『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。


7/26 ”風は見えないけれど”

猛暑で熱中症の被害のニュースが連日のように流れています。
本州ほどでないけれど、北海道も20℃後半の暑い日が続いています。
東京のあの、どうしようもなくまとわりつく蒸し暑さを思うとまだましなのですが、
それでも20数年前、美瑛の丘に転がってる牧草ロールの上に乗って、爽やかだなぁ。なんて
叫んでいた北海道の夏にも、いつのまにかすっかり慣れてしまって、
「今日はやけに蒸し暑いな。」なんて言ってます。

毎朝出勤前にノンノ(北海道犬)とマル(黒柴)の散歩に、自転車で防風林まで一周
しています。
日中は蒸し暑いけど、朝晩は爽やかな風が吹くので、散歩は出勤前と出勤後。

この季節、南から吹く風は、もうすぐ収穫を迎える小麦の穂を、ドミノ倒しのように
向こうからこっちに向かって揺らしてきます。
風はそのままだと見えないけど、その風景を見ていると、もうすぐ風がくる。ってわかる。

まだ1歳のマルは、体力が有り余っていて、一周2キロの散歩コースを、ベロを出しながら
ハァハァ言いながら僕を引っぱってひたすら走り続けるのですが、10歳のノンノは
のんびりと気持ちのいい風を感じながら、僕に引っぱられています。

昨年、ノンノは大きな病気になり、余命1週間と言われ、横たわっていたのですが、
それでも散歩が大好きで、僕が「ノンノ、散歩行こう。」と綱を持つと、
必死に立ち上がって、外に向かいます。
外で綱を離しても、歩く気力がなく、ずっとその場で立っていて、僕がちょっと離れた所から
「ノンノ、おいで!」と言っても歩けない状態でした。
それでも一歩一歩、僕のところへやってこようとする。
3月の冷たい北風に、よろっとふらつくノンノが、とても悲しかった。

余命宣告されてから、毎晩ノンノの横のソファで僕は寝ていたのですが、ちょうど
一週間が経った晩、ソファの上で寝ている僕の上に、ノンノが飛び乗ってきたんです。
ジャンプなんて出来るはずないのに。
病気になるまではずっと外で飼っていたので、嬉しかったんでしょうね。
急に涙が出て、ノンノを抱きしめて眠りました。

それからノンノは奇跡的に復活し、無事に手術する体力が戻り、病源の子宮を取り、
元気になりました。
獣医に言わました。子宮を取ると、なぜか太る。っと。
その通りで、規定の量より少ないご飯なのですが、それでも太ってしまいました。

病気になる前までは、マルに負けないくらいのスピードで、風を切って僕を引っぱって
いたのだけれど、今は気持ちの良い南風に背中を押されながら、のっそのっそと
歩くノンノを見て、元気になってよかった。こんな風にノンノと散歩出来てよかったよ。
なんてしみじみと思うのです。
そして同時に、あと何回、あの厳しい
北風を、そしてこの優しい南風を
ノンノと一緒に感じられるんだろうっと。

また小麦畑が揺れている。

ノンノ、ほら、風が来るよ。






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7/17 ”言葉を話すゴリラ”

「ココ、次は人間に生まれておいで。」

ずっと、このことを書こうと思いつつ、随分時間が経ってしまいました。
先月、ゴリラのココがなくなったというニュースを見ました。

ゴリラのココ、ご存知ですか?
手話で人と話しができるゴリラとして知られていました。
数年前、テレビで見た時には、驚きました。
2000語くらいの言葉を使いこなしていたそうです。

ココを一躍有名にしたのが、プレゼントされた猫(ボール)をまるで
人間が赤ちゃんを抱くように、優しく優しく抱いて、育てている様子の動画。
本当に嬉しそうに、可愛くてたまらないといった様子で可愛がっています。
ボールも安心しきった様子で抱っこされていて、心が癒されます。

そしてこれには悲しい続きがあります。

ボールが交通事故で死んでしまうのです。
そのことを飼育係の博士が伝えると、ココは少しの沈黙の後、
手話でボールへの愛情や悲しみの言葉を繰り返し、大きな声で
泣き続けます。

ココがあまりに純粋に悲しんでいる様子に、思わず泣けてしまいます。

驚くのは、ココが”死”の概念を理解していることです。
手話で
「ゴリラはいつ死ぬの?」と聞くと、
「年をとり、病気で」と回答し、
「その時、何を感じる?」と質問すると、
「眠る」と答えたのだそう。そして
「死んだらゴリラはどこへ行くの?」との質問には
「苦痛のない 穴に さようなら」と答えたのだそう。

自然から離れた人間は、”死”というものに、得体の知れない恐怖を抱いているけど、
自然界の生き物など、死と隣り合わせの動物たちは、
もしかしたら死後の本当の世界をきちんと理解していて、”安らげる場所”
と認識しているのかもしれませんね。
その上で、いなくなってしまったことへの悲しみ、慈しみの感情は
ちゃんと持っている。

ココの動画をいろいろ見ていると、本当に表現豊で、愛情が溢れ出ていて、
自分の感情に素直で、悲しみの表現の中にすら、僕の心の奥の、自分では
触ることのできない部分を撫でられている気持ちになります。

僕ら人間が忘れてしまっていたり、複雑な環境、感情に振り回され、
好きなのに好きと言えなかったり、その逆だったり、嬉しくないのに
ありがとうと言ったり、怒っているのに平静を装ったり、やりたくないことを
やっていたり、損と得を天秤にかけたり、言葉を暴力として使ったり、
罪のない動物を、危険だからと殺したり、弱いものに暴力をふるったり、
僕ら人間は動物の頂点に立っているようなつもりで、地球の支配者ぶっているけど
一体何をしてるんだ。と思えてきます。

ココは眠っている間に静かに息を引き取ったという。46才の生涯を。

サンフランシスコに生まれたココは、独立記念日の夜空に派手な花火に感じた恐怖が
原因で、生後間もなく、栄養失調で痩せ細り、母親と引き離され、人間に育てられた。
生後一歳くらいから手の動きでモノを差し示す言葉を覚え、「可愛い」、「好き」
など感情の言葉を含め2000語を越える言葉を覚え、人間と会話をした。(wikipediaより)

子猫と触れ合ったのをきっかけに、ココは母性本能が目覚めこんな要求を。
「ココ、赤ちゃんほしい?」
「私、ほしい。」
ゴリラのぬいぐるみを与えると、まるで我が子のようにおっぱいを飲ませる仕草を
見せたんだそう。
人間より人間らしい。
「ココ、次は人間に生まれておいで。」

いや、

それはどうなのかな?

もしかしたら、僕らが君に学び、近づいた方が、地球も、動物も、そして
人間自身も、幸せなのかも知れない。





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7/4 ”ワールドカップから見えてきたことは?”

「わずかであって、わずかでないのかも知れない。
・・・(中略)
されど、
そのわずかというところは、これからサッカー界でまた埋めなおさなければ
いけないと思います。」

ワールドカップサッカー、
8年振りに一次予選を突破して決勝ラウンドに進んだ日本対ベルギーの試合。
日本時間午前3時キックオフという、ハードな時間帯でしたが、起きて見ました。

後半2点先制した時は、興奮しましたね〜。
最後は僕も呆然と脱力感に浸っていました。
まさか3失点するとは。
しかも最後の失点はまさにあっという間の、美しさすら感じるほどの一瞬の出来事でした。

上記の言葉は、西野監督の試合後、ちょっと落ち着いてからの記者会見で語った言葉。

まさに言い得て妙ですね。
「わずかであって、わずかでないのかも知れない。」

例えば日本のサッカーが、初めて予選を勝ち抜いて、ワールドカップに出場した年を
ワールドカップ元年とすると、それは1998年フランス大会です。
やっと世界と真っ向勝負できるところまで20年かかったことになります。

西野監督は記者会見で「勝ちきれなかった。」と言っています。
日本中が祝福ムードになっていますが、辛口サッカー評論家のセルジオ越後さんが言っています。
「10人の相手に1勝しただけ。後は2敗1分のチームがどうして強いといえるんですか?」
これも別の方向からみた真実です。

世界の強豪を相手に勝ちきれる日本になるのに、もしかしたら20年かかるかも知れない。

なんだかもの作りに似ている。

”それなりに本物に見える”

ところまでと、そこから

”本当に本物”

までの道のりって、もしかしたら”ほんのわずか”に思えるけど、
そこまでの進歩の過程と同じくらい、もしくはそれ以上の努力と時間を要するように感じます。

今年も半分が過ぎてしまいました。
今年こそ、車椅子を完成させたい!と思いつつ、家具作りに追われ、手をつけられずにいます。
旅する木の木の車椅子、”それなりに本物に見える”ところまで来ています。
でも、”本当に本物”の域に到達するのには、これまで以上の時間と労力と知力を
尽くさなければ、到達出来ないと感じていて、今の旅する木のキャパシティーでは
それをかけるには、かなり思い切った決断をしなければならないと思っています。
そして、そのタイムリミットは刻一刻と近づいていると。

おりしもネットに、本田選手がワールドカップ開幕前日、誕生日を向え、
チームメイトに祝ってもらった時、いざこれから決戦を迎える仲間たちに語った言葉が
紹介されていました。

今の僕が思っていることと、とてもリンクしていたので、感銘を受けました。

「このW杯が終わったあとに自分の人生が終わるとしたらどういう決断をしていくか。
もちろん、人生は終わらないんだけど、終わるとしたら、どれくらいの覚悟でどういう
意思決定で、どういうふうに取り組んで、どういう会話をみんなでしていくか。
そういう思いでこのW杯を過ごしたい」

自分の人生の余命を知っていたら、人はどれほど有意義な人生を歩めるだろう。
自分の持ち時間には、制限があることを知って、意思決定が出来たなら。

今この瞬間の意思決定と行動を、明日自分は死ぬ。というつもりで決めていくことが、
その積み重ねこそが、感動的な人生を作り出すんだろうと思います。
そして、本物の人生を目指すとしたら、意思決定の根拠はそこに立ち返らなければならないと。

実は答えはもうとっくに出ているんだけど。
一歩踏み出せない、もどかしい自分に、ベルギーに立ち向かう日本の選手の姿と
感動的な試合、そして、厳しい結末がのしかかって来るようでした。

今年も残り半年となりました。
あなた(僕)の余命は半年です。
さあ、あなた(僕)はどうしますか?
何をしますか?
何を残しますか?



