↓
仕事で疲れて首なんかをグルグル回してる。
  ↓
後ろから、石田ゆり子が近づいて、旦那さんの肩をそっと揉んであげる。
  ↓
その腕が旦那さんの首にまきついて、旦那さんの目の前に石田ゆり子の手。
  ↓
その手に持っているのはキリンビール。
  ↓
石田ゆり子、旦那さんの耳元で囁くように 「一緒に飲も!」


めっちゃいい!!!
絶対キリンビールの売上げ伸びる!!!
旦那さんの役、やりて〜!!!

「変態!」

「誰だ!変態!って言ったやつ!」

じゃあ、次は…

って、鈍感の僕ですが、そろそろやばい雰囲気が感じられてきました。
これ以上妄想を書くと、家具の注文に影響があると思われるので、やめときます。

あれ?なんでこんなことになったんだっけ?

そうそう、人の名前と顔をどうしたら覚えられるかって話し。

お客さんが帰った後、似顔絵を描けばいいのかな?

むりむり。
僕は絵心ないから。
ちなみにこれ ↓↓↓


石田ゆり子

しかも映像見て描いたもの。

「須田さん、ほんとにいい家具作れるの?」

やばい。これ以上この話題に触れてると、家具の注文に影響する…。。

今日はこのへんで失礼します…。

幻滅しないで下さいませ。



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10/13 ”サード来い!”

この前の週末、久しぶりに息子の野球の試合の応援に行きました。
春からずっと、この前のアルテピアッツァでの劇団の公演に向けて、毎週末
稽古を重ねて来て、僕は脚本を書き、演出を担当したので、劇団の稽古に
参加していて、息子の6年生最後のシーズンなのに、ほとんど応援に行けずにいました。

春先、監督に「監督史上最弱チーム」と言われ、一勝もできずにシーズンを
終わるんじゃないかと僕も心配していたのですが、いつの間にか、メキメキと
力をつけて、ポツポツと勝ったという話しを聞くようになり、
なんと先週は地区の大会で決勝戦まで駒を進めたのです。

試合は見に行けないどけ、家ではスポンジボールで室内練習に付き合い、
試合形式で息子と対戦し、少しは上手くなったなぁ。と実感しつつ、
負けてあげて、おだてて、気持ちよく試合に臨めるようにすればよいものの、
勝負となると負けたくない!まだまだ負けるものか!という気持ちが沸いて来て、
本気モードで勝とうとし、真剣に「今のはストライク!絶対に入ってる!はい、三振〜。」
なんてやってしまい、息子に「大人げない」と言われています。

試合を見ていると、なるほど、なるほど。
試合に勝つようになったのは、ピッチャーとキャッチャーが
ずば抜けて上手いんですね。
その他の選手は…。。
まあ、まあ、そこそこ、ほどほど。っという感じで。
うちの息子も、完全にそっちの部類。

特に決勝戦なんて初めての経験なので、みんな緊張しているのがわかる。
息子のところに打球が飛ぶと、ドキドキしますね。
接戦のチャンスでバッターボックスに息子が立つ時は、祈るような気持ち。
「あ〜、昨日、スポンジボールでの練習の時、気持ちよく打たせて勝たせていれば
よかった〜。」
なんてちょっと後悔しながら応援していました。

結局、前半はいい勝負だったのですが、後半になるにつれて実力差がでて、
大差で負けてしまいました。

息子はマヤ歴でいうと、”黒キン”と言われる番号で、良くも悪くも影響力が大きい
キンナンバーなんですね。
試合を見にくるといつも思うのですが、印象に残る場面にいるのです。
例えば、フォアボール、エラー、デッドボールで満塁になって、次の打球が
サードを守る息子のところに飛んで、エラーして2失点。とか。
ピッチャーにも他のエラーした選手にも責任があるのに、息子のエラーで負けた。
試合の流れが変わった。という印象になってしまう。というような。

この決勝戦も、”あの時息子が…”という場面が何度かあり、その大事な場面で
結果が出せないだけじゃなく、プラスαの(悪)印象的なプレーをしてしまうのですね。

まあ、そういう宿命の元に生まれたんだから、仕方ない。と思いながら、
いつか、野球でなくても、息子がやりたいことの中で、成功体験を重ねていって、
”ここ”って場面で力を発揮してくれたらな。と思います。

息子は2ヶ月早く、未熟児で産まれ、保育器の中で育ち、小学低学年までは今ひとつ
覇気もなく、のんびーりした子で、動物に例えるなら、カピバラみたいで、
今でも2学年くらい小さな体で、どう見ても6年生には見えないけれど、
それでもエラーしても次のバッターに、「サード来い!」と叫んでいる姿をみると、
それだけで十分だよな。
なんて、チームの他の選手や親には申し訳ないけど、思ってしまいます。

ついつい親は、自分のことを棚に上げて、子供に必要以上の期待や、親の世間体
でのメンツなんかを押し付けてしまうものだけれど、誰もが子供が産まれてくる時は、
「元気で産まれて来てくれればそれでいい。」って願ったと思うんです。

あの小さな赤ん坊が、元気に野球をやってる。
監督に全然聞こえない!と言われるけど、僕には、本当は思ってないかも知れない
「サード来い!」という息子の声が聞こえている。



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10/1 ”人間だけじゃないのかも”


秋の夕焼けを背に、二ノ宮金次郎は何を思う?


