『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。


8/21 ”家具工房 でこぼこの木 ” 開業〜♪

先週末、僕が長いこと温めてきた、一つの夢が実現、完結しました。
『子供たちの木工職業体験プロジェクト』!!!

”木”という素材を通して、1次産業〜3次産業までを経験し、社会の流れや、
働くことの目的や意味、お金を稼ぐということ、そして働いてくれている親のこと、
などを考えたり、感じてもらえたらな?
という、とても意味深〜い、そしてと〜っても楽しい企画なんです。

このプロジェクトの一番の特徴は、何といっても、

子供たちが自分たちの会社を作ります!

会社なので、もちろん、社長がいます。もちろん、子供達が選ぶ、子供の社長。
そして、企画部長、設計部長、工場長、営業部長など子供たちそれぞれ役職があります。
会社なのだから、何か作って売って、利益を出して、給料を稼がなきゃいけない。

「何作ろう?」
「どういうデザインにしよう?」
「いくつ作ろう?」
「どうやって作ろう?」
「いくらにしよう?」
「給料どれくらい欲しい?」
「どうやって売ろう?」
「どうしたら売れるかな?」
「いくらだったら売れるかな?」

これらのことを、それぞれの役職の子供が中心になって、自分たちで考えて、決めて、
行動(働く)して、そして、会社に利益を出して、給料をもらう。

大人はほとんど口を出さない。僕も方向を導くだけで、決めることはない。

というプロジェクトなんですね〜。

だから、ただの職業体験じゃないんです。
仕事って大変でしょ?とか、木工って楽しいでしょ?っとかいうものじゃなくて、
もっと根本的な『働く』ことの意味を、知識としてではなく、実感として感じて欲しい
と思っているんです。

さて、参加してくれた子供たち、本当に毎日楽しそうに、そして実際、明日が
待ち遠しいくらい楽しみの気持ちでこのプロジェクトに取り組んでいました。
その様子をかいつまんで紹介しますね。

+++++++++++++++++++++++++++++

初日、立ち木のこと、森のこと、林業のことを勉強するため、道民の森に行きました。
知らない子供たち同士なのに、遊具一つあったら、遊び出し、すっかり打ち解けていました。
さすが子供たちですね〜。

 

道民の森では、森に詳しいガイドさんについて、いろんなことを教えてもらいます。
樹齢500年のナラの巨木もあるんですよ〜。

そして次に森で切られた木が製材される、製材工場を見学。
全員ヘルメットをかぶって見学。
大きな機械が大きな音を出しながら、丸太をどんどんスライスしていく工程は
迫力があります。

そうして製材された木材が、旅する木にやってきます。

さて、これからいよいよ会社を作りましょう。2日目です。

今回参加してくれた子供たちは小3〜中2までの6名。
昨日ですっかり仲良くなって、なんとなく、この人、こんな人なんだ。
って解ったところで、先ずは社長を選出。
以外とあっさり決まり、企画部長、設計部長、工場長、営業部長を決定。
子供たち、積極的で、全て自ら立候補で決まりました。

それぞれみんな、責任のある役職がついたところて、そして大事なことを決めなきゃ。
そう、会社名!!
会社名は大事ですからね〜。

ちなみに僕は『旅する木』という会社名に崇拝の気持ちと、誇りを持っています!

もちろん、みんなで意見を出し合いながら良い名前に決まりました。
この輝かしい未来の会社の会社名は…

『家具工房 でこぼこの木』

良い名前じゃないですか!!!
社長のTは、中1なのに身長172センチ。
最年少、小3のTは、身長110センチ。
確かに凸凹だけど、想いは一つ。力を合わせて、頑張ろう〜♪

会社名、役職が決まると、なんだか子供たち、責任感が出て来たみたいで、
俄然、やる気がみなぎっていました。

みんな前のめりになりながら、何を作るか、アイデア出し。
社長と企画部長の出番です。
会議の進行、整理、メモなど、もちろん、子供たちが進めます。

大物家具を作って、一攫千金を狙うか、
小物をいっぱい作って、たくさんの人に売るか、
製作日数は3日。
色々話し合っていました。

子供たちの意見
「販売は、札幌駅の地下歩行空間。家具を買おうとして歩いていないから、
大きな家具は売れないと思う。小物で行こう!」

ん〜、ごもっとも。ちゃんと考えるね〜。

僕は、子供たちに、頭を絞って絞って、苦しんで苦しんで、良いアイデアを
絞り出して欲しいと思い、100個のアイデア出しを提案したのですが、
頭の柔らかい子供たちの口から出るわ、出るわ、次々とアイデアが。
なんと1時間くらいで100個のアイデアが出てしまいました。

子供ってスゴい!!

その中から3日間の製作時間で作れるボリュームを考えて、5,6個に絞り込み。
それぞれ自分のアイデアを採用して欲しいわけで、せめぎ合い。
提案者が売れる理由を説明して、納得させる作業。

第三者として見ている僕にとっては、とても面白くて、思わず笑っちゃいそう。
ぞれぞれちゃ〜んと、考えているんですね。

この時点で正解も不正解もないんです。
もし正解、不正解があるとしたら、販売日に解るのでしょう。
学校の勉強と違って、正解、不正解がないことを決めることって、結構大変。
でも、社会に出ると、ほぼ全ての選択がそういうことですもんね。

5個に決まった時、最年小、小3の企画部長のTが、みんなにお願いをし始めました。
「どうしてもマカロンを作りたいです。」

その時、社長のTが「もっと気持ちを込めてお願いしてごらん?」

企画部長T 「マカロンを作らせて下さい。お願いします。」

社長T 「よし、わかった。マカロンを採用しよう!」

最後は社長の一存でマカロン決定。

このマカロンが後に…。。

作るものが決まったら、次はデザインを決めよう!
この作業は設計部長のKが中心。
またまた、アイデア出しをしながら決めていきます。

製作するもの、デザイン、ともに、僕はちょっとハラハラ、ドキドキ。
だって、子供たちと作るといっても、もちろん、危ない機械作業は僕らがやるわけで。
しかも、子供たちの自主性に任せると言った以上、子供たちの決定したもの、
デザインは出来るだけ忠実に形にしたい。
それを、2,3日で準備して、子供たちと2,3日で完成させなきゃいけないわけで…。。

いつもは、僕が家具のデザインをするので、機械力、そして技術力を把握した中で、
デザイン、設計を進めるのですが、子供たちはそんなことおかまい無しなので、
僕らの力量も試されるわけですもん。

全部決まって、子供たちが帰った後、スタッフと相談。
「どうやって作る?これ。」
「この加工、めんどくせ〜!」
「この作業、危ね〜。何てったって小さ過ぎるもん。」
「こんな刃物、無いし。」

などなど、文句ブーブー言いながら、仕事の後に居残りで試作をしたり、
準備をしたりしました。

おっと、忘れてなるものか。
一番難しい決め事の会議。価格設定。
製作するものを決め、デザインを決めた後、価格を決めなくては。

この価格設定は、今でも僕は難しい〜。って思っています。
もちろん、これも子供たちが決めること。

「そんなに高かったら売れないよ〜。」
「もっと安くしよう。」

という意見が大半で、最初の価格設定はどれも安め。
それはそれで良いんだけど、僕がちょっと説明。

僕 「みんなは会社で働いているんだよ。働いているんだからお給料をもらうよね。
   欲しいよね。いくら欲しい?」

子供たち 「1万円」
子供たち 「時給700円として、6日間だから、3万円!」

僕 「そしたらさっきみんなが付けた値段で売ったとして、全部売れたとして、
   材料費や経費を差し引いた分が利益だよね。
   どう?一人1万円もらえるかな?」

そんな話しをしてみると、
子供たち 
「もっと高くしよう!」
「最初からやり直そう。」
「え〜?それは高過ぎでしょ。」
「でも、お前、給料欲しくないのかよ!」

こんなやり取りは本当に面白い。
こういうのを経験して欲しかったんですよね〜。

そしていよいよ製作スタート。

でこぼこ社員を3チームに分けて、旅する木社員がそれぞれに一人ずつついて指導。

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須田チームはストラップの製作。

 

こんな大きな機械も使って加工を進めます。
ストラップは、
ハート型、スマホ型、将棋、凸凹の木 の4種類。
どれも小さいので、大変!!