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6/25 ”海を渡ったクマ”

その熊はなぜ、海を渡ったか?

北海道最北の島、昆布で有名な利尻島。
利尻島には熊がいないのですが、最近、一頭のヒグマが海を渡って、利尻島に上陸し、
その姿がセンサーカメラにとらえられたというニュース。
もしかして騒がれているのは、北海道だけなのかな?
20キロも海を泳いで渡ったんだそうです。

なんで海を渡ったんでしょうね?

専門家によると、後尾のため、メスを探しに渡ったか、食べ物を探しに渡ったか、
どちらかだそうです。

ホントかなぁ?
動物には想像力ってないのかなぁ?

最近、北海道は夕日がとっても綺麗です。
ちょうどノンノ(北海道犬)とマル(黒柴)を夕方の散歩に連れて行っている時なので、
「夕日に向かって走れ!」
なんて青春ドラマを演じています(笑)。

きっと、稚内の海岸線から、利尻島の向こうに沈む夕日も、めちゃくちゃ美しいだろう。
それを毎日見ていたあるクマが、あの島から見る夕日はどんななんだろう?
見たい!見てみたい!

そんな感情を、とうとう押さえられなくなって、海に入った。
なんてことはないんだろうか?

僕は子供の頃、『トムソーヤの冒険』が大好きでした。
トムが友達と家出して、ミシシッピ川をイカダで下り、無人島で過ごす日々は
子供の僕にはあまりに自由で、新鮮で、ワクワクする想像力に満ちていて、
心を解放させてくれました。

そのクマは、母クマに怒られる毎日が嫌になり、自由になりたくて、ワクワクする冒険を夢見て、
「あの無人島(実際には無人島ではなかった)で自由に生きるんだ!」
といって、海に飛び込んだりはしなかっただろうか?

実は106年前、やはり利尻島に渡ったクマがいたんだそう。
捕獲されたクマは体重350キロの大きなクマだった。
もしかしたら、稚内周辺の地元のクマ仲間の中では、彼は伝説的な英雄ではなかったか?

「あの島に渡って帰って来たやつはまだいない。あそこは恐ろしい島だ。
決して近づくなよ。」
なんて言伝えがあって、クマの中にも、「見るな」と言われれば見たくなり、
「触るな」と言われれば触れてみたくなり、「行くな」と言われれば行きたくなる
あまのじゃくなクマはいなかっただろうか?

利尻島にはヘビのいないんだそう。
「それは本当だろうか?」と確かめようと思う学者クマはいないだろうか?

お父さんクマを人間に殺された赤ちゃんグマに、お母さんクマが、「お父さんは海の向こうの、
あの美しい山(利尻富士)で元気に暮らしているの。お前が大きくなったら、あの山に会いに
お行き。だからもう泣かないで。」なんて慰めたことはなかったか?

100年間、誰も海を渡ろうとしなかったのに、そのクマは海を渡った。
その行動に隠された真実は、人間には計り知れないことなのかも知れない。
餌とか、メスを探すためとか、そんなことではなく、もっと好奇心とか、冒険心とか、
探究心とか、なんか人間に近い感情があって、それを想像すると、なんだか
そのクマに親近感のようなものを感じてきます。

島民の安全を守るため、道に駆除申請が出され、許可されたそうです。

冒険の旅にでたクマよ。
人間にも植村直己という偉大な冒険家がいたんだ。
彼が言っていた。
「冒険とは、生きて帰ることである。」っと。
誰にも見つからないうちに、また海を渡って帰っておいで。



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6/14 ”工房異臭騒ぎ?”

例えば、引っ越しために荷物を整理していた時、
段ボールの下から、出せなかった 何年も前の夏の夜に書いたラブレターなんかを
見つけたとしたら、きっと、こんな気持ちになるんだろうな〜。

不安で震えている昔の自分に、「大丈夫だよ。」って言ってあげたい。

昨日、そんな出来事がありました。

スタッフの花輪君が、「須田さん、なんかこの辺から異臭が…」
と言って来たので、二人で工房の整理をしていたところ
、普段、手をつけないものの裏に
段ボールが置いてありました。
もう段ボールもかなり劣化した状態で。

何が入ってるんだろう?
恐る恐る開けて見ると、ホコリまみれになった本の束。
そして作ったことも忘れていたクラフト作品たち。

本のホコリをとって現れたのは…?

『成功への情熱』稲盛和夫
『道をひらく』松下幸之助
『成功とツキを呼ぶ 本物の法則』船井幸雄
『稲盛和夫の論語』皆木和義
『夢を実現する宝地図』望月俊考
などなど。

あ〜、見覚えあるなぁ。
どんだけ成功したかったのよ(笑)!
と笑いながらも、同時に、胸の奥が苦しくなるというか、
これらの本を真剣に読んでいた頃をの自分を、切ないほどに愛おしく思う自分がいました。

そう。13年前、独立して間もない頃。
当時の工房は札幌の東区のタマネギ倉庫。
仕事なんてなんにもないくせに、
「さ、仕事しに行ってきます。」なんて言って毎朝アパートを出ては、
工房で一人、こんな自己啓発の本を読んで、時間を潰していたわけです。

こんな本読んでる暇があったら、営業でもしろ!って言われそうですが
当時の僕は、これらの本の中の成功者たちの言葉に、何か突破口を見いだそうしたのか、
それとも、生まれたての旅する木の方向性を模索していたのか。

いや、不安で不安で仕方なかったんだろうなぁ。
成功者にも同じような最初の一歩があったわけで、その一歩目の不安を共有し、
安心し、次の一歩の勇気をもらってたんだと思います。

そんな昔の自分に、言ってあげたくなります。
「大丈夫だよ。」って。

一日中これらの本を読んで、夕方、暗くなったら家に帰ってました。

そして、この本と一緒に入っていたものが、このクラフト作品。

 

これは壁掛けの木琴。
ほとんどが取れちゃったけど、本当はそれぞれの板に動物の切り抜きが
貼ってあったんだよなぁ。

そして、


これは作りがけでボツになった振り子時計。
6の部分が丸く抜けていて、その”?”がユラユラ揺れるというものですね〜。

これらの作品を見た時、笑っちゃいましたね。
すっかり忘れてました。
作ったことも。

笑っちゃうんですけど、やっぱり胸の奥が苦しいというか、泣けてくるというか…。

なんて優しさを感じる作品なんだろう!
なんて愛に満ちた作品なんだろう!

旅する木の最初の一歩を試行錯誤して、悩みもがく中で作ったけれど、世に出なかった作品。
なんか作りかけということもあるのだろうけど、
「僕、この世界に生まれてもいいの?」
「こんな僕だけど、いいの?」
と言っているような気がします。
それは、きっとその時の僕が、そんな気持ちで作ってたからかな?

そのうち、子供の頃の夢のように、いつの間にか記憶の隅に追いやられて、
忘れ去られちゃったんだね。
「出してくれ〜」って主張するほど自分に自信がなくて、箱の隅っこで
膝を抱えていたんだと思うと、愛おしくなります。

「最後まで作ってあげられなくて、ごめんね。君たちは、今のどんな作品にも負けてないよ。
君たちの知っているあの頃の僕は、不安で自信がなくて、頼りなかったけど、君たちは、
そんな中の、小さな小さな希望だった。」

そんな風に声をかけると、なんだかはにかんで喜んでいるような気がした。

異臭の原因?
野暮なことは聞きなさんな。

匂いは記憶と感情と繋がっていることはあんたも知ってるよね。
ある匂いを嗅いだ瞬間に、子供の頃の記憶と、その時の気持ちをはっきりと
思い出すことって、あるよね。

でも、あんたは大事なことを知らない。
それは何かって?

その逆もあることを。

記憶と感情が、懐かしい匂いを発することがあるってことを。

異臭?

それはこのクラフトたちに馳せた、あの頃の俺の愛と情熱と、そして希望の香りさ。



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6/4 ”夢の叶え方の枠を越えて”

先日、僕が旭川の職訓に通っていたころの仲間で、今、アメリカ在住の友達が
日本に一時帰国したので、お酒を飲みに集まりました。
もうかれこれ20年くらい前、ここにいる全員が木工の勉強をしていました。
今でも木工をしているのは…?
僕ともう1人だけ。
他の彼らの今は?