田舎のとんぼは警戒心がない。


春と秋はムクドリがいっぱいやってきます。


北海道の秋の空は澄んでいて、遠い。
北国の秋はちょっとだけ、人の心に淋しさも運んでくる。
でも、このちょっともの哀し気な秋が、僕は好きです。
ちょっとだけ、心に重さを感じるようなこの感じは、
思いを馳せるのに、ちょうどいい。

なんて、どこのプレイボーイだい(笑)!!!
今どきこんなくさいセリフじゃあ、誰も振り向きゃしないわ!

秋の夕焼けは、中年男を詩人にしますね(笑)。

随分肌寒くなった朝のノンノ(北海道犬)とまる(黒柴)の散歩は
自転車に乗って。
稲刈り間近の垂れ下がった稲穂の上を、たくさんのとんぼが飛んでいる。
朝日に照らされて、稲穂は黄金色に、とんぼの羽もキラキラと光ってる。
金色の野で遊んでいる天使みたい。

途中、自転車を止めて休憩していると
そんな天使が僕の腕とか胸に止まってくれる。
田舎のとんぼはのんびりしてるので、そのままほっとくと、いつまでも
止まってる。
なんか金ピカのバッジみたいで嬉しい。

ノンノはもうおばあちゃんなので、とんぼに興味なさそうなんだけど、
まるは遊び盛りの少年なので、僕に止まったとんぼをやっつけようと、
僕に飛びかかってくる。
寸でのところで交わしたとんぼが、まるの尻尾に止まるもんだから、
思わず吹き出してしまう。


この時期、田舎道の電線にはムクドリが何十羽と止まってる。
僕と犬たちがその電線の下を通り過ぎる直前に、彼らは一斉に飛び立って
もう一本先の電柱と電柱の間の電線に移動する。
そしてまたその下を通ろうとする直前に飛び立って、次の電柱の向こうに。
農道の一本道には何十本も電柱があって、僕らのスピードに合わせて、
彼らも電柱一本ずつの移動を繰り返す。
最後、T字の交差点で、僕らは右折する。
さて、彼らはどうするんだろう。
僕らが最後の電柱を通過する直前、彼らは右の電線にむかって飛んだ。


たまに鳶が電柱の頭のてっぺんに止まってる。
僕は猛禽類が好き。
なんかカッコいい。
飛び方も優雅で、気高さと気品を感じるから。
頭上からずっと僕らを見ている。
僕もずっと鳶を見ている。
目が合ってる。
なんかピーンと張りつめた緊張感。
「鳶、何もしないからそのまま止まってて。」ってお願いするのに
いつも近づく前に空高く飛んでってしまう。
でも、今日は僕らがその電柱の下を通過するまで、鳶は飛び立たなかった。
ずっと目が合ったまま、僕とノンノは鳶のすぐ下を通過した。


人恋しくなる秋、それは人間だけじゃないのかも。

日ごとに増す肌寒さは、心に温もりを感じたいと願う気持ちを加速させる。

それは人間だけじゃないのかも。


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9/27 ”アルテピアッツァ公演終了”


旅木演劇工房、アルテピアッツァ公演が終わりました。

2日目は美唄駅に来るはずのJRが電線火災で止まってしまったハプニングがありながらも、
2日間で160名の方が観に来て下さり、多くの方が涙を流してくれていました。

たくさんの方から感想も頂きました。
少し紹介したいと思います。

・この演劇、俺の涙腺崩壊しまくった!次も絶対見に来てやる!

・すごく感動しました。明日からの人生変わりそうです。ありがとうございました。

・心からの思いが、役者からということでなく、人間が人間に語りかけてくる。
 そんな時間でした。炭鉱で栄えた時代の記憶が、ここに奇跡のように蘇りました。
 この風景、みなさんが見てるもの、私たち観覧者が見てるもの。それが一つになっていたと
 思います。

・人の強さと弱さの両面を表現した内容で、誰もが持っている部分が”良”でもあり、”不良”
 でもある形で、誰が観ても感動する素敵な演劇でした。

・とても感動しました。遠くで暮らす親にも、久しぶりに会ってみたくなりました。

・いろんな視点から自分を見てみることが大事だと感じました。

本当にありがとうございます。

アルテピアッツァという場所は世界的彫刻家、安田侃氏の彫刻美術館で、
とても素晴らしい空間なのです。
ここでは今まで、世界的なオペラ歌手とか、有名なアーティストが公演をしており、
それだけでもハードルが高いのですが、それに加え、演劇をする設備、環境が整ってないので、
もちろん、アルテピアッツァでの演劇公演は前例がなく、演出で上手く流れを作らねばならず、
僕らにとっては、身の丈を越えた、とてもハードルの高い挑戦でした。