完成したものはこれ!

 

 

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靴べらチームは山口君が指導。

 

クネクネ曲線なので、サンダーや、曲面カンナを使って、最後は
ひたすらサンドペーパーで仕上げ。
「ん〜、この曲線、たまんねーな。」って顔で作っているものを眺めてる子供たちが印象的。

完成したものは

こんなクネクネした曲線の靴べらなんて、プロでも難しいんですよ〜。
力作です。
一人2個作ったんだけど、みんな、1個目より2個目の方がずっと上手くなってました。

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そして、本立ての製作チームは花輪君が担当。
立体マスクをおでこに乗せる、花輪スタイルを花輪チームの子供たちは自然と真似。
尊敬している証拠ですね(笑)。

 

今回製作する作品中、一番大物作品。
インパクトドライバーという機械で組み立て。
リーダーは簡単にやってるけど、いざやってみると上手くいかない。
それでもイッチョマエに、ビスを口でくわえて、職人風。

で、完成したものは

真ん中の仕切りは左右に自由に動くんですよ。
なかなかの仕上がり。

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体は小さいけど、工場長のHは、終始一生懸命作っていました。

4日間も朝から夕方まで一緒にいると、子供たちはもうすっかり大仲良し。

  

休み時間は廊下を走り回って騒いでいました。

お昼ご飯はいつもみんなでお弁当。
昼休みは良い天気が続いたので、校庭で遊んだり、校舎内を走り回ったり、
楽しそうでしたね〜。

基本的に製作は2日で終えて、製作3日目は、販売の為の準備です。
売れるか、売れないかは、今日にかかってる、っていっても過言じゃない。

でも〜・・・?

製作3日目ともなると、慣れて来て、朝、僕が
「慣れて来た頃に怪我をすることが多いから、今日は気を引き締めて作業して下さい。」

と言ったのにもかかわらず、何だかみんな、ダレている感じ。
ピリッとしていなかったり、決め事の会議中におしゃべりしていたり、、、

そこで僕の雷が落ちました。かなり強烈なやつが。
これには子供たち、ビックリしていましたね〜。
学校の先生や、他人に怒られることがあまりない子供たちですが、しっかりと愛情を
もって叱るとわかってくれるもので、
社長のTと、最年長、中2の営業部長のKが、みんなを引き連れて謝りに来ました。

という一幕もあり、午後からはみんな、一生懸命販売の看板作り、値札作り、
作品を袋詰めしたり、準備を進めました。

大事な看板は、こんな手作り感満載の、よい看板が出来上がりました。
子供たち、一人一人の手形が入っています。

顔出しも作ることになりました。

ここで登場するのか、我らが”たびもっくん”
これはあっこさんの担当。
可愛いたびもっくん顔出しが完成しました♪

そうそう、今回あっこさんがこのプロジェクトを盛り上げるべく用意したものは…

なんと、”爆弾おにぎり”
一口で食べられるサイズのたくさんのお握りの中に、いくつか、わさびがたっぷり
入っているものがあり、好きなものを取って、せーの!でみんなで食べて…。。。
なんと、社長T、企画部長K、そして、僕も大当たりしてしまいました。
きつかった〜(笑)。

そして、最後に、初めに設定した金額と、完成した作品を見て、製作の苦労を
体験して、そしてもう一度、価格を見直そう。と、話し合い、実際の販売価格を決定。

いろんな意見が出て、みんなで話し合って、時には主張して、時には折れて、
時には丸め込まれて、時には多数決で、一つ一つの作品の価格が決まっていきました。

いよいよ販売当日。営業部長の活躍です。

札幌駅地下歩行空間のブースの準備。
見せ方がとても大事なので、みんなで工夫してブース作り。
手作りした看板や、前掛けを上手く配置して、作品も見やすいように工夫して
さあ、いよいよ販売開始。

  

チカホの人通りは本当に多いのですが、目的を持って歩いているひとが多いので、
なかなか立ち止まってくれません。
それでも子供たちが売っているブースに興味をもって近寄って来た人に
ササッと近づいて、今回のプロジェクトの説明をして、何とか買ってもらえるように
営業をしていました。

そして、記念すべき最初に売れたものは…???

そう、企画部長Tが、廃案になった後、最後にお願いして入れてもらった
マカロン でした。

なんと、開店してすぐに 完売♪

企画部長T 「もっとたくさん、30個くらい作れば良かった〜(笑)。」

あの、たびもっくん顔出しも、なかなかの人気でした。

ストラップなど小物の売れ行きは好調なのですが、5,000円を越える靴べらとか、
本立ては、やっぱり難しいですね〜。
なかなか売れない。

そこで営業部長Kを中心に考える。
「値引きしよう?」
「売れているように見せかけて、2個ぐらい隠しておこう。」
「”売約済み”の紙を貼っておこう。」
「10分のサービスタイムをやってみよう。」

子供たち、考えますね〜。なかなかじゃないですか?
僕はなるべくブースに入らないように、チカホの反対側から眺めるようにしていました。

午後3時を過ぎると、人がパッタリと立ち止まらなくなり、売上げが伸びません。
それまでの売上げを見ると、経費を差し引くと1万円の赤字。
これじゃあ給料どころか、でこぼこの木、赤字になってします。
子供たちのテンションも下がり気味。

仕方がない。そこで僕が救いの手を。
経費の1万円は僕がポケットマネーから出すことにして、
「ここからの売上げがそのまま利益になるから、頑張って売っておいで!」っと。

そしたらさっきまでの下がり気味のテンションが急上昇。
みんな一致団結して、売り込みを始めました。

なんと、チカホでは禁止されている大きな声での呼び込みを始めるではありませんか?
ブースから飛び出して、歩いている人にチラシを持って説明を始める子も。

チカホは結構見回りがうるさくて、注意されるだろうな?止めさせなきゃ。と思ったけど、
一生懸命の子供たち、恥ずかしさとかそんなものを忘れて声をだしている子供たちを
見ていたら、謝って許される程度のルール違反なら、子供たちの情熱を優先させたい!
僕も心の中が熱くなってきて心の中で
「子供たち、怒られるときは俺が怒られるから、それまでに売り切ってしまえ!!」
と応援していました。

閉店時間、午後5時を迎えました。
売りましたね〜。ほんと、子供たち、がんばりました。すごかったです。
数点の作品が売れ残りましたが、ほとんど売り切りました。

営業部長Kが、売上げを計算し、経費を差し引いて利益を確定しました。
そして利益を全員で割ると…。

 

社長が給料袋に一人一人の給料を入れて、そして一人一人に渡しています。
生まれて始めてのお給料かな?
子供たち、みんなとっても、とっても、とっても嬉しそう。
満面の笑顔で受け取って、受け取るや否や、数えていました。
給料袋には千円札が数枚、と100円玉が数個、入っていました。
『家具工房 でこぼこの木』、めでたく黒字で決算を終えました♪

これで6日間の木工職業体験プロジェクトが終わりました。

最後に全員から一言、感想を言ってもらいました。

「楽しかった。 来年も絶対参加したい。」
「買ってくれた時、嬉しかった。」
「大きな木工機械で作るのが楽しかった。」
「なかなか売れないんだな。と思った。」
「お金を稼ぐってこんなに大変なんだと思った。」
「自分が作ったものを喜んで買ってくれるのが嬉しかった。」

などなど、僕が感じて欲しかったことを、ちゃんと感じてくれていて、
嬉しかったですね〜。

この子たちが成長し、いろんな人生の選択をする時がくるだろう。
どんな選択か、僕にはわからないし、その時にアドバイスなんて出来ないけど、
この夏の、この経験がどこか心の隅に残っていて、ポンッと背中を押してくれる、
そんな懐かしいけど光り輝いている記憶になってくれたら嬉しいなぁ。と思います。

そしてこの『子供たちの木工職業体験プロジェクト』は、毎年やって行きたいと思っています。
さらには、

『子供たちの職業体験プロジェクト』
としていろんな他業種の人たちとも一緒にやっていけたらなぁ。
なんて考えちゃってます。

この企画、僕自身、めちゃくちゃ楽しいけど、
でも、めちゃくちゃ疲れます…

子供たちを見ていると、
あ〜、若いっていいなぁ〜。って思いますね(笑)。。



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7/28 ”それ、すごいサプリ!”