フリーのタレント(元NHKのアナウンサー)や、
年収◯億円のキャリアウーマン、
事業を起こして、大成功している人など、
僕の同期で木工を志した仲間は、なかなかやり手の人たちばかりで、楽しいんです。
なんか、真面目に木工をやり通している僕ともう1人が、ちょっと貧乏くじ引いた感じ?(笑)

その中でひときわ変わったキャリアを持っているのが、アメリカの国籍を取得した彼。
どの彼?
まあ、それはひ・み・つ。。

アメリカの国籍を取得したって、結構大変なんじゃないの?
そうなんです。
アメリカの市民権を取得するには、かなりハードルが高いのだそうです。
一番簡単な方法は、結婚。
アメリカ人と結婚すること。
彼も結婚したんです。アメリカ人と。

ほう、いいね〜。外人女性と結婚なんて。
いえいえ、男性となんです。
そう。彼はゲイなんです。
日本でもだいぶこういう話しがタブーではなくなってきたけれど、アメリカは全然自由で、
男性同士の結婚も認められているんですね。

彼のここにいたるストーリーが過ごすぎで、面白いんです。
ある意味、サクセスストーリとういか、夢の叶え方のノウハウが含まれているような気がします。

僕と一緒に木工の勉強をした後、彼は海外青年協力隊としてアフリカに行きます。
もう15年くらい前の話し。
その国の治安は悪く、夜の飲屋街は行かないように、協力隊の他のメンバーに言われていたのですが、
彼はお酒が好きだし、そういう場所が好きなので、行っちゃうんですね〜。

ある日、飲んで返ってくる途中で、二人組の強盗に襲われます。
日本人はお金を持ってると思われていますからね。
バッグはもちろん、着ぐるみごと剥がされて、彼は素っ裸でスイス大使館に命からがら
逃げ込みます。

この後、彼はこのことを僕に電話で伝えてきました。
まあ、伝えられても何もできないのですが(笑)。
すぐにメールを書いたのを覚えています。
「もう十分頑張ったじゃん。その国の人を助けるために行って、そんな目に合うんだったら
もう帰って来いよ。」っと。
彼は「木工所に来る人はそんなに悪い人じゃないし、やり残してることがあるから、
まだ帰らない。」っと。

お〜、根性あるじゃん!頑張れ!
「でも、もう1人で夜、飲みに行くのはやめろよ。」っと忠告したメールを読んだのか、
読まないのか、性懲りもなくまた飲みに行くんですね。
そしてまた強盗に襲われるんです。

「バカじゃねーの?」と思ったのですが、
その通りで、バカは死ななきゃ治らないんです(笑)。。

ところが、バカもそれを貫き通すと、奇跡が起こるんです。
いよいよ2年の期限が近づき、帰国する直前、彼はまた飲みに行くんです。
そしてそこで、運命の出会いが…。。

そう、彼を襲った強盗と出会う…
わけはなく、

アメリカからビジネスで来ている紳士に出会うんですね。
一人、カウンターで飲んでいる彼に、その紳士が話しかけてくる。
英語もままならない彼に紳士が言います。
「二週間後にアメリカに来なさい。」

その直後、日本に帰って来て相談された僕は、まだ彼がゲイだということも
知らされてないし、そんな怪しい話し、あるわけないし、
「行くわけないっしょ!悩むことじゃないっしょ!」と彼の相談を一蹴したのですが、
彼は行くんです。行っちゃうんです。
「バカじゃねーの?」
「だって、日本で木工の仕事探したって、たいしたことないじゃん。」

数ヶ月後、彼からのメール。
「バカンスでドバイに来てます。その後シンガポール寄ってからちょっと日本に寄るので、
会おう!」っと。

バ、バ、バカンスってなに?
今まで俺の人生で、バカンスって言葉を発したことないけど…。。

一時帰国した彼と飲みに行って、彼がゲイであること、そのアメリカ人は億万長者で
一緒に住んでいること、バカンスのこと…
などなど、僕にとっては、僕の今までの人生で培った枠からはみ出す話しばかりで
頭がパンクしそうになるいろんな話しを聞かされて、衝撃を受けながら帰ったのを
覚えています。

そして数年前、めでたく結婚をして現在に至る。

毎年帰って来た時には会って飲んでいるので、最近やっと、自分の生活とはかけ離れて
いるけれど、それはそれで、そんな世界もあるのだと、僕の枠の領域が広がった感じで、
驚くこともなくなってきました。

彼と会うと、
なんだかよく解んないけど、流れに身を任せていれば、自然とよい方向に導かれていくんだ。
っと。
本当は世の中、そうなってんのかな?なんて思います。

努力とか根性とかジタバタして、人生は自分の力で切り開く!なんて頑張っている姿は、
もしかして、神様から見たら
「はいはい、あなたは私のことを信じてないのね?じゃあ、自分の力で頑張ってね〜。」
なんて高見の見物されちゃってるんじゃないのかな?
そんな風に思うこともあります。

それにしても、強盗に素っ裸にされて、大使館に逃げ込んだ直後に、また飲みに行って、
また襲われて、それでもまた飲みに行く。
これはこれで、根性と言えば根性か。努力と言えば努力か。
それに対するご褒美かぁ?

ああ、まだまだ僕の考える、努力、根性の枠を越えているかも…。。



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5/25 ”悪質タックルから思うこと”

今、世間を最も騒がしているニュースは、日大のアメフトの危険タックルについてですね。
僕もこの映像がSNSで流されるようになってから、興味深く見ていました。
特にアメフトというスポーツに関心があったわけではないのですが、
あのタックルの非道性には驚きました。

これだけ騒がれているので、その後の経過はみなさんもご存知だと思いますが、
タックルをした選手が顔も名前も出して、謝罪の記者会見をしました。
なんてひどいことを…。と思っていた選手の素顔は、とても誠実で、反省の気持ちが
十二分に伝わってくるものでした。そして、真実を語っていることも。

次の日に開かれた監督とコーチの記者会見、日大の広報から出されるコメント、
それ以前の監督の記者会見から伝わるものとあまりに対照的なこと、そして
最近の森友学園や、加計学院、財務省トップのセクハラ問題など、上の立場の人が
見え透いたウソをつき通し、力でねじ伏せようとしているニュースに慣れてしまっていた
僕には、
あまりに新鮮で、清々しい気持ちにすらなりました。

特に、あくまで謝罪することが目的だということで、このタックルをすることになった
経緯と、それまで、その時、その後の自分の心境を語ること以外の質問については、
一貫して、「それは僕が言う事ではない。」そして、「どんな指示があったとしても
やってしまったのは自分。」という姿勢で、一切の愚痴や恨み節を語らなかった
その態度に心が打たれました。

はたして同じ立場になった時、自分はこの姿勢を貫けるのか?

二十歳の若者が、自分のしたことに深く傷つき、反省し、怪我をさせてしまった相手に
許してもらうために、覚悟をもって捨てたものと、監督やコーチ、日大がしがみついて
捨てられないもの。
それは同じものなんだろうと思います。

タックルをした選手より、監督やコーチ、コメントを作成したであろう日大の広報の
人たちとの方に年齢が近い僕には、彼らの事情や、彼らが守りたいもの。そして彼らが
捨てられないもの、それがなんなのかが解ります。
第三者の立場で客観的にみると、それが大したことではないこと。そしてそれを守ろうと
すればするほど、それを失うことも解ります。
でも、自分の立場になった時、タックルした選手のように、それを潔く捨てられるだろうか?

もはや問題の本質は、タックルをしたことではなく、怪我をさせたことでもなく、
責任のある立場の人たちが、なぜそれを捨てないのか?ということになっていると思います。
そして、政治の世界で起こっていること(森友学園や、加計学院、セクハラ問題など)も、
まったく同じこと。
もっと大きく見ると、今朝発表された米朝首脳会談の中止も同じこと。

あれ?
どの事件も、おじさんたちばかりですね。

最近須田家の中では、「おじさんやばい!」がキーワードに!
・自分は絶対に正しい。
・周りを思うように従わせたい。
・何か問題が起きたら、相手が悪い。
・しょうがない。
・逆切れ

これらが結構、威張りんぼうのおじさんには共通して備わっているものだそうで、
例外にもれず僕もそれらの要素を持ち合わせているらしく…。。(自覚あり)

ある程度の地位と名誉とお金を手に入れたおじさんは、さっさと表舞台から引退して、
自然の中で戯れて遊んでいるくらいがちょうどいいんでしょうね。

実は娘に言われました。

「パパは、監督にもなり得るし、コーチにもなり得るし、会見を仕切った、あの日大の
広報の人にもなり得るし、被害者のお父さんや日大の選手にもなり得るし、
いろんなパパが想像できる。」
っと。

実は僕もそう感じていて、

「俺って大丈夫かな?」

先日の日大の選手の記者会見をしている彼が、僕にこんなことを問いかけてきました。

監督やコーチが、彼に見習って、必至に守ろうとしているものを捨てて、裸になって
真実を語り、謝って、そして本当に大切なものを手に入れて、秋のリーグ戦なのか、
来年なのか、宮川選手が内田監督を胴上げしている姿を見せてくれる日がくればいいな。
と、
おじさんを代表して願います。

うん。その姿は美しいな。



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5/22 ”あなたの年収は何番目?”