このアルテピアッツァという場所はまさに炭鉱の町として栄えた場所で、炭鉱が盛んだった
50年前は3万人が住んでいたこの地区に、今では20人しかいないんだそうです。

この『窓の向こう、桜色』の話しは、寂れていく炭鉱の町がいやで東京に出て、人一倍努力し、
成功した男がその後、人生につまずき、家族も会社も失い、失望感の中、故郷の桜と
語り合う中で、生きる希望の芽を見つけていくお話です。

なので、この演劇を、是非この炭鉱の町でやりたかったんですよね。
そしてこのアルテピアッツァという空間で。

劇団員に相談したところ、やれるんだったらやりたい!ということで、
アルテピアッツァにお願いしに行って許可を得た時には、嬉しさのあまり
飛び跳ねたのですが、それと同時に、相当なレベルの高い舞台にしなければ、
観るに耐えないものになってしまうと感じました。

そこで、劇団員に覚悟を問いました。
最初、アルテピアッツァで公演できることに喜んでいた劇団員ですが、
本当の覚悟を決められるか問い正したところ、半分以上の劇団員がその覚悟を持てず、
辞めていきました。
公演まであと3ヶ月というのに、人集めから始めるという、信じられないような展開に
なってしまったのです。

ところが、”捨てる神あれば、拾う神あり”で、その後団長のそより(娘)が必死でいろんな人に
声をかけると、こんな無謀な挑戦を楽しむような実力を持った若者、または、
ことの大きさを解っていない若者が入って来てくれて、彼らが毎週末の6時間稽古や、
2泊3日の合宿での猛稽古に食らいついて来て、帳尻を合わせたかのような気持ちの
盛り上がりで本番を迎え、溢れに溢れた彼らの思いが、観に来てくれたお客さんの
心を打つ公演になりました。

公演を終えて、後片付けが終わった時は、もう10時を回っていました。
次の日、学校の人、仕事の人は、早めに帰って行くのですが、みんな、この仲間との
別れが惜しくて、気持ちだけ残してアルテピアッツァを去って行きました。

最後、僕の車への積み込みが終わり、残ったメンバーとアルテピアッツァに一礼し、
いよいよこれでみんなお別れの時、主役をやった男子が、僕の胸で泣き崩れた時には、
僕も思わず涙がでて、抱きしめました。

彼が演じた幸之助という男は、厳しい世界を勝ち抜くため、自分にも、家族にも、
会社にも厳しさを求め、それについていけない人たちの生き方を認めないところがある役で、
やがて周りの人が幸之助から離れて行くのです。
この役を下手な役者が演じると、幸之助の生き方は良くない。という簡単で表面的な
ことで終わってしまい、この物語りが浅〜い話しになってしまうのです。
しかし、彼が演じた幸之助は、本当は強かっている幸之助の中の弱さをきちんと表現していて、
観る人に、幸之助の苦悩が伝わり、そこに共感する人が生まれ、物語りに引きずり込まれ、
演者と観覧者が一体になることを教えてくれました。

アルテピアッツァという会場の持つ力も後押ししてくれて、僕たちの実力を越えるエネルギーが
伝わったんだと思います。

そして、かつて3万人が住んでいた頃の記憶がここには残っていて、その記憶が僕たちを
ここに導いてくれたんだと思います。

旅木劇団は次11月24日,25日に札幌で初作の『丘の上の桜の木に』の公演をもって、
一旦
活動を休止する予定です。

3年間、わけもわからず、ただただ、溢れる思いを伝えたい!というだけでやって来た
父と娘に、のべ50名を越す若者が着いて来てくれて、多くの物語りを届けてくれました。
そして、そのすべての公演に、僕の大学時代、最初に友達になった小林雅樹と、家具に道に
入ったときに最初に友達になった北島信吉が付き合ってくれました。
本当に”ありがとう”と伝えたい。

一つの目標を達成し、新しいステージに登ろうとするとき、団長の娘(そより)は、
役者としてもっといろんな経験を積んでおきたいということで、そう決めました。

旅木演劇工房、第一章、最後の公演、是非観に来て下さい。
この世界観は、他にはありません!(笑)

あ、上の3枚めの写真、桜が降っている幻想的なシーンの裏側。
思わず声が出てしまうような幻想的なシーンの裏では、出番ではない役者が一生懸命
うちわで桜の紙切れを散らしているんですね。
涙が流れるシーンの舞台の裏では、汗が流れています(笑)!