  

日本全国、猛暑ですね。
北海道は違うと思いきや、汗びっしょりかきながら、仕事をしています。
それでも朝晩は涼しくて、工房からの帰り道は気持ちが良いですね。

とうとう、木の車椅子、試作3号機が完成しました!
2号機に比べ、ストッパー機能が付いたり、フットプレートが跳ね上がったり、
より実用的に必要な機能を付け加えました。

不思議なことに、2号機と大きくデザインの構成は変えていないのですが、
必要な機能が加わることにより、一段と、凛々しく毅然とした風格というか、
オーラとでもいうのか、そんなものが感じられるのです。
丸腰の侍が、刀を刺した瞬間に背筋が凛と伸びた感じとでもいうのでしょうか?

この車椅子の試作機、普段の家具作りでは使わないような技術や、加工をすることが多く、
さらにパーツが複雑で小さいので、怪我をしそうになったりして、ヒヤッとしたことが
何度かありました。
金物も全て特別に作ってもらっているものなので、それだけでも数十万円がかかります。

「なんでそんな思いまでして車椅子作ってるの?」
たまに言われます。

そうなんですよね。そんな時、考えます。
なんで俺、車椅子作ってんだろう?

なんだかすでに車椅子の製作は僕の中で当たり前の業務になっていて、何の違和感も、
特別なものを作っている感もなく、仕事として…、

仕事ではないですね。お金を生んでいませんから。
投資として…、

投資になるのかな?
需要があるのか? 売り先はどこなのか? どうやって世間に発表したら良いのか?
全く考えてないで、僕の思い(コンセプト)だけで始めたことなので。

普通は考えますよね。新商品を開発する時。

・商品名: 『あなたもシンデレラに な・れ・る』

・特徴: 飲んだら一日だけ、北川景子そっくりになれるサプリ”

・背景: お城の舞踏会に参加出来るお金持ちの娘は、意地悪の母に育てられ、本人も
     意地悪な顔をしているということは昔からよくある話しである。
     そして、その家で働く貧乏なお手伝いの娘が容姿端麗というのもよくある話し。
     そのような意地悪で欲深いお金持ちの娘に限って、シンデレラストーリを切望
     しているものである。
     お城の舞踏会で結婚相手を探すなどというドラ息子に限って、お金持ちだけど意地悪で、
     意地悪な顔の娘を選ぶことはまず無い。
     そして、貧乏なお手伝いの美しき娘の前に魔女が現れ、かぼちゃの馬車でお城に連れて
     行ってくれる。なんてことも、現実にはまず無い話しである。
     そこで、役に立つのが、このサプリである。
     このサプリを飲むと、舞踏会の一日だけ、北川景子にそっくりになれる。というもので、
     その一日の間に、ドラ息子のハートを掴んでしまおう。というものである。

・ターゲット:お城の舞踏会に参加するシンデレラの姉たち

・売り先:闇の組織

・価格:1錠100万円

・オプション販売品:1錠1万円で、一日だけ目を開けられなくなるサプリ
          (参考使用例 次の日からドラ息子に飲ませる。)

※すみません。ちょっとブラックジョークになってしまいますね。とはいうものの、元々、原作の
 グリム童話というのは、残酷でブラックなものなのです。 

これは売れますね。確実に(笑)。しかもオプションのサプリは永遠に売れ続ける(笑)。

冗談で書きましたが、世の中に無いものを開発するということは、こんな風に、いや、
もっともっと厳密に市場調査をしたり、検討を重ね、開発されるものなんでしょうね。

でも、この車椅子に関しては、なにも確かなものは無いんですよね。
あるとしたら、僕の思いと、僕の直感と、僕の使命感だけなんです。

なんだかわかんないけど、やりたい。
なんだかわかんないけど、いけそうな気がする。
なんだかわかんないけど、とにかく僕がやらなきゃいけないことの気がする。

そして、試作を進める度に、美しく、神々しく成長していく車椅子の続きを、
僕自身が一番楽しみにしているのです。

どこまで進化し続けるのだろう。
そして、どうやって世の中に広まって行くのだろう。



そしていつか僕にもやってくるのだろうか?

シンデレラストーリが。

って、おい、お前もか!!


それにしても見て〜なぁ。生、北川景子。

って、お前、ドラ息子か!!



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7/4 ”京都、心の旅”

先週から、つい先日まで、京都に行っていました。
京都は中学校の修学旅行以来。仕事と心の旅を兼ねて。

地元の方の案内で、大原三千院、勝林院、宝泉院などをじっくり拝観させて頂きました。
宝泉院の更に奥の、一般には解放していない、国内外の特別VIPの方が宿泊される建物、茶室は
本当に素晴らしく、日本の本当の意味の”おもてなし”の真髄を見させて頂きました。

案内して下さった方は、これらの寺院の庭の管理をされている方で、本当に豊富な知識と
思慮深く考察した内容のお話しで、それぞれの寺院や茶室、庭園の意味を説明してくれました。
元々、仏教は宇宙の心理や法則を表現したものであり、その内容は、当然ながらそういった
ところにまで及び、そのような世界に興味のある僕にとっては、言葉一つ一つが心に響く
ものでした。

上手く言葉では言えませんが、”自分”と”相手”、”自分”と”物”という客観物としての
存在はなく、全てが自分である。私はあなたであり、あなたは私という世界観からこれらの
寺院が創造されているということでした。

例えば、玄関に立って「ごめんください。」と住人に声をかけるその言葉は、言霊として
声をかけた本人に返ってくる構造になっており、「いらっしゃませ」と出迎える住人の言葉も
同じように本人に返ってくる建築構造になっています。そこに、訪問者と住人という分け目が
無いんですね。”私はあなた、あなたは私”ということを体現しているのです。

この考え方は、僕が勉強しているマヤ歴ともつながりますね。
仏教、マヤ歴に限らず、一つのことを神髄まで突き詰めて到達した人の言っていることは
結局は全て同じことを言っているんだな。と最近つくづく感じています。
宇宙の原理原則なのだから、当然と言えば当然なのですが、それを知識としてではなく、
実感出来るようになるには、僕はまだまだ遠い道のりを一歩一歩進んでいくしか無いと思います。

次の日、南禅寺から哲学の道を通って銀閣寺まで歩きました。
教科書の写真で見ていた銀閣寺は、当たり前ですが、どこか懐かしい寺院の匂いがあり、
梅雨の時期の湿気があり、美しく配置された石やカエデの木々があり、目の前の美しい
コケを踏まないように歩いたり…
すごいな。本物なんだ。っと、その美しさにしみじみと感嘆しながら、ゆっくりと歩きました。

京都駅に戻った頃には雨が降ってきました。

”相手”とか、”物”というように対象物として捕らえると、その瞬間にそこには”表”が
存在し、表が存在するということはつまり、”裏”があり、出会いがあって、別れがあり、
喜びがあり、悲しみがあり、不幸があるから幸せを感じられ、痛みを感じるから優しくしようと
思い、戦争があるから平和を望む。
そのすべてのものに二極性の意味合いが存在することになるわけで、僕たちはその二極性を経験し、
学ぶ為にこの3次元の地球を生きているのかも知れない。