ちょっとビックリする題名から入りました(笑)。

先日、人からある海外のサイトを教えてもらいました。
自分の年収を入力すると、自分が今、世界の70億人の中で、何番目に裕福かを
教えてくれるサイトです。

具体的な数字も出るのですが、視覚的には100人の人形があり、
その中で何人目かが表示されるのです。
つまり、70億人を100分割して、自分の年収は何人目かが表示されるんですね。

木工を生業にしている僕の年収など、大したことはないと思い、興味本位で
入力してみました。
すると…。。

驚きましたね〜。
僕って、実はお金持ちだったんだ…。。

例えば今、日本では、格差が広がっているとニュースでも度々問題になっています。
年収200万円以下の割合がどうのこうのって。
それで200万円と入力してみると、世界の中では裕福ランキングトップの5%に
入っているんです。

まあ、その国の物価があるので、一概に裕福の比較は出来ないと言えど、
そのことを差し引いても、お金というものを裕福の尺度とすると、
今、地球に住んでいるほとんどの人が、裕福とは程遠い中で生きていることが解ります。
そして日本人のほとんどの人、家庭が地球人としてみると、超裕福層なんですね。

一方で、日本では、自殺者が年間3万人。
一日に82人。
今この瞬間も、1時間に3〜4人が自殺をしていることになります。

”豊かさ”ってなんだろう?
考えさせられます。

”裕福”と”幸せ”とは違うなんてことは、みんな解ってる。頭では。
でも、
”裕福”と”豊かさ”って、結構近いところにあるような気がしませんか?
そして
”豊かさ”と”幸せ”って結構近いところにあるような感じがしませんか?
そうすると、違うと考えていた
”裕福”と”幸せ”って、近いところにあることになりませんか?

もしかしたら、”幸せ”になるために、”裕福”を求め、世界でもトップクラスの
裕福な国になった僕たちは、”幸せ”をどっかに置いて来ちゃったのかもなぁ。
なんて思ってしまいました。

何のために毎日仕事をしていますか?
その仕事は楽しいですか?
もしお金をもらえなくても、または、有り余るお金があっても、今の仕事をしていますか?
仕事と趣味を完全に分けているとしたら、そのことをどう思いますか?
一日の中、一週間の中で、仕事と趣味にあてる時間の割合は仕事の方が多くないですか?

僕が木工という仕事を選ぶ時に自問自答したこと。

この前の週末、旭川で木工キャンプというイベントが行われ、久しぶりにたくさんの
懐かしい木工仲間と話しをしてきました。

たくさんの仕事の中で、木工という職業を選んだ人たちは、ある意味、”裕福”を捨て
心の”豊かさ”とか、”幸せ”を求めた人たち。
楽しい時間を共有できて、改めて僕自身の木工ライフや生き方を考えた週末でした。

やっぱり僕の、この仕事は素晴らしい!!

そしてもっともっと、楽しく生き甲斐のある木工ライフを送りたい!

と思います。
そしてそれをさせてくれるお客様やスタッフ、家族に感謝だな。っと。

そうそう、世界で何番目に裕福かを教えてくれるサイト → こちら

あなたは何番目?


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5/9 ”マヤバースデー♪”

毎朝犬の散歩に近くの神社に行きます。
今、ようやく桜が満開に咲いています。

桜が咲いたとはいえ、このGW、北海道は寒かったですね〜。
今年は…
今年も、どこにも行かず、息子の野球の送迎、応援に付き合っていました。
応援中も寒くて毛布にくるまって観戦していました。

今日はマヤ歴では、Kin91の日です。
そう。僕のKinナンバーが91なので、今日は僕のマヤバースデー!!
僕が生まれた日に宇宙に流れていたエネルギーと同じエネルギーが流れている日です。

マヤ歴の紋章でいうと、青い猿/青い嵐/音13 の日。
”青い猿”や、”青い嵐”、”音13”にそれぞれ意味があります。
意味とは?
先月、マヤ歴のアドバイザーの試験を受けて、合否の結果待ちです。
受かっていたら、きちんと説明しますね〜(笑)

この紋章、僕は自分の紋章をとても気に入っていて、
「あ〜、この日に生まれてよかったぁ。」っと思っています。
家族は迷惑らしいですが…。

マヤ歴では、ツォルキンという暦が元になっていて、ツオルキンのサイクルは260なんですね。
僕らが普段使っているグリゴリオ歴の一年は365日に対し、ツォルキン
暦では
一年が260日のサイクルなんです。
このリズムは宇宙のリズムと同調しているので、安心して本来(本当)の自分として
生きられるんです。
紋章も20あるのですが、本来(本当)の自分として生きられるということは、つまり、
紋章の違う相手のそのままを受け入れられるようになるということでもあるのです。
そのようなリズムで生活していると、自然と自分と他人の境界が無くなってくるんですね。

”あなたはもう1人の私”という感覚。

これが新しく、これから間もなく迎えるであろう時代の感覚で、今、盛んにいろんな人が
同じことをそれぞれの視点から言っていますよね。
お釈迦様は2500年も前にこのことを伝えています。

今までこの次元の世界のことを、「科学で証明できない。」と否定されていたのですが、
すでに最先端の物理学や、量子力学の世界では、当然のような扱われているそうです。

まあ、難しい話は置いておいて、マヤ歴を知ることは楽しくて、日常生活や、
職場や学校での人間関係にも応用できて、すでに僕の生活にはなくてはならないものに
なっています。

今日、Kin91 の日。
僕のマヤバースデー。
どんなシンクロが起こるんだろう?
楽しみにしながら一日を過ごそうと思います。



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4/27 ”たまには世界情勢も”

昨日の昼休み、テレビにくぎつけでしたね。
きっと、数年後の歴史の教科書に載る出来事だったんじゃないかと思います。
そう、南北首脳会談。
北朝鮮の金正恩書記長と、韓国の文在寅大統領が会談を行いました。

今まで日本のメディアで伝えられていた印象とは全く違う穏やかで愛嬌のある
笑顔の金正恩書記長の姿に、ついつい好印象を抱いて、このまま朝鮮状況は
一気に平和へと誘われるのではないかと思ってしまいます。
特に、会談前の金書記長の3分にわたる挨拶は素晴らしく、感動すらしてしまいました。

政治評論家の人は、外交というものは、片方の手にナイフを持って、
もう片方の手で握手をするものだと言います。
僕なんて、すぐにだまされてしまいそうです。

昨日はマヤ歴では、kin79 青い嵐/青い嵐/音1の日です。
青い嵐の13日間の始まりの日。
嵐のような変容のエネルギーが、よい方向に巻き込んで、嵐が去った後、
台風一過のような穏やかな晴天に恵まれることを願います。
青い嵐の究極の意味は、「最終的な明け渡し」です。
過去の様々な因縁や確執、憎悪などを、今の世界のリーダーたちが、
それぞれに受け入れて、消化し、明け渡して、友愛に満ちた世界の礎を築くよう、
自国の損得を越えた意識を持ってくれたらと願います。

ずっと引いてマクロに見れば、世界は今、そのような方向に進んでいく過程で、
ミクロに見れば、今までの権力の中心にいた権力者たちの最後の”あがき”の
真っ最中なんだろうと思います。

テレビをつければどの番組も、南北首脳会談の話題で、クリップには、
北朝鮮の金正恩書記長、韓国の文在寅大統領、アメリカのトランプ大統領、
ロシアのプーチン大統領、中国の習近平総書記、日本の安倍首相の写真が出ています。
はたして、誰が あがいていて、誰が新しい世界のリーダーなのか?
はたまた、この中にはいないのか?

この劇的に、そしてめまぐるしく変動する世界情勢と、国内情勢を、
”どうせよい世の中になるのは解っているんだから。”という余裕をもって
冷静に、ある意味動向を楽しんで眺めながら、自分の心はいつも清潔で
いようと思っています。


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4/20 ”須田先生と呼ばれて”

北海道もようやく10度後半の気候になってきました。
今日のニュースでは、札幌の桜の開花予想は4月28日だそうです。
遅い桜というのは、なんだか美味しい食べ物を最後にとっておいて、
みんなが食べてしまった後にじっくり味わうみたいな、得した気持ち(?)
になりますね。

ところでこの春から、僕も新入社員ではないけれど、新しい環境に身を置く
ことになりました。実は、札幌の北海道芸術デザイン学校という専門学校で、
非常勤の先生をやることになり、先日、初教師をしてきました。

なんで今更非常勤の講師をするのかといいますと…

トップページで募集をしていますが、若者を育てようと、スタッフを募集しているのですが、
なかなか応募者がいないんですね〜。

僕の母校の技専の先生とは親しいので、毎年電話して「今年誰かいい人いない?」と
尋ねるのですが、返ってくる言葉は毎年「須田さんに紹介出来るような子はいないわ。」っと。
いやいや、うち、そんなに敷居高くないし…。」
北海道には旭川と北見と帯広に技専があって、20名の枠があるのですが、北見と帯広は
数人しか生徒がいないようです。しかも年配者。木工の町、旭川ですら、4次募集くらい
までして、やっと20名をかき集めているんだとか。
え〜?木工ってそんなに人気のない職業なの?