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9/19 ”パワハラが使えたなら…”

いよいよ今週末23(日),24日(月)に迫った旅木演劇工房、アルテピアッツァ公演、
『窓の向こう、桜色』

5月からずっと毎週末、稽古を積み重ねて来ました。そしてこの前の3連休は工房で
最後の追い込みの合宿。朝6時30分から夜は11時までの稽古、稽古に、
脚本を書いて、演出を担当している僕も付き合うわけで、心身ともに、ヘトヘトでした。
でも、役者のクオリティーが高く、とてもいい公演になりそうです。

当時高校1年だった娘の誕生日に、脚本を書いてプレゼントしたことがきっかけで、
娘が旅木演劇工房を立ち上げ、それに付き合うこと3年。
それからの週末はほとんど、若者たちと接しています。

役者たちは中学生から23、4歳までの若者たちなので、その勢いとか、元気パワーたるや、
すごいんですね。
すごんだけど、まだ未熟な彼らの勢いは、時に間違った方向に向かうことも。
そんな時も躊躇無く突き進んでしまう。

今、省庁や、スポーツ界ではパワハラが大きな問題になってますね。
僕は40代後半なので、パワハラ真っ盛りとでもいうのか、学校、少年野球、部活、会社
どの集団でも、今だったら問題だよな。というパワハラ(当時、そんな言葉はなかった)
の中で、それが当たり前の世界で育ったので、今騒がれている問題も、
まあ、勝つため、技術を向上させるための師弟関係、上下関係の中での多少のパワハラは
指導の範疇と見なされても仕方の無いことだという思いはあります。正直。

ただ、今はそういう時代ではなかったり、どういうわけか、うちの劇団員は学校、
組織から置いてけぼり(?)にされた人たちが多く、その分、心がとても繊細で、
傷つきやすい子たちもおり、(そのことは、演技をする上では長所だったりする)
彼らが僕の目から見て、間違った方向に行ったり、他の劇団員に迷惑をかけたりする行為を
した時の対処の仕方に、僕は神経をすり減らすこともあるんですね。。
だって若い女心からもっとも遠いところにいる、男+職人+おっさん ですから。

例えば、劇団員の女の子が、僕には解らない乙女心のなにかの理由で気持ちが乗らなくて、
そのシーンの稽古に参加せずに、スマホをいじってる時、僕の頭に先ず浮かぶ行為は、
「お前ふざけるな!何があったか知らねえが、他の人が頑張ってやってるのに、お前1人の
わがままでそのシーンの稽古が出来ないでいるんだぞ。いじけるのは稽古が終わって、
1人になった時にいくらでもいじけてろ!みんなといる時は、みんなの行動に合わせろ!」
と言って、首根っこ捕まえて、稽古させる。って感じですね〜。

この場面を動画に撮られて投稿されたら、間違いなくお昼の番組で坂上忍に怒られますね(笑)。

ああ、あくまで真っ先に頭に浮かぶ行為は?ですよ…。
実際には、

その気持ちをグググっと押さえて、みんながいない外に連れてって、
「どうした?何かあった?」
「言いたくありません。」
「まあ、言いたくないこともあるよね。言われてもオヤジの俺には解んないしね。」
「自分自身の問題なので。」
「あ、自分の問題って解ってるだけ偉いわ。大抵の人が問題は人のせいにするものだから。」
「…」
とんぼを捕まえて、
「ほら、とんぼ捕まえた。この辺のとんぼはのろまだから、簡単に捕まえられるんだよ。
アマガエルもいっぱいいるんだよ。カエル嫌い?意外と可愛いんだぜ。」

なんて会話を1時間くらいするんですね〜。
そのうち、こんなおっさんと話ししててもしょうがない。って思って稽古に戻るんですね。
慣れてないので、もう精神的にヘトヘトになるんです。
俺、なにやってんだろう…。。
なんて感じにね。
あ〜、パワハラが使えたら、なんて楽なんだろう!
って思うことも。

あらら、
本番を間近に控え、本来なら、
素晴らしい演劇ですよ。劇団員たちも、素晴らしい子たちばっかりで・・・
って良いイメージを伝えなきゃいけないところなのかも知れませんが、

僕はそれよりも、こんな人間臭い生身の人たちが、全然違う考えや意識を持った
若者たちが、ぶつかったりしながら、それでも一緒になにか成し遂げたい!
一つの最高の舞台をお客さんに届けたい!という気持ちで取り組んでいること。
そして、脚本をなぞるだけじゃなくて、その裏側の役者の人間の部分を感じながら
観てもらえたら、旅木劇団の演劇は、さらに観る人の心の深みというのか、
自分では触れない心の奥〜の部分を触られているような感覚になれるんじゃないかと思います。
僕の脚本は、それほど深く、役者たちのエネルギーはそれほど強いんです!(自画自賛?)

さらに今回、アルテピアッツァという美術館、本当に特別な場所での公演なので、
そのパワーが倍増されるんじゃないかと思います。

まだ残席がございます。
是非お時間を作って、観に来て下さい。
ご連絡をお待ちしております。

『最近、美しい涙で心を綺麗にしましたか?
ここにそんな家族の物語りがありました。』

詳細は こちら

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9/10 ”あなたは何を伝えたいのか?”


 ↑ 台風により工房の屋根が飛んでしまった


 ↑ 地震後の厚真町上空からの写真


 ↑ 北海道全域が停電になった夜の星空(ネットより)


 ↑ 昨日の工房から見えた夕焼け

”あなたは何を伝えたいのか?”