そんな学びを何万年も繰り返している中で、先人の中には、新たな世界があることに
気が付いた者がいたのだろうか。

”私はあなたであり、あなたは私”

そこには対象物が無いのだから、表も裏も無く、別れも悲しみも存在しない。
もしかしたらそこに至福の、そして永遠の幸せが存在するのだろうか。
そして、そのことを後世に伝えようと、言葉にしたり、建築として空間に刻む者がいただろうか。

いまだに僕らは出会いと別れを繰り返し、喜びと悲しみの世界から抜け出せないでいる。

ぼんやりとそんなことを考えながら、夜のしんみりとした古都を感じたくて、わざと
大通りを避けて、人通りの少ない小道を一人、ホテルまで歩いた。




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6/20 ”心に届いた手紙”

今、木の車椅子、試作3号機の製作を進めています。
2号機が完成し、ちょっと満足しつつ、次はどこを改善したら良いんだろう?と
考えていた時、そのタイミングで家具を製作したお客さんが、実は介護の専門家で、

お客さん 「完成した車椅子を見せて下さい。」
僕    「はい。2号機が完成したんです。」
お客さん 「素晴らしいですね。本当に芸術的な車椅子ですね。」
僕    「ありがとうございます(喜)。」
お客さん 「この後どうしていくんですか?」
僕    「まだまだ試作を進めますよ。3号機、4号機と。」
お客さん 「本気なんですか?てっきり2号機で満足して、芸術品として飾るんだと思ってました。
     ここで満足するんだとしたら、褒めてあげようと思ったんですけど、
     本気なんだったら意見を言わせてもらっていいですか?」

ということで、2号機の致命的な欠陥、修正箇所をいくつか指摘してくれました。
修正箇所を探していた僕には、本当に目からウロコ状態で、3号機の試作への想いが
メラメラと燃え上がってきました。
3号機はそれらを盛り込んだものになっています。
なんと、ブレーキシステムを木で作ろうとしています。
これを設計するのに、ものすご〜く悩みましたね〜。
今、まさにブレーキシステムの製作を進めていますが、設計通り上手くいくのでしょうか?


先日、僕が独立したての頃、東区、丘珠のタマネギ倉庫(東裏小学校に移転する前の工房)
によく来てくれて、仕事の無い僕に細かな仕事を持ってきてくれたりして、気にかけてくれた
Sさんが久しぶりに工房に来てくれました。
当時Sさんは介護関係の建築部門に所属していて、主に建物をバリアフリーにする為の
リフォームなどを担当しており、僕もそのお手伝いをしたりしていました。

いつかのブログに書きましたが、独立する前から、”木の車椅子”構想を練っていた僕は
よくSさんに、「僕が木の車椅子を開発したら、ジャンジャン売って下さいね!」
なんて冗談交えて言っていたものです。

その頃、独立する際に借りた借金の返済と、高額な工房の家賃と、家族の生活費などで
月々固定費で50万円が無くなっていくという追いつめられ、まさに自転車操業の経営の中、
車椅子の試作などというお金にならないことをしている余裕などなく、4年の月日が
過ぎていきました。
その間に工房を当別に移転し、事業計画書の中で、優先順位の高い木工教室、木育の部屋
(木のおもちゃを揃えた部屋)、そしてカフェを実現し、さあ、次、何しよう?
と考えた時、『旅する木の家』と『木の車椅子』が、「次は僕たちだよ〜。」と
僕の心の中に入り込んで来たのです。

そして、いつの間にかスタッフが増え、彼らが成長し、少しずつ僕に余裕が出来てきて、
ようやく、数年前から車椅子の試作に割ける時間を作れるようになりました。
2年くらいかけて初号機を作り、問題点を改善した2号機を作り、今、3号機を試作している
ところです。

札幌のタマネギ倉庫の工房で、薪ストーブにあたりながらSさんに、「木の車椅子を作ったい!」
っと夢を語っていた時から今年で10年。
久しぶりに工房に来てくれたSさんに、体育館、そしてショールームなど一通り案内した後、
最後に木の車椅子を見せると、

「凄い!!10年前に言われた時は、内心、そんなの出来るわけないだろ。と思っていたけど、
こうして今、目の前に存在しているんだから。こんなものを作っちゃうなんて本当に凄い。」
っと、感動して泣きそうになっていました。

まだまだ試作は続きます。4号機、5号機と改善した試作を重ねないと、お客様に乗ってもらえる
レベルには到達しないと思います。

僕が作りたい木の車椅子、それは、ただ”美しい車椅子”というものではなく、
その車椅子に乗る人の人生を変えるもの。そして、それに乗って社会で活躍している
人を見た健常者が、自分もあのような人生を歩みたい。と生き方を見つめ直すきっかけ
になるような、そんな車椅子を作ること。それがこの木の車椅子に懸ける僕の夢です。

心の中にあるものは、あきらめなければ きっと実現する。
そして僕の心の中には、「旅する木の車椅子に出会い、人生が変わりました。」
という手紙がすでに届いている。




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6/2 ”丘の上の桜の木に…”

北海道もやっと暑くなってきましたね。
そんな暑かった一昨日の日曜日はスペシャルDayでした。
何がって?
始めてTシャツで過ごしました。

そんなこと?

いえいえ午後、久しぶりに娘と映画を見に行きました。
昔は毎週のように二人で見に行ってたんですけどね〜。
まあ、それは確かにスペシャルなんですが、午前中もスペシャルでした。

いつかのつむ通に書いたのですが、僕は学生時代、脚本家になりたかった。
ちょうど僕が大学生になるかならないかくらいに、富良野塾が開塾したんですね。
ご存知ですか?富良野塾。
倉本聰が塾長の、役者やシナリオライターを育成する塾。
塾と言っても通うわけではなく、富良野の山奥に自分達でログハウスを建て、
自給自足に近い生活をしながら、毎晩指導を受けるというもので、
肉体的にも、精神的にも、相当厳しい生活を強いられる… ああ、自ら望むのだから、
”強いられる”という表現は違いますね。ものすごく高いレベルを求められ、
2年後の卒塾時、倉本聰に向き・
不向きの審判を告げられるのだそうです。

子どもの頃から『北の国から』が大好きで、れいちゃんのような女の子に出会いたくて
北海道の隅々まで旅し、TVドラマ『ライスカレー』に触発され、カナダまで
ログハウスを建てに行った僕は、大学を辞め、富良野塾に入りたいと思ったものでした。
でも当時、理系の大学に通っていた僕は、バブルははじけていたと言えども、まだまだ
理系の学生は引く手あまたな状態で、将来のことなんかを考えて、それを捨てて、
富良野塾に飛び込む勇気がなかったんですね。

このことはいまだに強く後悔しています。
だから、”やらずに後悔するなら、やって失敗する方が100倍まし”という今の考えが
染み付いたのだと思います。

おっと、話しが反れてしまいました…。
そんなことでいまだにシナリオライターの夢をあきらめきれず、昨年、娘への誕生日
プレゼントとして、演劇のシナリオを描きました。
どうにかこのシナリオを演劇にしたいと思っているのですが、ずぶの素人で、
人材集め、演出、音響、照明、稽古場、お金・・・、クリアーすべき課題を思うと
またまた一歩も半歩も足が出ないでいた時、ある中学校の演劇部の先生と出会ったのです。

もちろん、その先生に丸投げしてやってもらうつもりはないのですが、相談したところ、
自分の中学校の演劇部の新入生歓迎の舞台で、触り程度になってしまうけどやってみようか。
という話しになり、実は一昨日の午前中、中学生が僕の脚本を演じてくれたんです!!
先生は、「子供たちの実力と時間制限があり、脚本をずいぶん簡略化してしまいました。」
とおっしゃっていましたが、それでも、自分の脚本を子供たちが演じてくれていることが
嬉しくて、感動しました。