絶対数は少なくても、その中の2,3人のやる気があって素直な若者と出会えばよいので、
技専や大学、専門学校で先生をしている知り合いに尋ねると、口を揃えたように
「須田さん、今の子たちで、自分からアポをとって、工房見学に行こう!なんて子は
いないよ。それ待ってたら、誰も来ないよ。今、いろんな会社の社長さんは、
いい人材を取りに、学校に来るよ。」っと。

え〜!?
逆に会社の方が各学校に人材を取りに行くの?
そういう時代なの?
すっかり時代に取り残されていました。

ただ、話しを聞くと、決してやる気が無いわけではないんですって。でも、自分から
行動を起こす感じではない。っと。
しゃくぜんとしない気持ちはあるものの、それだったらと、非常勤をして、
生徒の中からやる気があって、素直な若者を発掘しようと思った次第です。

前任者の話しでは、北海道芸術デザイン学校の今年の生徒はあまり…。。
という話しだったのですが、とりあえず熱く語って、ぶつかって、反応がなかったら、
ぶん殴ってやる!くらいの意気込みで、(こういうこと書くから、来なくなるのかも?(笑))
旅する木を紹介するスライドと家具を持って3時間、ぶっ通しで語りかけたら、若者たち、
いい反応示すんですよね。
とりあえずホッとして持っていった家具を車に積んでいたら、
「工房見学行っていいですか?」っと。詰め寄ってくる生徒がいるじゃないですか。
「工房見学来たい人は、いつでも電話して。」と僕の携帯番号を教えたら、
全員が慌ててメモしたり、登録していました。

このうち何人が実際に来るか解らないけど、それでもなんか、若者たちの心にも
熱いものがあって、僕のそれと共鳴したことがなんだか嬉しかったですね。
彼らの中に、今後の旅する木を共に背負っていく人材がいてくれたら嬉しいな。
と思います。

とりあえず半年契約で非常勤をやり、椅子の製作を教えます。
彼らとどんなふうに交わり、やる気を見せない若者の心に熱い火をつけられるのか、
楽しみです。

今までほとんどの生徒が、木工とは違う道に進んでいるそうです。
今年の生徒に木工の楽しさと可能性をしっかりと伝えて、一人でも多くの若者が
楽しい木工の世界に導こうと思います。
その中でも最も楽しめる、旅する木の木工の世界に。


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4/16 ”葦船”


一昨日は、マヤ歴のアドバイザーの試験を受けました。
久しぶりの試験に、ちょっと緊張しましたね〜(笑)。

僕は今まで、試験というものに落ちたことがないんです!
と自分で思っていたのですが、そういえば一度落ちたことを思い出しました。
車の免許の最後の学科試験。
落ちましたね〜。もう30年も前ですが。

試験の席で隣になった女の子が可愛い子で、話しかけたのか、話しかけられたのか
忘れましたが、いい感じになったので、一緒に合否を待つ席でも話しをしていたのですが、
電光掲示板に僕の番号のランプが付かず、なんだか気まずい雰囲気になったのを
思い出しました…。。

さて、今回の試験の結果はどうでしょうね〜。
隣に可愛い娘がいなかったから、大丈夫だと思いますが…(笑)。
結果が出るまでに一ヶ月くらいだそうです。

試験の前に、石川仁という探検家の公演を聞きました。
葦船という、葦を束ねて紐で縛っただけの太古の船(と言っても、その大きさは
20〜30メートル)で、動力を使わず、風と潮の流れに乗って、太古の民族たちが
移動した道をたどる旅をしている人です。

今は40代後半なのですが、学生のころ、『生きているだけで幸せ』を細胞レベルで
体験することがモチベーションになり、その為に”死”と隣り合わせな探検の旅に出ます。
20代前半には、ラクダに乗って、サハラ砂漠を半年かけて横断します。
その時の話しでとても印象的だったのは、滅多に人と出会うことのない砂漠で、
人とであった時、無条件でお互いの持ち物を全て半分こにするんだそうです。
もちろん、60°にもなる砂漠で最も必要な水も半分こ。
地図で計算して、次のオアシスまでに必要な分を計算して持ったのに、
出会った相手の持っている水が乏しかったら、半分こにするんですって。
しかも問答無用。それが当たり前なので、特にお礼を言うわけでもなく、
半分こしたら「じゃあ!」といって別れる。

最初、これが恐怖だったそうです。それはそうですよね。水が無くなったら、
”死”ですから。
ところが、不思議なことに、水が無くなりかけた時に、必ず人と出会う。
村につく。
仁さんは思ったそうです。
あ〜、守られている。そして、生きているだけで幸せだ。

砂漠の旅も終盤になり、水や食料の心配が無くなってた状態で一人砂漠の中にいると、
左脳が必要なくなり、右脳のみが活動するようになり、瞑想状態になったそうです。
そうなると、自分という存在と、自分以外の存在の境界がぼんやりしてきて、
全ての垣根が
自分が作り上げた幻想だと思えてくるのだそうです。

4/12に書いたつむ通のマヤの概念と共通しますね。
”全てが一つ”
”あなたはもう1人の私”

”私”、”私のもの”という概念がなくなると、砂漠での水のように、必要な時に
必要なものが当たり前のように用意されるんですね。
そしてこの現代人が忘れてしまった感覚こそが、人間のゴールデンルールで、
この考えこそが、今僕たち人間が抱えている全ての問題を解決する方法で、
これからはそのような時代になっていくんだろうと思います。

更にいうと、”自分さえ”、”自分だけ”側に思考の重心がある人は、
これから生きるのが苦しく、淘汰されるというか、思考を変えざるを得ない
出来事がおこるんだろうと思います。
個人という意味においても、地域、国、人類という意味においても。

石川仁さんは言います。
”人間の文明のとどかないところに神様はいる”
っと。

それではなぜ人間が存在するのか?

葦船の旅で、石川仁さんは人間の役割に気付きます。
その話しをするとまた長くなっちゃうので、是非ご自身で石川仁さんの話しを聞いて下さい。
僕は、今考えていることとシンクロすることが多く、とても楽しかったです。
探検中の話しも、ワクワクしっぱなしでした。

こんな人がいるんだ。
という驚きが、僕の人生に新しい風が吹いた気がしました。


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4/13 ”熱いおじさん”

工房から車で30分くらいのところに、南幌町という町があります。
そこの分譲地がなかなか売れないということで、5人の建築家と5人の工務店が
それぞれペアーでタッグを組んで、コンセプトハウスを作っています。
その一棟に、アトリエmomoの櫻井さんと、岩見沢の武部建設がペアーを組んで
作っている建築があります。

アトリエmomoの櫻井さんとは、何回か仕事をさせて頂き、
女性の建築家ならではの優しい建築を設計していて、この家のコンセプトも
”てまひまくらし”という、自分らしい生き方、暮らし方に寄り添う
てまひまを楽しみながらの暮らしがコンセプトの小さな温かい雰囲気の家です。

そして施工は武部建設。
武部建設とも何度も仕事をしています。
旅する木はキッチンや、洗面所など建築にからむ家具も作っているので、
いろんな工務店と仕事をすることがあるのですが、武部建設の仕事は
いつでも素晴らしいと感じています。

この二方から声をかけて頂き、光栄に思いながら、現場に向かうと、
武部建設の社長の武部さんもいらっしゃって、いろいろと話しをしました。

若い大工の育成、大工同士の横の繋がりの大切さとその機会、
技術だけでなく、心の保ち方についてなど、語る60台後半の武部社長の
いつまでも夢を持って挑戦する姿に、とても勇気をもらいました。

現場の後、工房にも来てくれて、展示する家具を検討したのですが、
工房のいろんなものに興味を持って、じっくりと見ていました。
きっと頭の中では、自分の会社に活かせないか?これは参考になる。
俺だったらこうするな。などなど駆け巡ってるんだろうな。
と思いながら、一つでも、一言でも多く吸収したいと思い、僕もいろんなことを
質問したり、冗談を混ぜながら話し、楽しい時間を過ごしました。

熱いことがあまりカッコいいとは思われない時代かも知れないけど、
僕もまだまだ心の中は熱く、夢を持って生きていこう!と思います。
マヤ歴の紋章としては、僕は、青い猿/青い嵐 という青青なので、
情熱や、感情を表に出すタイプではないのですが、うちに秘めた思いは熱く、
クールに見えて、触ったら熱い男でいたいですね。

「俺に気軽に触るんじゃね〜ぞ。やけどするぜ!」
なんてカッコ良く決めるおじさんになりたい。
って、古過ぎない?