ほとんど眠れないような夜をなんとかやり過ごし、台風一過で穏やかな晴天の早朝、
ドキドキしながら工房に向かうと、目を疑うような光景が飛び込んできた。
工房の体育館の屋根が吹き飛んでめくり上がって、トタンや、下地の木が、辺りに
散乱していました。

そしてその日の夜、前夜の寝不足のため、熟睡していたにも関わらず、
ガタガタガタ…という建物の悲鳴で目覚め、とっさに横で寝ている息子を
おおい被さるように抱きしめて、じっと収まるのを待ちました。

連日、自然の猛威に襲われた北海道。
この災害で亡くなられた方には、ご冥福をお祈り致します。

やっと少し日常と、気持ちを取り戻し、工房の整理をしている日曜日の夕方、
工房の窓から燃えるような夕焼けが見えて、外に出て、写真を撮りました。
見とれてしまうような美しい夕焼け。

そういえば地震で北海道中が停電になった夜、SNSでは
「星が綺麗だ。」と、普通では決して見られない札幌での天の川の写真が
上がっていました。
台風が過ぎ去った後ですから。空気も綺麗で。

工房の屋根を吹き飛ばす台風による強風、爪で引っ掻いたような土砂崩れで
見渡す限りの山を切り刻み、ふもとで暮らす人々を家ごと呑み込んだ地震。
これらの自然の猛威に、僕ら人間はなす術もなく、恐れおののいている。

一方で、その夜の静けさ、満天の星々、空を架ける天の川、燃えるような夕焼けなど、
自然の神秘に、心を奪われ、思いに更けている。

自然よ、あなたは何を伝えたいのか?

地震も、台風も、天の川も、夕焼けも、なにか同じもののような気がしてくる。
僕らには何も出来ず、ただ敬い、そして平伏すしかない。
その出来事に、勝手に”幸”とか、”不幸”とかいう意味合いを付けているだけで。

北海道はまだまだ日常を取り戻すには時間がかかりそうだけど、あれからずっと
穏やかな抜けるような青空の日が続いている。

窓越しに気持ち良さそうに揺れている庭の木々を見ていると、
強風が吹いた台風も、自然が怒り狂ったわけではなく、北海道中を真っ暗にした
地震も、自然が牙を剥いたわけではなく、この穏やかな青空と何ら変わらない
自然のある一部分だったんじゃないかと思えてくる。

昔読んだ本の一節を思い出している。

”幸も不幸もない。ただそう思う心があるだけ”




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8/27 ”清原が背負ったもの”

夏の甲子園が終わりましたね。
100回の節目の大会だけあって、この夏は名勝負が多く、多くの感動をもらいました。

毎日の甲子園レジェンドたちの始球式は、よかったですね〜。
8/7のつむ通で、 ”神様の粋な計らい”と題して松井と石川星稜高校のことを書きましたが、
準決勝でもありましたね。
ピッチャー桑田に対して、バッタボックスに立っていたのが金足農業。
34年前の同じ日、同じ準決勝で、桑田、清原率いるPL学園は、金足農業が対戦しました。
その時、清原を敬遠して桑田勝負をした金足農業でしたが、なんと、エースの桑田に
ホームランを打たれて逆転負けをしたんですね。
同じ日、同じ準決勝の始球式でこの組み合わせが実現するなんて、相当な奇跡ですね。
あ〜、神様、随分楽しんでるな〜。なんてワクワクしました。

残念なのは、このレジェンド始球式に、清原の姿を見ることが出来なかったことですね。
覚せい剤で野球界から追放されてしまって、家族からも見捨てられ、
今は重度の鬱病なんだそうです。

先日、面白そうな本に出会い、思わず買って繰り返し3回ほど読みました。
『清原和博への告白〜甲子園13本塁打の真実』

甲子園13本塁打というのは、いまだ破られていない記録なんです。そしてこの本は、
清原に甲子園でホームランを打たれた投手の、打たれた時の記憶と彼らのその後の人生を
描いたもの。
清原に負けた投手たちの30年越しの告白は、そのまま清原へのエールになっているのです。

今回の甲子園でもそうですが、僕らは、誰が打った、打たれた、勝った、負けた…
彼らのほんの一瞬、人生の一コマしか知らない。
勝者の中で、プロ野球に行って、活躍した選手は、その後の人生を追うことが出来るけど、
当たり前だけど、敗者にもその後の人生があるわけで、この本は、清原という男に
負けた彼らのその後の人生において、30年たった今だから語れる、清原に打たれた
ホームランの持つ意味を告白したものです。

面白いと感じたのは、清原に打たれた敗者は、そのことを誇りに、新たな人生を歩んでいる。
それに対し、清原と対決するはずだった投手が、なんらかの事情でPLとの試合に投げられず
清原に打たれなかった者は、その後、清原の陰を追い求め、ずるずると野球から
離れられず、未練と後悔の海を彷徨っている。

人はどこかで”負け”を経験することで、大事にしていたものを捨て、新しい何かを
手に入れるのだろう。
それは清原自身にも言えること。
もしかしたら、清原はもっと早い段階で、”負け”を経験し、受け入れていたら、
今とは違っていたのかも知れない。