帰りの車の中で娘と、「やっぱり、頑張って自分たちの手で上演したいね。」と話しました。

僕が思う、人と人との繋がり、心と心の繋がり、そして心と現実の世界との繋がりを
ある伝説を持つ一本の桜の木と、子供たちの優しい心の風景を重ねて描いた作品です。
『丘の上の桜の木に…』

演劇の好きな方、裏方の好きな方、興味のある方、良かったら声をおかけ下さい。
この、超〜感動作(笑)の演劇を、一緒に作りましょう!
そして、美しい涙を流したい方、是非応援して下さい。



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5/28 ”宝石のような時間”

この前の土曜日、僕が木工を習った、旭川高等技術専門学院造形デザイン科の同窓会を
旅する木で行いました。
卒業生、来たい人だれでもおいで〜。って感じで。
今も木工をやってる人、違う道を進んでいる人、お母さんになった人、お世話になった先生など
20数名の人が、北は天塩町から、道外は東京の女性まで、集まってくれました。

簡易的な調理が出来る設備を整えた理科室で、みんなで調理して、真夜中どころか、
うっすらと明るくなり始める深夜までお酒を飲みながら、楽しいおしゃべりをし、
ベートーベンとか、モーツアルトとかがいる?(肖像画)音楽室に畳を敷き詰めて、
みんなで雑魚寝。

本当に、心から楽しい時間を過ごしました。

僕は2期生で、今の学生は19期生。
ってことは…
卒業して17年立つんですね〜。ビックリです。
僕が学院に入ったのは28歳の時。他の大部分の同級生は高卒なので18歳。
クラスで最年長だった僕は、みんなから「すだじい」と呼ばれていました。

10年も遅れてのスタートだったので、一分、一秒もはやく、10年の遅れを追いつこうと、
必死でしたね。
その必死さに加え、社会人経験者として、最年長として若者達に背中でものを語らなきゃ!
なんていきがって、公務員体勢の学校と闘ったり、先生と衝突したりしていた僕は、
若者達がついて来てくれているものと思って振り向くと、彼らはキョトンっとしていて
「すだじい、いい歳して熱いんだよ。俺たち争い事は好きじゃないんだよね〜。
みんなで仲良くやってこうよ。」なんて諭されたものでした。

一番しっかりしなきゃいけない立場の人間が、一番の問題児である集団は、以外と個々が
しっかりとしてまとまるもので、僕のクラスも例外ではなく、
週末といったらみんなで
アポ無しで工房見学をして怒られたり、キャンプに行ったり、一晩中飲み明かしたり、
カラオケではしゃぎまくったりと、楽しい時間を過ごしました。

あれから17年の歳月が流れ、当時18歳だった彼ら、彼女達は、とっくに僕が学院に入った頃の
歳を越えて、お父さん、お母さんになっていました。
大部分の人が、木工とは違う道を歩んでいますが、集まってくれた人たちに共通点が
あるとしたら、”人生を楽しく、前向きに生きていこう!”ということかな?と感じました。

17年前、木工の世界への第一歩を過ごした仲間との楽しかったあの時間は、今も色あせず
キラキラと輝いています。

本当に久しぶりに会ったのに、一瞬で時を越えて、そして17年前の続きみたいな、
宝石のような時間を共有しました。


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5/15 ”風に立つライオン”

本州では30℃を越えているというニュースを聞きますが、
北海道は結構寒い日が続いていますね。
それでも工房の東裏小学校のグラウンドには、タンポポが咲き始めました。
今週末あたり、良い天気だったらきっと、グラウンドはタンポポの絨毯になるかも。
カフェも始まっています。
是非遊びに来て下さいね。

ところで、「一番好きな歌は何ですか?」と聞かれたら…。
かなり難しい質問ですね〜。
その時の気分や、状況によっても変わりますもんね。
アレもいい。いや、コレもいい。んー、これも捨て難い。となりますよね。
でも、僕は多分「風に立つライオン」と答えます。さだまさしの。

なんで さだまさし って言っただけで笑うの?
めっちゃいい歌ですよ。ホント。

歳取ったからではなく、ずっと前。中学生くらいから好きでしたね。さだまさし。
今はどうか知りませんが、僕の実家のすぐ隣の町に住んでいたんですね。
それで親が良く聞いていて、その影響で子供心ながら、
良い歌だな〜。なんて思っていたものです。人には言えませんでしたが…。
『パンプキン・パイとシナモン・ティー』を聞いて、「シナモンティーってどんなものだろ?」
と空想したものです。

確か高校生くらいの頃だと思います。
この『風に立つライオン』を初めて聞いた時、鳥肌が立ったのを覚えています。
今では妻に話しかけられても、始球式に可愛い衣装で投げる女子アナが気になって、
気が付かず、呆れられていますが、当時、”硬派とはなんぞや”がテーマだった僕には、
「そうだ、男はかく生きるべきだ!」なんて思ったものです。

先日、ずっと見たくて気になっていたのですが、忙しくて結局最終日、ギリギリに
映画館に飛び込みました。そう、『風に立つライオン』が映画化されたんですよね。
江別の映画館。最終日。観客は僕の他2人。泣きたい映画を見たい時、こういう
映画館は良いですね〜。
初めに歌ありきのストーリーなので、そのままと言えばそうなんだけど、
それでも、生きるとは?ということを感じられる良い映画でした。

旅する木は今年10年目を迎えました。
無我夢中、自分がどこを向いて走ってしるのかさえ解らずに、がむしゃらに
走っているうちに、自分で意図したわけではないけど、スタッフが一人、二人と増え、
彼らが成長し、ちょっと楽をさせてもらえるようになってきたのですが、
そこに甘んじているのは、どうも性分に合わないんですね。

先日、スタッフもビックリ、そしてワクワクする計画を発表しました。
せっかく創業時の借金が無くなったのに、また大きな大きな借金をして、大変な、
お金になるのかどうかわからない、でも楽しそうな計画を。
それとは別に、木の車椅子も今、苦労しながら試作を進めています。

今あるものに、今あることに、今この状況に満足し、感謝することが大切だ。
ということは解ります。
そのことに幸せを感じつつ、でも常に新しい明日を見つめて、挑戦者でありたい。とも思います。
今までも、そしてこれからも、僕は風に向かって立つライオンでありたい。

ん〜、ちょっとカッコつけすぎましたね。
映画を見た直後なので、ついつい感情がそっちに揺さぶられてしまいました。
ホントのことろ、楽しくて、ワクワクすることをこれからもどんどんやっていきたい
だけなんですけど…。

さだまさしの歌で名曲の一つは『親父の一番長い日』ですね。
今、久しぶりに You Tubeで聞いています。
僕にもそんな日が来るんでしょうか。
来るんでしょうね〜。
さすがに相手の男を殴ることはないと思いますが、娘の結婚式、ウェディングドレス姿、
娘が読む手紙…
ヤバい、すでに泣けてきた…。。




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4/24 ”あの頃の僕”

今年は桜前線の北上も例年より一週間程早いようですね。
この分だと、当別もGW前に開花しそうです。

札幌から当別に向かう時、石狩川を渡ります。
川幅数百メートルの大きな川ですね。
この川の札幌側と当別側で、天候が大きく変わるんですね。特に冬は。

この橋から見る四季折々の風景は、とても美しいんです。
冬の凍りついた石狩川とその川岸の樹木が真っ白な樹氷になった、モノクロの風景は絶景です。
そして今日のような夕焼けに染まった石狩川も。

夕方、納品の帰り道、この石狩川にかかる橋を車で渡っていると、
3羽のカラスが、鳶(トビ)を追いかけていました。
きっと、カラスの餌をトビが奪ったんでしょうね。

3羽のうち、2羽は、すぐにあきらめたのですが、1羽はずっと追いかけてました。
でも、鳶の方が大きいし速いので追いつきません。
ちょっと距離が出来ると、羽根を羽ばたかせるのを止めて、その場に停止するかのように
スーッと風に乗っています。
猛禽類(鷲、鷹、鳶など)のこの飛び方は、とてもスマートで、優美で、つい見とれてしまいます。
ただ、追いかけているカラスにとっては、これは許せない。
「バカにするな、このヤロー!」ってとこでしょうね。
最後の一羽はずっと追いかけて追いかけて、とうとう海の方、夕日の中に消えていきました。
カラスにもそれぞれ性格があって、このカラスは負けず嫌いで、正義信が人一倍、
いや、カラス一倍強いんでしょうね。

「わかる。わかるよ、その気持ち。正しいのはお前の方だよね。でもね…。」

美しい夕日と、その中に消えていく鳥たちの葛藤を見ていたら、昔のある出来事を思い出しました。

もう随分と昔ですね。まだ結婚前、妻と付き合ってる頃。
北海道に旅行しようと、上野発の夜行列車に乗りこみました。
確か…、、、そう、夜行列車 『急行八甲田』
北海道好きの鉄道マニアの人は、「懐かし〜。」と思うのでは?