高校の頃、”硬派とはなんぞや?”というのが僕のテーマで、
女の子に気軽に話しかけられない雰囲気を作るのが硬派だと、なんともアホな
勘違いして、
「ねえねえ、須田くん、…」
なんて女子に話しかけられたら、
「気軽に話しかけんじゃねーよ!」
なんて言って、去って行く自分を、もう1人の自分が、今の俺、カッコいい!
なんて思っていて、しまいには女子に話しかけてもらえなくなって
寂しい高校生活を送った僕ですが、あれから30年経ちますが、
基本の中身は変わってないんですね…。。



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4/12 ”マヤの叡智”

実は僕は毎晩、勉強しています。
なんの勉強かというと、マヤ歴の勉強。
今週の土曜日、マヤ暦のアドバイザーの試験を受けるんです。

マヤ歴、ご存知ですか?
もう結構知ってる人も多いんじゃないかな?
2012年の地球滅亡論で、話題になりましたよね。
マヤ歴が2012年で終わっているので、地球が滅亡するんじゃないかって。

実はそんなことではなく、一つの時代の区切りがあり、
マヤ歴も含め、精神世界では、2013年より、新たな価値感というか、
意識とういのか、夜明け的な意味合いで新しい時代に入ったのだそうです。
”パラダイムシフト”と表現している人もたくさんいますよね。
心の置き場所の次元が変わってしまったといいますか。

もちろん、2013年1月1日から、はい!新しい時代のスタート!
と、黄金に輝く素敵な世界になるわけもなく、一見、何も変わってないように
見えますが、ここ20年くらいの出来事を振り返ると、資本主義の考え方、そして、
あり方そのものが行き詰まって混沌として抜け出せず、その膿みの処理に
振り回されている感じがします。
一方で、新しい考え方、価値感を持った人、会社、若者が増えてきて、
ああ、時代は本当に変わっている最中なんだと実感します。

経済的にも意識的にも、二極化が進んでいて、旧体制にしがみついている、
今、力というか、権力やお金など、目に見えるものに価値を持っている人は、
ますます生きづらくなっていき、生きづらいからトラブルや事件を起こし、
以前は隠せたことも、隠すことが出来なくなって、膿として世間を騒がせている
感じがします。

おっと、話しが反れてきた…。
マヤ歴の話し。
古代マヤ文明は、今の僕たちの文明よりずっと意識が高い次元にあり、
マヤの人たちは、所有がゼロだったそうです。
所有がゼロということは、今、この社会のほぼ全ての争いごとが存在しませんよね。
実は縄文人もそうだったそうで、そういう意味では、元祖日本人は、素晴らしい民族
だったんですね。
だから、縄文時代は1万年以上も続いたんですね。
やがて弥生時代に入り、稲作のため、土地の所有が始まり、そこから争いがの歴史が
始まるのです。
そういう意味では、進んだ文明で、所有がゼロという古代マヤ人たちの意識の高さは
すごいと思います。

マヤ文明は天文学も今とは比較にならないほど進んでおり、宇宙のエネルギーの
流れを暦に取り入れたのがマヤ歴なんですね。

人は生まれる前に、今生での目的や、果たすべき役割を自分で決めて生まれてくるそうです。
このことは、2014年に旅する木で自主上映した映画『かみさまとのやくそく』
で、
子供たちが語っています。

その役割を果たすために、起こる出来事、出会う人を決めてくるそうです。
これを運命というんですかね?
そしてその役割を果たすためには、このエネルギーが強い日にそのエネルギーを
受けて、親を選んで生まれてくる。
その宇宙のエネルギーを暦にしたものがマヤ歴なので、マヤ歴を学ぶことは、
自分の役割、使命にそった生き方の答え合わせというか、確認するのに、とても
役に立つし、一目瞭然だと僕は感じています。

マヤの叡智を知り、自分の人生と照らし合わせ、軌道修正をし、自分の使命に沿った、
また、それに近い人生を歩むと、もともと自分が設定した、起こるべき出来事が起こり、
出会うべき人と出会うようになり、これを僕らはシンクロニシティーと呼んでいるんだろう。
このシンクロニシティを、ただの偶然と片付けてしまうか、意味のある必然と捉えるか。
で人生は大きく変わるんだろう。
マヤ歴を学ぶことで、その出来事、その出会いの意味を知り、
人生の答え合わせをしている
ようなもの。
僕はこんな風に捉えています。
人生の答え合わせができるなんて、とにかく面白い。

今週の土曜日、アドバイザーの試験なんです。
受かったら、正式にマヤ暦とはなんぞや?
そして、あなたの紋章からあなたに対する宇宙の意識、
さらに、数年は、今年は、今週は、今日は、どんなことを意識して過ごすといいよ。
などのアドバイスをする事ができるようになります。

それにしても久々に真剣に勉強なるものをしていて、暗記力の低下に我ながら
驚いています。
小5の息子にいつもテストしてもらっているのですが、
なんと、息子の方が答えを暗記しちゃって、詳しくなってる!!
「パパ、何回もやってるじゃん。まだ覚えてないの?」
なんて言われながら、今夜も勉強に励みます…。。



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4/10 ”公演終わりました〜♪” ちょっと報告遅れましたが…。。

4月も半ばにさしかかり、桜前線はどんどん日本列島を北上していますね。
とはいえ、この辺で桜が咲くのは、5月に入ってから。
まだもう少し待たなければ。

3月24,25日の旅木劇団の公演を終えました。
つむ通を読んでくれている方は、旅木劇団をご存知だと思うので、もしかしたら
説明をするまでもないかも知れませんが、一応…。

旅する木は家具屋さんなんだけど、演劇の劇団もプロデュースしていて、
その名も、旅木演劇工房(通称 旅木劇団)と言います。
僕は学生時代、脚本家になりたかったんですね。
富良野塾に入ろうと、真剣に考えていたのですが、中途半端に学力があり、
国立大学の理系にいたので、その安全パイな就職を前に、挑戦もせず、
諦めたんですね。
このことをずっと、後悔していました。

なぜか、娘が小さい頃から演じるのが好きで、小中と、劇団に入って
演じている姿を見ているうちに、あ〜、何か書きたいな。なんて
フツフツと心の奥の古傷がうずいてくるんです。

娘が中学生の時だから、今から6年前ですね。家族で妻の実家の富良野に遊びに
行く途中、三笠市を通った時、たまたまイベントで、奔別炭鉱跡地に入れること
を知り、イベントに参加したんです。

とてつもない大きなコンクリートの建物の、全ての窓ガラスは割れて、
天井は抜け落ちて、一人だったらその異様な雰囲気に呑み込まれて、止まった時間の
その世界に連れて行かれてしまいそうな炭鉱後の建物の階段を恐る恐る登っていくと、
家族全員、一斉に「わ〜!!」
遠くの窓の向こうに、それは見事な桜が満開で咲いていたんです。

窓の向こうで満開にさく桜を眺めながら、娘に話しました。
「昔、炭鉱が盛んだった頃、きっとあの桜の木の下で、賑やかには花見をしたんだね。
きっと。そして仕事しながらも、ここから、多くの人が窓越しに桜を見ていたんだろう。
今となっては、誰に見られることはないけど、それでも毎年、毎年、あの桜は
あんな風に美しく、咲き続けているんだね。
なんか、この桜を題材にした物語りを書きたいな。」っと。

その時はいずれ劇団を持つことも、ましてや、自分が脚本を書くことも想像していなかった
のに、ポロッと口から出たんですね。
今振り返っても、不思議です。

娘もその時のことをとても印象的に覚えていて、「思い出すとなんか、心の奥が
ぎゅーっとする。」と表現します。

あれから6年経って、僕の2作目の作品で、とうとう現実となりました。
『窓の向こう、桜色』

旅木劇団の劇団員は、小5から23才の若者15名の集まりなのですが、
演劇の経験者は少なく、ほとんどが旅木劇団が演劇のスタートの人なので、
本番が迫った稽古では、みんな追い込まれて追い込まれて、張り裂けそうなくらいに
なっているのですが、それでも僕も娘も、もっともっとその先の高見を望むので、
泣きながらの稽古になります。
「思いを溢れさせろ!結局最後に伝わるのは、技術じゃない。溢れた思いだ!」
なんて形でないものを求めるので。

それが、最終日の千秋楽では、神がかった演技で、会場から涙をすする音が溢れ、
公演終了後、会場のドアを開けたら、役者たちだけでなく、見に来てくれた人の
溢れた何かが、ドバー!!!っとドアから外に溢れ出す雰囲気を感じました。
嬉しかったですね〜。
全部で3公演、すべて満席で公演できました。
見に来て下さった方、本当にありがとうございました。

写真を何枚か。


会場前。舞台裏では緊張感でいっぱい。


炭鉱跡地を見に来た家族。


おっと、ここで木の車椅子登場♪


今回の劇は、主人公が素人劇団に入っているという設定なので、劇中劇。
どこまでが劇で、どこまでが現実か、解らない不思議な演劇になってます。


ストーリの中心は、実業家の父と、父の望むように生きられない息子との確執。
そして会社と家族を失う父の人生を鑑みて、これからどう生きるか?を問う。


炭鉱の桜を見ながら、それぞれの心の中の声を語る最大のクライマックス。
あ〜、この写真だけで泣けそう(笑)。


ラストシーンは、笑いの中に、希望に満ちた切なさがあり、笑顔で泣ける。


拍手喝采の後、旅木劇団の公演では恒例の、エンディングのお笑いコント


見に来て下さった方、本当にありがとうございました。

旅木劇団団長のそより(娘)は、まったく就職する気はなく、現時点ではお小遣いすら
稼ぐことも出来ない劇団に全身全霊で取り組んでいます。
2日に一度は、電話が来るのですが、「パパ、劇団のことなんだけどさ…」
と、劇団をこうしていきたい。ああしていきた。と思いついたことを話してきます。
その為の稽古の方法や、取り入れるべき手法の勉強などをしています。
そして、本気で全国公演する劇団にしていくことを考えています。