彼ら敗者の心の中の、清原に打たれたホームランの持つ意味の大きさは、そのまま清原が
ホームランを打つごとに背負ったものだったんだろう。
清原によって夢破れた者たちの夢、世間の評価と期待、それらを白球に乗せて放物線を
描き続け、最後、バットを置いた時、はたしてそれらに何の意味があったのだろう。
どこかで負けて、背負っていたたものを捨て、自分の喜びのための野球が出来ていたら。

たまたま昨日手に取った雑誌で、桑田も同じことを言っていて驚きました。
桑田の野球人生で、PL学園での一年生の夏の甲子園、あの時ほど楽しい野球は、結局
その後の野球人生で一度も経験できなかった。っと。

この夏、一寸の隙もない完璧な強さで勝った大坂桐蔭。
決勝戦を清原が観戦しに来たんだそう。
どんなことを思いながら、彼らの活躍する姿を見ていたんだろう。
いや、見ていたのは彼らではなく、昔の自分だったのかも知れない。
まだ”番長”とも、”だんじりファイター”とも呼ばれていない高校生の頃の清原は
今の清原に何を語ったのだろう。

もしかして、初めて”負け”を経験し、16歳から背負い続けたものを捨て、野球界に
戻って来た清原を、僕は見てみたい。





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8/18 ”富良野の丘にも”

北海道はお盆を過ぎると、いっきに秋の気配が色濃くなります。
富良野の丘には、つながりとんぼが飛んでいます。
つながりとんぼ。
二匹のトンボが仲良さそうに、くっついて飛んでいるやつ。
行きたい方向が違ったりしないのかな?

お盆直前に、義父が亡くなったと知らせを受け、富良野と当別を行ったり来たり
していました。
妻の実家は富良野で宿をやっているので。

義父は病気知らずで、当日の朝まで元気に日課のジョギングをしていたそうで、
突然の出来事に、誰もがただただ、驚いています。
僕の親と同い年、80手前なので、その年齢の方の話しを聞くと、
誰もが、義父の潔い逝き方に、「羨ましい。」と言っていました。
そういえば昔から潔い人でした。

お盆中の突然の出来事だったので、お通夜もお葬式も、家族のみで行う予定だったのですが、
孫たちが東京から駆けつけてくれて、家族と孫たちだけの、本当に温かく心のこもった
数日間に、悲しみよりも、感謝の気持ちに包まれました。

僕はこれまで、身近な人が亡くなった場面に居合わせたことがないので、ついドラマ的に
家族が泣き崩れたり、叫んでいる場面を想像するのですが、義母は、気丈という風に
気張っているわけではなく、悲しみの中にいつつも、丁寧に受け入れている風で、
「もう、これから誰が私の見るテレビのビデオ録ってくれるのよ。」と涙を浮かべながらも、
笑いながら言う言葉に、これが現実なんだな。としみじみと思いました。

火葬の前、義母の「今までありがとう。幸せだったよ。今度はもっと美人の奥さん選びなよ。」
という言葉に、人と愛情の大きさと深さを感じました。

人は誰もがたった一つの共通の願いを持っていると思います。
それは”幸せになりたい。”

ある人はその為にお金を求めるかもしれない。
地位や名誉かもしれない。
友達かもしれない。
褒められることかもしれない。
認められることかもしれない。

人それぞれ、いろいろあるんだろうけど、最後の時、長年連れ添ったパートナーに
「幸せだったよ。ありがとう。」
と言ってもらえる人生は、幸せだったんだろうな。

ずっと雨だった北海道も、お盆が終わって久しぶりに天気になりました。
僕は仕事があるので、当別に帰ってきました。
久しぶりに自転車に乗って、犬たちを散歩していると、
空は高く、風がちょっと冷たくなってきた、雨上がりの澄んだ空気の中、
つながりとんぼがいっぱい飛んでいます。

この空は、富良野にもつながっている。
これから収穫を迎えるパッチワークのような富良野の丘にも、つながりとんぼが
今日は気持ち良さそうに、飛んでいるんだろう。



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8/7 ”神様の粋な計らい”

”奇跡”
常識では起こりえない、不思議な現象、出来事。

”偶然”
なんの因果関係もなく、予期しないことが起こること。

辞書にはこんな風に書かれています。

僕はこんな風に思います。
”神様の粋な計らい”

空気は見えないけれど、風となって揺れる木々や、流れる雲で あるよって言ってる。
神様は姿を見せないけれど、僕らが”奇跡”とか、”偶然”って呼んでいる出来事で
いるよって言ってる。

夏の甲子園、始まりましたね。
開幕早々、僕は”神様の粋な計らい”に興奮気味にテレビにくぎつけになっていました。
そんな人も多かったんじゃないでしょうか?