ちょっと話しは反れますが…。
夜行列車とは寝台列車と違うんですね。
寝台列車はベッドになっていて、プレイベートも確保出来るし、寝れるんです。
なのでいたって快適な旅行を楽しめるんです。
それに対し、夜行列車は、普通の車両で、しかも向かい合い席。
それで一晩中走るので、腰は痛くなるは、向かいの人に気を使うは、寝れないは、疲れるは、…
かなり苦痛。まあ、その分安いんだから、学生の僕らには選択の余地は無し。

すみません。話しが反れました。
そんな八甲田に乗って真夜中、ウトウトしていると、禁煙車にも関わらず、タバコの匂いが。
斜め前方のこっち向きで座っている中年の男の人が、悪気もなくタバコを吸っていたんです。
今だったら考えられませんが、当時はそんなもんですよね。
若かった僕は、結構正義信が強く、我慢出来ない質で。
カッコつけるとかそういうんじゃなく、「俺が言わねば…」なんて感じで注意するわけです。
「禁煙車だよ。」と。
「すみません、そうでしたね。」
なんてなるわけもなく、いろいろすったもんだになりますよね。
電車でなければ、そのまま別れておしまい。なのですが、いかんせん、夜行列車、しかも
満席なので、お互いそのまま乗ってなきゃいけないわけで。

僕は良いことをしたような気になっていたのですが、そのうち彼女(妻)がトイレに行こうと
後ろに歩いて行くと、その人も立ち上がってついて行くんです。座っている僕とすれ違う時、
ニヤッと笑って。
これは大変だ!とすかさず僕もその後を追う。
彼女は気が付かずにトイレに入っているそのデッキに2人。こりゃ、一色触発の危機ですよね。

今までそんなこととは縁がなかった妻が、僕と付き合ってから、結婚してから、そんなことが
身のまわりに起こるようになり、当時よく言われたことは…

「死ぬなら一人で死んで!!」

今考えると、結局僕が”正義”という剣をいつでも振りかざしていたんですね。
それは禁煙車でタバコを吸っているのと同じことなんでしょう。

「私は反戦運動には参加しません。しかし平和運動なら喜んで参加します。」
マザーテレサの言葉。
正義を振りかざすことは、争いをしていることと同じなんですね。

赤く染まった空と、雪解けで溢れんばかりに、ゆったりと、とうとうと流れる石狩川の
その間に消えて行く、黒い点をずっと見ていました。

「はやく帰っておいで。仲間が待ってるよ。」と声をかけました。

かつての僕に…。

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4/13 ”光と影”

「いきなり鼻っ柱をポキンと折られた心地がした。」

彫刻家であり、東京芸術大学の学長もつとめた澄川喜一氏が、同大学に入学した時の
思い出の言葉だそう。

先日出会ったばかりの方から、面白いコラムを紹介して頂き、興味を持ちました。

澄川氏が東京芸術大学に入学した入学式の式辞で、当時の学長が述べたのだそう。
「おめでとう。入学した170人は磨けば光る原石である。この中から一つか二つ、
美しく光る宝石のような芸術家が生まれればそれでよい。他の168人は宝石を磨く
手伝いをせよ。」

高校まで、他の人より一芸に秀でて、回りから、時には歓喜と賞賛の声を浴び、
「我こそは…」と、意気揚々と大学に乗り込んだ若者にとって、この言葉はきっと、
心にグサッと突き刺さったのではないかと思います。
そして、この言葉に全く動じないか、もしくは、一生忘れないほどに心に刻むか、
そのどちらかの人が、光をあびて光り輝く宝石としての人生を歩むのでしょう。
芸術家として。

今、旅する木には、ファミリーと思えるような優秀なスタッフが支えてくれています。
特に技術的な指導はせず、旅する木の思想や、家具作りの心得のようなものを
しっかりと伝えているうちに、いつの間にか、僕よりも完成度の高い家具を作れるように
成長してくれました。
そんな彼らが今や旅する木の中核を支えてくれているわけですが、
やっぱり表舞台に立たされるのは僕です。
そして、テレビや雑誌などでは、僕が何もかもやっているように紹介されるわけです。

「他の人は宝石を磨く手伝いをせよ。」と言うのなら、彼らは一生懸命『旅する木』
という宝石を磨く影役を引き受けてくれています。

”果てしない旅路の果てに 「選ばれるもの」とは誰?”
たとえ僕じゃなくたって それでもまだ走ってゆくよ
降り注ぐ光があって だからそこ日陰もあって
その全てが意味を持って 互いを讃えているのなら
もうどんな場所にいても 光を感じれるよ!

いつも車の中で聞いている大好きな曲、ミスチルの『ギフト』の中の一節。

先日、北海道では美しい皆既月食がみられました。
僕もその過程をずっと見ていました。
金色に輝いていた満月が、オレンジ色になりながらゆっくりと欠けてゆき、やがて完全に本影に
入る。月は完全に無くなるわけではなく、普通のカメラには収められない程の、薄い赤色の輪郭が
残っている。
影が作り出す、静かで美しい作品です。

裏方とか、縁の下の力持ちとか、表舞台には出ないけど、その場所でしっかりと仕事をし、
彼らは美しい家具を作り出します。

芸大の学長の言う、選ばれし美しく光る宝石が、果たして幸せな人生を送るかというと、
歴史上の偉人達、有名人、スポーツ選手などを見る限り、必ずしもそうとは言い切れない。
そして、最終的に僕たち人間の誰もが目指すものは、それぞれ光り輝く”幸せな人生”なんだろう

何度も、言っています。そしてこれから何度でも言いたい。
旅する木は家具を届けているのではなく、物語りを届けていると思っています。
読むと、いつでも幸せな気持ちになれる。そんな物語りを。
そして、光り輝く幸せな人生、幸せな家族の心の風景の中に、旅する木の家具があることを
願っている。

裏方として、表には出ないけど、そんな素晴らしい作品を作り出している旅する木のスタッフが、
光り輝く幸せな人生を共に歩むにはどうしたらよいのか?
そんなことを考えはじめている。

そんな旅木ファミリーを紹介しているので、是非こちらをご覧下さい。→こちら



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3/26 ”あったかいんだからぁ”

東裏小学校の校庭には、まだまだ一面、雪がドッサリと積もっていますが、
それでも車の運転をしている日中の日差しは強く、暖かくなってきました。
本州では桜前線がどうのこうのってニュースで言ってます。
北海道はGWくらいなので、まだまだ先の話しですね。

先日、久しぶりに妻の実家の富良野に行って来ました。
5歳の姪っ子がいるのですが、これが可愛いんです。
可愛い上に、可愛いと思われるポイントを知っているというか、天性なのか、
仕草とか、言葉使いとか、アイドルか!というくらい。
なので、つい、「♪可愛いんだからぁ〜♪」と歌うと、
「♪あったかいんだからぁ〜♪でしょ!」と怒られます。

あったかいと言えば、いつも感じるのですが、旅する木のお客様はみなさん、
本当にいい人で、温かいんです。

”類は友を呼ぶ”とか、”同じ波動は引き合う”とか言いますから↑?
お客様が温かい心を持った人ばかりということは、つまりは、まあ、ねえ、…。

「え?須田さんもって?」

「いえいえ、僕はそんな、全然…」

「ほんとに、お客さんの方がずっと…」

「そんなことないですよ。まだまだです。」

「え?そうですか〜?