我が娘ながら、すごいな。と圧倒されながらも、そよりなら、旅木劇団なら、
そんなことも夢ではないかも。その夢に乗っかってみよう。なんて思ってしまいます。

毎朝4時に起こされて、河川敷を手をつないで散歩していた3歳くらいの頃、
「アイドルになりたい!」と言っていた娘が、それほどブレることなく、
19歳になっても女優になりたい!と言い続け、その道にいつの間にか僕も巻き込まれ、
同じ夢を持ち、毎日のように会話をしているなんて、もういつ死んでもいいと
思うくらい幸せなことだな。と思ってしまいます。

「今、団員は公演が終わって、お客さんが満足してくれて、なんか自分たちって
すごい。って思ってるけど、脚本の素晴らしさに甘えていて、勘違いしていると思う。
もっともっと技術を向上させて、脚本に演技が追いつかないと、プロに見られた時、
恥ずかしい。」
なんて娘に言われたら、父親は最高の幸せを感じてしまうもんじゃないでしょうか(笑)。。
そして「パパ、お財布にお金、30円しかないんだけど…」
なんて言われたら、
「わかった。今日振り込んであげるわ。」
とそそくさと銀行に行く父親を、世間は滑稽と見るのであろう。

更に、1,000円づつ引き落としている娘の通帳を見ては、なんとも切なく、
そして愛おしく感じ、予定より1万円多く入金してしまう父親を、
世間は阿呆と言うのだろう。

阿呆?
あっそう!

滑稽?
結構!

ダジャレ言ってる場合か!

お後がよろしいようで…。。

追伸

次の公演に向けて、旅木劇団5期生を募集しています。

そして!!!
旅する木も若者を募集しています!!
こっちの方が急務。
有意義な人生を歩みたい人、
是非。 → こちら




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3/14 ”劇団の新作公演”

↑↑↑ 写真をクリック 動画をご覧下さい。

ヤバい!今日はホワイトデーですね。
あー、あの人にも、あの人にも、お返しをしなきゃ!

な〜んてね。
ちょっと見栄を張ってみました(笑)。
といいつつ、劇団員の女子高生からもらったので、週末、お返しをしよう!

そうなんです。
トップページで紹介していますが、再来週末、3月24日、25日に旅木演劇工房の新作
『窓の向こう、桜色』の公演をします!
今回も脚本は僕が書きました。
前作『丘の上の桜の木に…』がとても好評だったので、実は結構プレッシャーを感じつつ、
娘が劇団員に「パパの才能はすごいんだから…」
なんて言っているのを小耳に挟んだら、頑張るしかない。
今年の年末年始は、脚本作りで終わり、脚本作りで始まりました。

その甲斐あって?自分としても、素晴らしい作品ができたと思って、毎週の稽古を指導しています。
なんだかんだ旅木劇団の団員も、下は小5〜24歳までの17名という大所帯になっています。
平均年齢は17歳くらいですかね〜。
そんな若者たちが、毎週末、土日、6時間稽古をしています。
もちろん僕もそれに付き合って、まがいなりにも演出などというものをしています。

自分が書いた作品が、若いパワーで徐々に形になっていくのを目の当たりにすると、
嬉しいですね。
今回の作品は、僕が日々感じていることをテーマに取り上げたので、
作品のあちこちに僕の実体験があったりして、知られたら恥ずかしくなってしまいます。
じゃあ、公演するなって?

僕から上の世代の男性が当たり前だと思ってやってきた生き方と、今の若い世代の生き方
との違いによる確執と、それを乗り越えて違いを認め合う愛の形を描きました。
こんなテーマの作品を、若い団員はどう思うんだろう?
と、発表する時、ドキドキしたのだけど、みんな一斉に「すごい面白い!」
「パパ、天才!」なんて嬉しい言葉をもらって、みんな「後は私たちがこれをどう表現するかに
かかってる。頑張ろう!」
と、本当に真剣に演技と向き合ってくれています。

今回の作品も、見所、心を打つ場面がそちこちにあるので、演技をしながら感極まって
涙する子もいて、僕も一緒になって、たまに涙を流しています。

仕事もあるし、打ち合わせの資料、デザインを起こす作業などたまっていて、
毎週土日、ほぼ丸一日彼らに付き合うのは、結構きついと感じることもあるんだけど、
こんな風に仕事としてではなく、十代、二十代の若者と同じ目的に向かって、同じ時を
過ごし、公演当日に抱き合って感動の涙を流し合える環境にいられるというのは、
ありがたいことだと思います。

できることなら、彼らと同じ年齢で、同じ立場で、同じ場所に立っていられたら、
もっともっと、深く心を共有出来たのだろうけどなあ。
でも、それは叶わないので、時に輪の中に、時に輪の外で、彼らを見守っています。

今回の新作、「窓の向こう、桜色」は中年男性に見て欲しい作品です。
きっと何か心に感じて、明日からの生き方に、行き詰まった時に、乗り越えるヒントに
なってくれたら作者として嬉しいです。
まだ空席がございます。
是非興味のある方、ご覧になって下さい。
会場でお待ちしております。練習風景の動画をYou Tube にアップしましたので、ご覧下さい。

上の写真をクリックして下さい。

『窓の向こう、桜色』の公演の詳細は こちら

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2/27 ”からくり人生”

この写真、どこでしょう〜?

石碑に刻まれた文字は…

『あなたは文明に麻痺していませんか
 石油と水はどっちが大事ですか
 車と足はどっちが大事ですか
 知識と知恵はどっちがだいじですか
 批評と創造はどっちがだいじですか
 理屈と行動はどっちがだいじですか
 あなたは感動を忘れていませんか
 あなたは結局何のかの云いながら
 わが世の春を謳歌していませんか』
               聰


先日の日曜日、富良野塾跡地に行ってきました。
そう。これは約30年前に始まり、2010年に閉塾した、富良野塾の建物。
塾生たちが、自分たちの稽古場を自分たちで建てたログハウスです。

富良野塾というのは、倉本聰氏が脚本家や俳優を養成するためにつくった施設で、
授業料は無料で、生活は農家の手伝いなどをして稼ぎ、自分たちの宿泊棟などを
自分たちで建てながら、学ぶ場です。

この富良野塾跡地を利用して、約2週間のワークショップを開催し、なんと、
2週間で倉本先生が描いた脚本を完成させるという冒険に近い試みを行うということで、
昨年、全国公演した倉本作品の演劇『走る』に出演した娘のそよりに声をかけて頂きました。
その公演が日曜日に開催されるということで、行ってきました。

塾生が建てた稽古場の丸太小屋は、かなり年季が入っていて、ここで行われたであろう、
若者たちの夢、希望、苦悩、葛藤、歓喜、競争、挫折、青春…といったものが染み付いている
ようでした。

子供の頃から『北の国から』が大好きで、学生時代は倉本作品に触れまくって、
テレビドラマ『ライスカレー』を地で行こうと、大学を休学し、カナダにログハウスを
建てに行った僕は、将来、脚本家になろうと、大学を退学して、富良野塾に入ろうと
真剣に考えました。
国立大学の理系の学部に所属していた僕は、どの上場一部のメーカーにも入れる現状を
捨てて、何の保証もない富良野塾に入る勇気がなかったんですね。
夢を簡単に諦めた僕にとっては、ここは人生で大きな後悔の場所。

でも、この時の後悔が、その後の人生で、同じような後悔はしたくない!という
一つの指針になっていることを思うと、良い出来事だったんだろうな。と思う。

ちょっと早めに行ったので、稽古棟を見学させてもらいました。
学生時代、大学を退学し、ここに飛び込んだ人生は、どんなだったんだろう?
富良野塾で学んだほとんどの若者がそうであるように、志敗れて違う道を進んでいるのだろうか?
そrとも才能を認められ、開花し、その道を進んでいるのだろうか。
そんなことを思っていました。

演劇はとても2週間で仕上げたとは思えない完成度で、驚きました。
役者として一回り成長した娘がそこに立っていました。

後悔しない人生を歩むために、後悔した聖地があって、まさかそこに娘の人生が
絡んでくるなんて、本当に信じられない。

19歳の僕が立たなかったこの場所に、19歳になった娘が立っている。

人生はからくりに満ちている。

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2/23 ”人間、『気付き』が大事!”


 

ピョンチャンオリンピックも終盤に差し掛かってますね。
女子500mの小平選手の金メダル、パシュートの金メダルには興奮しました。

小平選手。
メダルを期待されながら、5位で終わったソチ五輪の後、オランダで修行をし、
自分の中の心身の全てを変えなければ向上はないと気付き、年齢的に今からのフォーム変更は
大きなリスクと言われながら、猫の戦闘ポーズにヒントを得て、今のスタイルを身体に染み込ませ、
今回の金メダルに繋がるわけです。

高木美保選手。
15歳でバンクーバー五輪を経験した後、なんと、ソチでは五輪選考から漏れました。
それが自分を変えるきっかけになったと言います。
「挫折ではなく、努力をしていなかった。挫折とは、努力していた人のいう言葉。」
「何かがかわらなければ!」
それからの4年間は覚悟を決めて取り組んだ結果の金メダル。

その他のメダリスト、メダルに届かなかった選手のそれぞれのストーリーに、
結果以上に楽しませてもらっています。

メダルを取った、取れなかったで、その先の人生が変わると思うけれど、
その時、何を思い、何に気付き、どうしたか。でその先の人生が
大きくまた変わっていくんですね。
何がよいのかは、その後のその人の生き方次第だと思います。

なんて偉そうなことを言いながら、僕の日常は、相変わらずなにも変わりません…。。
朝は犬たちの散歩から始まります。

今朝、ふと気が付いたことがあります。
毎朝外に出ると、うっすらと10センチくらいのふわっふわの雪が積もっています。
真っ白のサラサラで吹けば舞うような、綺麗な雪が、見渡すかぎりの風景に、ほわーんと
被さっていて、きっと、都会に住んでいる人は、見とれてしまうんだろうな。という
景色の中なんですけど…。

僕の視線はそんな風景をまったく見ていないことに、気が付いたんです。
何を見ているかと言うと?