開幕戦の始球式。
元ヤンキースの松井選手が始球式で投げましたね。
その松井選手の後ろを守っていたのが石川星稜高校の選手たち。
この風景に松井世代の僕は一人で興奮していました。

あ、意味が解らない方もいますよね。

松井選手は石川星稜高校の選手として、28年前に甲子園に出場し、
そしてメモリアルのこの夏、石川県の代表は石川星稜高校。
100回記念ということで、この夏の甲子園はいつもより多い56校が出場しています。
松井の開幕戦の始球式はとっくに決まっていました。
先日の主将による抽選会。どのチームが開幕戦のくじを引くか。
56校中、49番目に引いた石川星稜の主将が引いたのが、なんと開幕戦。
そして、試合1時間前に相手の藤蔭高校とジャンケンで先攻、後攻を決めます。

石川星稜の監督は主将に絶対ジャンケンで勝って、後攻を選べ!っと支持します。
なぜかというと松井選手が始球式で投げる時に、石川星稜の選手がキャッチャーで、
松井選手の後ろを守るのも石川星稜の選手がだからです。
そして見事ジャンケンで勝って、石川星稜は後攻を選び、始球式では、
松井選手の後ろには石川星稜の選手たちがいるという、松井世代の僕には泣けてくるような
シチュエーションが実現したのです。。

さらにこの始球式にはもう一つの偶然が。
石川星稜高校の相手の藤蔭高校は今回、28年振りの甲子園。
そして藤蔭高校の原監督は、28年前に甲子園に出場したその時の藤蔭高校のキャプテンで、
選手宣誓をしているのです。

”28年前”

先程も出てきましたよね。
そう。松井選手が石川星稜の一年生で、初めて甲子園に出場した夏。
ということは、28年前に松井選手と原監督は、対決こそしなかったけれど、
甲子園にともに立っていたわけです。
そして時は流れ、28年の歳月を経て、再び同じ甲子園の土を踏んだのです。

この奇跡、
特に誰かの人生を大きく左右するような奇跡ではないけれど、
だからこそ、別にこんな奇跡、起きなくてもよかったわけで、
じゃあなんでこんな奇跡のような巡り合わせが起きたのか?

僕は思うんです。
神様の粋な計らい というか、 いたずら というか、 遊び心 というか。
このプチ奇跡に何人くらいの人が気付くのかな?
「ちちんぷいぷいのぷい!」なんていって楽しんでるんじゃないかって。

もしかしたら、僕たちの周りには、こんな”神様の粋な計らい”な出来事が
いっぱい起こっているのかも知れない。
気が付かずに見逃していたり、当たり前だと思ったり、自分の実力だと勘違いしたり、
誰かのせいにしたり。

アインシュタインが言っています。

『人生にはふたつの生き方しかない。ひとつは、奇跡を何ひとつないとして生きる生き方。
ふたつめは、すべてが奇跡であるとして生きる生き方。』

起こる一つ一つの出来事を、奇跡(神様の粋な計らい)だと感謝して生きられたら、
人生はからくりに満ちた玉手箱のようなものなんだろうな。

第100回、夏の高校野球選手権大会。
この夏、ドラマが生まれるんだろう。

追伸

今までの甲子園の歴史の中で一番のドラマは?

僕はやっぱり、26年前の夏。
石川星稜 対 明徳義塾 
松井選手の5打席連続敬遠 
ですね。
テレビで見ていて、もう悔しいくらい頭に来たのを覚えています。
ところが…。。

すごかったのは、5打席連続敬遠ではなく、松井選手そのもの でした。
過去つむじ風通信に、そのことを書いたものがあるので、読んでみてください。
この年になって、まだまだ18歳の松井選手には到底適いません…。。
→ こちら



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7/26 ”風は見えないけれど”

猛暑で熱中症の被害のニュースが連日のように流れています。
本州ほどでないけれど、北海道も20℃後半の暑い日が続いています。
東京のあの、どうしようもなくまとわりつく蒸し暑さを思うとまだましなのですが、
それでも20数年前、美瑛の丘に転がってる牧草ロールの上に乗って、爽やかだなぁ。なんて
叫んでいた北海道の夏にも、いつのまにかすっかり慣れてしまって、
「今日はやけに蒸し暑いな。」なんて言ってます。

毎朝出勤前にノンノ(北海道犬)とマル(黒柴)の散歩に、自転車で防風林まで一周
しています。
日中は蒸し暑いけど、朝晩は爽やかな風が吹くので、散歩は出勤前と出勤後。

この季節、南から吹く風は、もうすぐ収穫を迎える小麦の穂を、ドミノ倒しのように
向こうからこっちに向かって揺らしてきます。
風はそのままだと見えないけど、その風景を見ていると、もうすぐ風がくる。ってわかる。

まだ1歳のマルは、体力が有り余っていて、一周2キロの散歩コースを、ベロを出しながら
ハァハァ言いながら僕を引っぱってひたすら走り続けるのですが、10歳のノンノは
のんびりと気持ちのいい風を感じながら、僕に引っぱられています。

昨年、ノンノは大きな病気になり、余命1週間と言われ、横たわっていたのですが、
それでも散歩が大好きで、僕が「ノンノ、散歩行こう。」と綱を持つと、
必死に立ち上がって、外に向かいます。
外で綱を離しても、歩く気力がなく、ずっとその場で立っていて、僕がちょっと離れた所から
「ノンノ、おいで!」と言っても歩けない状態でした。
それでも一歩一歩、僕のところへやってこようとする。
3月の冷たい北風に、よろっとふらつくノンノが、とても悲しかった。