一生やってろ!!って?

「ちょと待って、ちょと待って お兄さ〜ん♪」

納品の時、いつも喜びと温かい言葉をかけて頂きます。
先日、学童机を納品した時は、小学校に入学する女の子が、可愛い字で手紙を
書いてくれていて、心が温まりました。
納品後、喜びの声や、使っている様子などの写真を送ってくれる方もいます。

上の写真、美味しそうでしょ〜?
しかも、左のうさぎと桜餅は、なんと奥様の手作りです。
ついつい食欲に意識を奪われ、写真撮りを忘れてしまうのですが、
これ以外にもいっぱいあるんですよ。納品時、お客様からの頂き物。

それこそ世の中に家具がいっぱいある中で、旅する木に出会って、気に入ってくれて、
製作させて頂き、数ヶ月も待って頂き、そして納品の時、本当だったらこっちが何か
手土産の一つでも持っていかなければならないところなのに。

嬉しい言葉をかけて頂いたり、手紙やメールを頂いたり、お土産を頂いたり、
喜んでいる姿や声を直接感じられるオーダーの家具作りという仕事は、
本当にいい仕事だな〜。こんな仕事が出来て幸せだ〜。と実感します。

幸せを感じるといえば…。

家具が完成した時、しばらくその家具を前にして、見とれてしまいます。
そしてスタッフ同士で
「いいなぁ。」
「俺も欲しいなぁ。これ」
「これは◯◯さん、喜ぶな〜。」
なんて話しています。

多くの人が、「仕事だから」と割り切って、自分が好きでなかったり、欲しいと思って
いないものを作ったり、売ったりすることを仕事としている中で、

こんな風に毎日、自分が心から欲しいと思えるものをデザインし、作ることを仕事として
いられることも、本当に幸せなことだなぁ。と思います。

だから、もしお客様の中で、落ち込んでいたり、心が傷ついている人がいたとしたら、
そんな人には、僕が、

「特別な家〜具を〜 あ〜なた〜に あ〜げる〜 あったかいんだからぁ。」

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3/12 ”いつかそんな日が来るように”

東日本大震災から昨日で4年が経ちましたね。
テレビでもすっかり被災地のことを放送しなくなり、何だか過去の出来事のような
感じになりつつあります。
僕自身も、友達や親戚など、実際に被災した知り合いがいないので、
日々の生活の中で、被災地や、いまだ避難生活を送る方々のことを思うことは、
あまり無くなっていました。つい先月までは。

そう、2月の初旬。震災、被災地、被災者のことを思い起こさせるメールが届きました。
大泉洋さん。
え〜!!あの?北海道だけに?
すみません。違います。
小泉洋さん。

昨日のNHK『ほっとニュース北海道』の特集でご覧になった方もいるのでは…。
3月から4ヶ月間、小泉さんが旅する木で家具作りを習いに来ています。
その様子を、ちょうど震災から4年経った昨日、NHK北海道の番組で放送されました。

大船渡市在住の小泉さん、震災の日、たまたま仕事が休みで家族で家にいたお陰で
助かったということです。
でも、経営していた飲食店が津波で跡形も無くなってしまったそうで、以来4年間、
ボランティアや工事現場の仕事などをして家族の暮らしを繋いでいたんだそうです。

そんな中で、兼ねてから興味があった木工を新しい仕事として生きて行きたい。と考え、
全国の職訓を受験したのですが、40代半ばの年齢では厳しいと判断されたようで、
受け入れてもらえず、どうしたら木工の道に進めるのか、模索している中で、たまたま
旅する木のHPに出会い、連絡を頂きました。

上記のような内容のメールを見た時、正直僕も迷いましたね。そして数回、断ったんです。
事情はよく解る。よく解るけど、元々木工で生活していくのは難しい中で、
年齢的のことを考えると、手招きして「おいで、おいで」とは言えない。いや、言わない方が
いいんじゃないか?なんて考えました。

震災にあって職場を失って可哀想。だから手助けをしてあげよう。なんて気持ちで
数ヶ月間、木工を教えて、良いことをしたような気になって、「はい、それじゃあ、
後は頑張って。」なんて放り出すんじゃ、それこそ無責任だと思ったんです。
なので、十分に木工の厳しさを説明し、それでもそれに余りある楽しさも説明し、
覚悟を試したところ、重々承知した上で食らいついて来ました。

本当は僕も、やらないで後悔するより、やって後悔する方がなんぼもマシ。という考えだし、
僕がそうだったように、大きな決心をして「これをやっていこう。」と思った人が、それを
手放すには、その道に足を踏み入れてみないことには手放すこともできない。
そして、
大きな物を失った人の持つ底力というものは、奇跡を起こすかも知れない。という
期待も込めて。受け入れる覚悟を決めました。
数ヶ月間受け入れて様子を見て、もしダメだと判断した時、それをはっきりと伝えること。
他人の人生を左右する判断をするということは、小泉さんが「それでも木工をやってみたい。」
という覚悟と同じだけの覚悟が僕にも必要なんですね。

小泉さんが旅する木に来て10日ほど経ちました。
そして昨日、3月11日。あれから丸4年。
震災を経験していない僕がこんなことを言うのは、とても軽々しいことかも知れませんが、
大地震が起こった。そして信じられないような津波が来た。
このことはただそこに起こったことで、不幸な出来事ではない。
そのことで不幸な出来事だと思う人の心があるのだと思います。

小泉さんが、「震災にあって良かった。」とは到底思えないと思います。
でも、「よいきっかけになった。」と思える日がくればいいな。と思います。
4ヶ月間、精一杯木工の技術と楽しさを伝えようと思います。

いつの日か、そんな日が来るように。



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3/5 ”古代の叡智”

[kin91、青い猿、青い嵐、音13]。
さて、なんでしょう?

答えは僕のマヤ歴での紋章です。

マヤ歴、ご存知ですか?
2012年に地球が滅亡するとか何とかで、一時、うわさになりましたね。
地球が滅亡するというのは、間違った解釈が先行してしまったらしいです。
マヤ暦の長期周期の終わりが2012年だったといことなんですって。
新しい時代の幕が開けたんですね。

自然環境も世界情勢も、政治も経済も、混沌としていて異常さをきたしているのは、
時代が大きく変化する荒波に翻弄されているんでしょうね。
その変化に合わせて、心も考え方も変えていかなければ、いつまでもこの混沌とした
世界から抜け出せないということです。

マヤ歴に限らず、いろんな先人達の知恵を信じる人達や有志の人達が、昨年、今年中に
僕たち人間の心がエゴの支配を捨て、友愛に満ちた心に変化していかなければ、
今の文明は滅びる。その分岐点が今年までで、すでに折れるタイムリミットギリギリの
ところまで来ているということを言っています。
マヤ、アステカ、ムーやアトランティスなど、地球に誕生したいくつもの古代文明が、
結局は破滅の道を歩んで来たように。

どの文明も、化学の進化に精神の進化が追いつかなかったんですね。本当は心の進化が
先行しなければいけなかったのでしょう。
そういった意味では、アイヌ、エスキモー、インディアン、原住民と呼ばれた人たちの方が
人間としてよほど進化していたんだと思います。
彼らが後に化学を手に入れたとして、はたして僕らと同じ道を歩んだのだろうか?
僕らは彼らを滅ぼすのではなく、彼らから学ばなければいけなかったんですね。