犬たちのお尻の穴。

散歩中、ほぼずっと、犬のお尻の穴を見ているんです。
なぜかと言うと、ノンノはもうおばあちゃんで、まるは青年で、あまりに元気さが
違うので、最近は別々に散歩をしています。
朝は時間がないですよね。
だから、犬がウン◯をしたら、Uターンして戻ってくることにしていて、
犬がウン◯をする時って、お尻の穴が赤く膨らむんです。
だからそのことばっかり気にして、ずっと、ノンノとまるのお尻の穴を観察しながら
散歩をしている。
お尻の穴を見ながら。

そのことに今日、はっと気が付いたんです。
辺りを見回したら、めちゃくちゃ美しい風景じゃないですか!
そんな人が羨むような風景に目もくれず、犬の肛門だけを見つめて、よりによって、
「はやくウン◯しろ〜。はやくウン◯しろ〜」って言いながら散歩しているんです。
毎日ですよ。


↑↑↑

こんな風景の中を

↓↓↓

を見ながら散歩している。

これ、やばくないですか?
これが今日の僕の”気付き”です。

冒頭の小平選手や、高木美保選手の気付きと比較して…。

オリンピック選手になれるわけがない(笑)!!




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1/19 ”チェンジ!今年の抱負”

年が明けて、ぼーとしている間にもう20日も過ぎてしまいました。
いえいえ、ぼーとはしていません。
年末年始の間に頂いたメールや打ち合わせの対応で、どんどん時間が過ぎてしまい、
つむ通が疎かになってしまっていました。
すみません。

この年末年始の休み中、ゆっくりするどころか、仕事しているときより、
ハードな生活をしていました。
3月に公演する旅木劇団の新作の脚本を完成すべく、紅白も、脚本を描きながら、
見たい歌手だけじっくり見る感じ。
お陰で、なかなか面白い脚本になったと思っています。
旅木劇団らしい、心の奥の、普段意識したことのない部分に風が吹くような
メッセージ性のある脚本になっています。
毎週末、劇団員と共に、稽古をしています。
3月24日、25日に公演しますので、楽しみにしていて下さい。
近日中に詳細をお知らせしますね。

っと、年始早々の出だしが、仕事のことではなく、劇団のことから入ってしまいましたね。
つむ通で、家具作りについて触れることって、ほとんどないんですよね。
たまにお客様に指摘されます。

僕にとってつむ通を書くことは、ちょっとした息抜き的な雰囲気があって、
毎日ほぼ頭の中は仕事のことばかりなので、つむ通のネタくらいは、仕事とは
関係ないことを書きたい!なんて思ってます。
まあ、普通は仕事のことや、家具の紹介のブログで、受注に繋げることを
目的としている会社や人が多いんだろうけども、旅する木の場合、そこは神様に
任せてますので…(笑)。。

でもちょこっと仕事についての今の僕の考えていることを紹介しますと。
マヤ歴的に僕の今の個人年表では、青の13年間の9年目を迎えております。
青の13年間とは、起(赤)承(白)転(青)結(黄)の転。つまりチェンジ!
僕が今まで積み上げて来たものや、考え方、やり方、生き方…などいろいろなものを
見直して、変えていく期間の、いよいよ後半に差し掛かっているのです。

変えるために、変わるために重要なことは”捨てる”ことです。
古い考えやこだわり、捕われている思考、当たり前だと思っていること、方法、
固定観念などなど。
自由な発想になって、新しい自分となって環境を変える期間の後半に入っています。

マヤ歴、マヤ歴って言ってますが、マヤ歴の考え方、リズムに従った生き方を
することによる身の回りに起こるシンクロや、宇宙の応援の力に、僕は本当に
凄さというか、人知の及ばない神秘の力を感じていて、今年はもっと真剣に勉強し、
4月にアドバイザーの資格を取ろうと思っています。
そうなったら、もっと詳しく説明や、個人的な相談にものれると思います。
僕のマヤ歴の先生は、もう、ハンパない人で、マヤ歴で人生が変わったし、
相談者の人生をより本物に導いています。
僕もその役に立ちたいと思っています。

おっと、話しが反れてしまいました。
そんなわけで、僕の頭の中の大部分を締めている旅する木も、変わっていかなければならず、
この青に時代に変わらなかったら、次の、”結果の受け取り”の”黄色の13年間”で
受け取る”ギフト”の質と量が大きく変わるし、ひょっとして受け取るものが、
”試練”になる可能性もあります。

すでに数年前から僕の頭の中には変える方向性が決まっています。
やっぱり、そう、アレです。
【木の車椅子】

今年はもっと集中して、車椅子の開発を進めて、こちらを家具同様、いや、家具以上に
旅する木がすべき中心的な社会的役割にしていこうと思います。
その為の動きを、俄然積極的に進めていきます!

実はまだ大きな声では言えませんが…。。
来年(まだ随分先ですね〜)、また映画に使われることになったんです!
さらに、ある会社のCMにも(今撮影をしています)。
まあ、映画やCMで使われるために、開発をしているわけではないので、いちいち
喜んでいるわけじゃないのですが、

うれしい〜♪

めっちゃ喜んでるじゃないですか。
まあ、できるだけ人の目に触れて、この木の車椅子がユーザーの方の選択肢に入って欲しいと
願っています。

いつの日か、そう遠くない未来、街で普通にこんな美しい、温もり溢れる木の車椅子が
見かけるような日が来ることを願って、旅する木は今年、チェンジ していきますよ。

車椅子の製作で使われる木工の技術は、家具作りの技術の遥か遥か上のものです。
なので、車椅子の製作で培われるもの作りの精神や、技術は、そのまま旅する木の家具作りにも
生かされると思います。

そして、ある意味、僕の個人的なチェンジとして、マヤ歴のアドバイザーと、
旅木劇団の活動も、もっと本格的に進めていこうと思っています。

こんな旅する木、そして旅する木のスダッフ、僕、須田修司を、今年もどうか
応援して下さい。

直接お返しは出来なくても、必ず社会を通して、役に立つお返しを致します!

これが今年の僕の抱負です。

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12/27 ”世界は素晴らしい”

あっという間に今年も終わりですね。
今年を表す言葉は”北”でしたね。
やっぱり北海道に住んでいる僕にとっては、2回もJアラートに驚き、起こされた
北朝鮮からのミサイル発射は、印象に残っています。
この世界情勢は、いったいどういう決着になるのでしょう?

スピリチュアルに精通している人の多くが、すでに地球は次元上昇をしていて、
素晴らしい世の中に向かっていると言っています。
本当かどうか、僕には解りません。

最近読んだある本では、この世界はそれぞれが想像の世界で作り出している
もので、実際に存在しているものは何もないのだそうです。
最先端の物理学では、それが常識となっているそうです。
まだ僕には なんだかよく解りません。

でも、そういう世界観を持った人の情報発信も当たり前になってきていて、
昨日見た映画『鎌倉ものがたり』の”黄泉の世界”はそういうもので、
その人の想像の世界がそのまま、その人の現実の世界として現れています。
きっと本当はそうなんだろうな。と思い始めています。

ということは、僕の目から見る、僕が現実だと思っているこの世界は、
今、こんな混沌としているのだから、僕の心が混沌としているんでしょうね。
ところが、先日、こんな素晴らしい若者に会いました。

電車で札幌に向かっている時、
ある駅で、杖をついたおばあちゃんが乗ってきて、座って本を読んでいる若者の横に
立ちました。
若者はすぐに本をしまって、席を譲ろうとしました。
するとおばあちゃんは、「大丈夫ですから、座っててください。」と言って、
若者を立たせなかったんですね。
若者は「僕は次の駅でおりますから。座ってください。」と言って、立ちあがりました。
間もなく次の駅に着いて、若者は電車を降りるやいなや、走り出したんです。
随分急いでるんだな。っと思って見ていたら、すぐに乗っていた電車の別の車両に
乗り込んだんです。
そう。「次の駅で降りるから」というのはウソだったんだ。

素晴らしいな。とっさにこんな行動のできる人間になりたいな。と感動しました。

彼が見ている世界は、もしかしたら僕が見ている世界とは違うのかも知れない。
素晴らしい世界というのは、自分自身の心が作り出すものなのかも知れませんね。

今年も皆様に支えられ、年の瀬を迎える事が出来ました。
本当にありがとうございます。
来年はさらに素晴らしい世界を作れるよう、自分自身の心と向き合って、
日々を暮らしていこうと思います。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。


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