余命宣告されてから、毎晩ノンノの横のソファで僕は寝ていたのですが、ちょうど
一週間が経った晩、ソファの上で寝ている僕の上に、ノンノが飛び乗ってきたんです。
ジャンプなんて出来るはずないのに。
病気になるまではずっと外で飼っていたので、嬉しかったんでしょうね。
急に涙が出て、ノンノを抱きしめて眠りました。

それからノンノは奇跡的に復活し、無事に手術する体力が戻り、病源の子宮を取り、
元気になりました。
獣医に言わました。子宮を取ると、なぜか太る。っと。
その通りで、規定の量より少ないご飯なのですが、それでも太ってしまいました。

病気になる前までは、マルに負けないくらいのスピードで、風を切って僕を引っぱって
いたのだけれど、今は気持ちの良い南風に背中を押されながら、のっそのっそと
歩くノンノを見て、元気になってよかった。こんな風にノンノと散歩出来てよかったよ。
なんてしみじみと思うのです。
そして同時に、あと何回、あの厳しい
北風を、そしてこの優しい南風を
ノンノと一緒に感じられるんだろうっと。

また小麦畑が揺れている。

ノンノ、ほら、風が来るよ。






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7/17 ”言葉を話すゴリラ”

「ココ、次は人間に生まれておいで。」

ずっと、このことを書こうと思いつつ、随分時間が経ってしまいました。
先月、ゴリラのココがなくなったというニュースを見ました。

ゴリラのココ、ご存知ですか?
手話で人と話しができるゴリラとして知られていました。
数年前、テレビで見た時には、驚きました。
2000語くらいの言葉を使いこなしていたそうです。

ココを一躍有名にしたのが、プレゼントされた猫(ボール)をまるで
人間が赤ちゃんを抱くように、優しく優しく抱いて、育てている様子の動画。
本当に嬉しそうに、可愛くてたまらないといった様子で可愛がっています。
ボールも安心しきった様子で抱っこされていて、心が癒されます。

そしてこれには悲しい続きがあります。

ボールが交通事故で死んでしまうのです。
そのことを飼育係の博士が伝えると、ココは少しの沈黙の後、
手話でボールへの愛情や悲しみの言葉を繰り返し、大きな声で
泣き続けます。

ココがあまりに純粋に悲しんでいる様子に、思わず泣けてしまいます。

驚くのは、ココが”死”の概念を理解していることです。
手話で
「ゴリラはいつ死ぬの?」と聞くと、
「年をとり、病気で」と回答し、
「その時、何を感じる?」と質問すると、
「眠る」と答えたのだそう。そして
「死んだらゴリラはどこへ行くの?」との質問には
「苦痛のない 穴に さようなら」と答えたのだそう。

自然から離れた人間は、”死”というものに、得体の知れない恐怖を抱いているけど、
自然界の生き物など、死と隣り合わせの動物たちは、
もしかしたら死後の本当の世界をきちんと理解していて、”安らげる場所”
と認識しているのかもしれませんね。
その上で、いなくなってしまったことへの悲しみ、慈しみの感情は
ちゃんと持っている。

ココの動画をいろいろ見ていると、本当に表現豊で、愛情が溢れ出ていて、
自分の感情に素直で、悲しみの表現の中にすら、僕の心の奥の、自分では
触ることのできない部分を撫でられている気持ちになります。

僕ら人間が忘れてしまっていたり、複雑な環境、感情に振り回され、
好きなのに好きと言えなかったり、その逆だったり、嬉しくないのに
ありがとうと言ったり、怒っているのに平静を装ったり、やりたくないことを
やっていたり、損と得を天秤にかけたり、言葉を暴力として使ったり、
罪のない動物を、危険だからと殺したり、弱いものに暴力をふるったり、
僕ら人間は動物の頂点に立っているようなつもりで、地球の支配者ぶっているけど
一体何をしてるんだ。と思えてきます。

ココは眠っている間に静かに息を引き取ったという。46才の生涯を。

サンフランシスコに生まれたココは、独立記念日の夜空に派手な花火に感じた恐怖が
原因で、生後間もなく、栄養失調で痩せ細り、母親と引き離され、人間に育てられた。
生後一歳くらいから手の動きでモノを差し示す言葉を覚え、「可愛い」、「好き」
など感情の言葉を含め2000語を越える言葉を覚え、人間と会話をした。(wikipediaより)

子猫と触れ合ったのをきっかけに、ココは母性本能が目覚めこんな要求を。
「ココ、赤ちゃんほしい?」
「私、ほしい。」
ゴリラのぬいぐるみを与えると、まるで我が子のようにおっぱいを飲ませる仕草を
見せたんだそう。
人間より人間らしい。
「ココ、次は人間に生まれておいで。」

いや、

それはどうなのかな?

もしかしたら、僕らが君に学び、近づいた方が、地球も、動物も、そして
人間自身も、幸せなのかも知れない。





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