こんなことを書くと、宗教的に思われるかも知れませんね。。
僕は宗教は好きではなく、あくまで石ころ一つにも(魂)神が宿っていると思っています。

どういうわけか、僕のまわりにはやたらとマヤ歴に詳しい人が集まっており、
僕も感化され、一昨年、マヤ歴インストラクターの講習を受けました。

上記の
[kin91、青い猿、青い嵐、音13]
には意味があるんですね。

古代マヤの人たちは、時間を”意識のエネルギー”と見ていて、その周期で暦を作ったんです。
特に突出して天文学に精通していたマヤの人たちが考えたマヤ暦は、宇宙の法則にも則った、
かなり信憑性のあるものだと思います。

昨年、旅する木で自主上映会をした『かみさまとの約束』の中で、前世や、中間世(死んでから
次に生まれかわるまでの魂の世界)、生まれる瞬間の記憶を持った子供たちが語っていたのですが、
生まれる前に、目的、果たすべき役割などを決め、何時、誰の元に生まれるのかを選んで
産まれて来るのだそうです。
そうだとすると当然、生年月日には意味があるもので、それぞれの日にちの持つエネルギーを
暦としたマヤ歴に照らし合わせると、その日を選んで生まれた自分の特性が解るのです。

マヤ歴は占いではないので、当たるとか、当たらないというようなものではないんですね。
その日(特性)を選んで生まれた自分を、きちんと表現出来ていると、自然と人生が上手く
好転する。というものなんです。だって、その特性を自分で選んで生まれて来たんですから。

僕の回りのマヤ歴に興味のある人たち(圧倒的というより、全て女性)は、生活にマヤ歴を
取り入れて、活き活きと自分のしたいこと、すべきことを全うしている人たちがいて、
彼女達は本当に楽しそうに自分の人生を生きていますね。

マヤ歴、もし興味が湧いて、自分のkinを調べて欲しい!という方がいましたら、
今、僕
はマヤ歴を勉強中で、教わっているので、お調べすることができます。
なので、遠慮なくご連絡下さいね。

ちなみに僕は、kin170と、kin221の方に出会いたいと思っています。
あ、私!!
とか、知り合いにいる!!
という人、いませんか〜?


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2/20 ”ノートラック最高!”

間は身勝手な生き物ですね〜。
除雪している時は、「もう、雪なんていらない!」
なんて言ってるくせに、スノーシューを履いて森に入っていくと
「ふかふかの新雪サイコ〜!」なんてはしゃいでいます。
そう。それは僕です…。

先日、友人が誘ってくれて、旅する木スタッフと旭岳の森の中をスノーシューを
履いて、トレッキングしてきました。
プロのガイドさんに連れいていってもらったので、ただ、歩くだけでなく、
いろんな知識を教えてもらったり、雪遊びを楽しんだりして、北海道のサラサラ、
ふっかふかの雪を堪能しました。

なにより、夜の森を歩いたのは、初めての体験で新鮮でしたね。
前日までの暴風はウソのように、その日の夜は、そよ風も吹かない無風、晴天で、
真っ暗の森の中に、スノーシューを履いて、ヘッドライトを付けて入っていくと、
そこは、動物だけが入ることを許されたおとぎ話の世界に迷い込んだようでした。

クロテンの足跡を追っていったら、雪原の途中で突然足跡が無くなっている。
え〜?なんで?と最後の足跡を覗くと、雪の中深く奥まで穴があいているんです。
きっとその雪の下に巣がるんでしょうね。

太いトドマツの幹に無数についている並んだ3本線のキズ。
ガイドさんが、「これはヒグマがこの木に登った時に爪でひっかけた後ですよ。」って。
今は冬眠しているんだろうけど、夏のある日、大きなヒグマがこの木に上っている様子を
想像しました。

そして、回りに木が無いちょっとした空間が広がった場所があって、そこでヘッドライト
を消して空を見上げると、森の中、ポッカリと開いた空間に無数の星々が、
まるで手に取った砂を空に向かってバラまいたかのように広がっていました。

みなさん、『ノートラック』って言葉、ご存知ですか?
ガイドさんに教えてもらいました。
誰も踏み入れていない新雪のこと。
北海道の中でもさらに標高の高い旭岳の森の中の、ノートラックをスノーシューで歩いていると
その柔らかさに感動します。
羽毛布団のようにふかふかなんです。優しく包まれているかのよう。
天気も良く、歩いて火照った体をふっかふかの新雪に、まるで布団のように寝っ転がると
ふわっと体を包み込んでくれて、スキーウェアーの上から伝わる心地良い冷たさを感じながら
しばらく青空を見上げていました。

「今日は火曜日かぁ。平日だな。平日に仕事を休んで森をトレッキングするなんて、
今までの俺だったら、考えられないことだな。」

青空に雲がゆっくり流れていて、そんな空に向かって高く、真っすぐ伸びた黒エゾマツに
積もった雪が、わずかな風に乗ってサラサラと舞うように降ってきます。
その舞っている粉雪に日の光が反射して、キラキラ光っています。
こんな風に真っ白な優しい雪に包まれていると、思えてきます。

「こんな日もあってもいいかぁ。」

気持ちがふんわりとした無の状態。

「ああ、心の中、ノートラック」



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2/7 ”月光”

先日、東京に行って来ました。
遊びに?
遊びじゃありません。これから製作する家具に、32種類の樹種を使うので、
その木の買い付けに。
と言っても結構時間が余ったもので…。
「そうだ。スカイツリーを見に行こう!」
と行き当たりばったりで行ったものの、ものすごい人、人、人…。。
しかも、予約しなきゃ上れないんですね。展望台まで。
でも、『東京ソラマチ』って言うんですか?タワーの横にショップやレストランなどが
いっぱいあるとこ。そこの30階のまで上って東京を見回してきました。

東京をこんな風に上から見たのって、ひょっとして、小学校の修学旅行で上った
東京タワー以来かも…。
改めてこうして見ると、地図ではちっぽけな東京、でも目の前に広がる東京は広かったですね。
そして本当に地平線の向こうの向こうまで、果てしなく家やビルが密集しているんですね。
一体どんなにたくさんの人がここに住んでいるんだろう。

泊まったのは日本橋の近くの天然温泉付きのビジネスホテル。
真夜中、一人で露天風呂に入っている時、ビジネス街なので、夜はほとんど人気が無くて、
「本当にさっき見下ろした東京なの?」と思うくらい、静かでした。
誰もいないので、ザバーっと顔まで潜った後、フ〜と顔を出して空を見上げると、
ビルに囲まれた隙間のど真ん中に月があって、そっと僕を照らしていました。
「東京でもこんなに綺麗な月が見えるんだ。」
美しい月は、なんだかしんみりとしていて、もの悲しさを感じます。
美しいと感じるものにはどこか、愛おしさの中に悲しさが含まれているものです。
この”心地良い切なさ”のような感じは、心を優しい気持ちにさせてくれて、僕は好きです。

あんなにたくさんの人がいて、同じ瞬間を生きているのに、そのほぼ全ての人と僕らは
出会うことは無い。
言いかえると、人と人が出会って、言葉を交わし、友達になったり、家族になったり
することって、なんていう奇跡なんだろう。

人生に設計図があって、生まれる前にその設計図を描いて生まれてくるのだとしたら、
その設計図というのは、何が起こるのか、誰と出会うのか、そしてそれはいつなのか。
ということが書き示されているんだろう。
これが運命というもので、きっとこれは個人の力では変えられないことなんでしょうね。
悲しいけれど。

やがてその出来事が起き、その人と出会い、どう感じるか。
この部分がそれぞれ個人の意思や意識で変えられるんですね。

ハッピーな出会いや出来事ばかりではないけれど、その一つ一つが奇跡なのかだら、
「あなたに会えて、本当によかった。」
と思える出会いを重ねていきたいし、そう思ってもらえるような自分でありたい。

工房から家に帰る時、道路の真っすぐ向こうに見える大きな月は、当たり前に綺麗だけれど、
東京のビルの合間から期せずして見えた月は、悲しくて、美しかった。



札幌のすぐ隣の田舎町、田園風景ど真ん中の小学校
〒061-0213 
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